小さな未来

 007
他の女房たちに囲まれている子ども達を、しばらくじっと彼女は見つめていた。
そんな彼女の視線に気付いたのか、千歳がにこっと笑ってはしゃぐように両手を動かした。
「まあ可愛らしいこと!八重樫様のお顔を見て、微笑まれてますわ!」
「こちらの若君も!ご一緒にお生まれになったから、通じ合っていらっしゃるのかしら?」

友雅は、彼女の様子を黙って伺っていた。
その後ろで鷹通は、緊張したまま彼女の身動きをあかねに気付かれないように監視していたが、時を置く事も無く彼女の手が千歳の頬に触れた。
顔を上げて、彼女は友雅を見る。
正面から改めて見ると、世辞など無縁なほどに気品のある理知的な美しい女性だ。
「少将殿のおっしゃる通り、輝くばかりの香木実ですわね。」
「ああ。私と彼女の、大切な非時香菓だよ。」
彼女は千歳の顔を見ると、ふと優しく微笑んで頬を何度も指先で撫でた。
その度に微笑みがこぼれ、慈しむように子どもの手をそっと握った。

+++++

「本当に鷹通さん、乗って行かなくて良いんですか?」
「ええ、実はちょっと治部省に顔を出して行こうと思いまして。」
車寄せまでやって来た時、鷹通はそう言ってあかねの誘いをやんわりと断った。
今日は休むと報告はしていたが、もう少し屋敷へ文書を持ち帰ろうかと思っていた所だったからだ。
「それじゃ、あかねはこの子たちと一緒に、先に乗っておいで。」
あかねは車副に子ども達を預け、先に乗り込んでから二人を受け取った。
その間に友雅は、車から少し離れたところへ鷹通を連れて行った。

「今日は色々と世話になったね。おかげで何とか事が済んだよ。」
「いいえ、私など特に何をした訳でもございませんよ。すべて、文紀殿と千歳殿のおかげでは有りませんか」
そう言われると、友雅も笑うしかない。
気にかけていたのは大人の自分たちだけで、そこに彼らが顔を出しただけで空気が一変してしまう。
堅苦しい雰囲気も、高貴な空気も、子供たちが笑っただけで和んでしまうのだから、尋常の力ではないなと感心する。

「先程の…八重樫様と申されましたか。あの方でございましょう?友雅殿に歌を送り続けているという方は。」
「そうだよ。分かっていると思うが、清涼殿に向かう時に私が話していたのも、彼女だ。見た通り、美しい才人なのだけれどね、場をわきまえてくれなかったのが、唯一の欠点かな。」
どれほど美しい人でも、どんなに優れた人でも、空気を読んでもらえないのは困りものだ。
こんなにまで噂になっている自分に、歌を送ったところでどうにもならない事くらい、察してくれれば良い知人でいられたかもしれないのに。

「ま、それも全てあの子達が水に流してくれたからね。これでもう、困るようなことはないと思うが。」
「確かに、あのように微笑まれては…何も言えなくなりますね。こちらまで、微笑んでしまいますから。」

-----生まれたての無垢な心には、敵わない。そういう事だ。



しばらくすると、友雅が車の中に上がってきた。
「鷹通さん、治部省に向かったんですか?」
「ああ。真面目だからね、彼は。仕事のことで気になることがあるから、と言っていたよ。」
「そうですかー…今日はお世話になったから、うちに帰って夜ご飯をご馳走しようかなと思っていたんですけど。鷹通さんに会う機会があったら、誘って連れてきてくださいね。」
がたん、と軽い揺れが来て、ゆっくりと車が動き出した。
吊り香炉の中から、侍従が漂う。振動でそれらが、空気の中にゆっくりと溶け込んでいく。

「しかし…物怖じしないというのも、結構気を遣うものだね」
いつのまにか揃って寝息を立てている子ども達の顔を見ながら、今日のことを思い出してみた。
さすがに帝のところに文紀が向かっていった時は、友雅も肝を冷やしたものだったが、無礼なこともなくホッとしたものだ。
「ホント。全然人見知りしないんですもん、この子達って。文紀もそうだけど…千歳はねぇ。こんな調子で大きくなったら、すっごいおてんばになってそう。」

確かにそういえば、小さい頃の自分も結構おてんばだったっけなあ…なんて、そんな自分の思い出をあかねは蘇らせた。
木登りして落ちたこともあるし、野原を駆け回って擦り傷を作るのも日常茶飯事だったし。
半分とは言え、自分の子どもなのだから…似る確率は高いわけで…と思ったら、これからが思いやられそうだ。

「そういえば、主上が最後に面白いことを言っていたね。千歳を更衣に、か。今はまだ、夢物語のようだけど。」
「…更衣って、昇殿するんだから、それなりの高貴な人ってことでしょう?」
更衣は、帝の着替えを手伝う為の女官、というのが表向きの役職だ。しかしその裏では、帝からの寵愛を受ける立場でもある。
「あ、そうか…そういう人がいるんですよね…」
ぽつりとつぶやいた、あかねの顔を友雅は眺めていた。

世間で言えば、自分の娘が更衣に上がるというのは名誉なこととして、喜ぶのが常識だろう。場合によっては、娘が生む子が国を治めることになるという可能性もあるのだ。
だが…それは本当に、千歳にとっては幸せか?帝と恋に落ちて、そして結ばれるのならともかくとして、世間一般の流れに巻かれて、家の名誉のためにそうなるとしたら?

「千歳は…そういう所には出したくはないね。」
寝息を立てている千歳の頬をくすぐりながら、そうつぶやいた友雅を見て、あかねはくすっと笑った。
「気が早いですね。手塩にかけて育てた娘を、他の男性になんかやらん!って、そんな気持ちですか?」
「いや、そういうわけではないんだけれどね」
と言いつつ、少し惜しいと思わないわけではないが。でも、そんなことよりも、ずっと大切にして欲しいものがある。

「世間での常識がそうだから、とか、それが普通は当たり前のことだから、とかでね、恋することを安請け合いして欲しくないんだよ。千歳が…文紀もそうだけれど、二人が自分で選んだ恋の相手なら、それで良いと思う。」
親が言う相手と、子どもたちが好きになる相手は違う。
友雅自身もまた、家柄のためにと勧められた縁談の相手は幾人もいた。
しかし、本当に惹かれたのは、そんなものは何一つ関係ない、見ず知らずの少女だったのだから。

「勿論、その相手が一生を掛けて誓える人ならば、私は文句は言うつもりはないよ。実際に、そんな相手と出会って、恋に落ちて、そして結ばれて……幸せだと私自身が思っているからね。」
そう言って、友雅の手があかねの手に重なった。
偶然の出会いか、それとも運命の巡り会いか。真実は分からないけれど、こうして結ばれた事は運命の星の元に生まれた証。
出会うはずのない次元を超えて出会った、愛し合えるただ一人の人。
「私たちみたいに自由で、そして運命的な相手と恋に落ちて、幸せになってもらいたいね。あかねは、そう思わないかい?」
「……うん、そうですね」
目を伏せて、彼の言葉をかみ締めながら微笑むと、あかねは友雅の胸にそっと寄り添った。
その小さな肩を抱き寄せながら、彼は静かに唇を重ねた。


「今日は、子どもたちが…とか言わないんだね。」
唇を離して友雅が言うと、あかねが愛らしく微笑んで答えた。
「良いんです。今は、二人とも疲れて眠ってますから。」
産着にくるまって目を閉じて、かすかな寝息を立てている子どもたちは、まだ安らかな眠りから覚めそうにない。
そんな二人の寝顔を覗きながら、友雅が笑いながら言う。
「成る程。場の空気をよく理解している、いい子達だ。」

もう一度唇を近づけると、どちらともなく自然に相手を求めた。
唇だけじゃなくて、抱きしめて、腕を回して離れないように、しっかりと。
ここに存在する幸せのかたちを、二人で感じられるように。





-----THE END-----




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