小さな未来

 004
「やっぱり、袿を重ねると重いですねえ…」
いつもは単を1〜2枚重ねる程度のものであるから、こうして何枚もの衣を重ねると、その重さに気付かされる。
十二枚を重ねるわけではないけれど、正装ともなれば5枚程度の重ねは普通で、しかもまだ少し夏の気配が残る時期。
比較的薄手のものを祥穂は選んでくれたが、それに加えて後ろ髪に付けた髢。決して涼しいとは言えない。
「改めて思うけど、藤姫っていつも十二単だったんですよねえ…あんなに小さいのに、重くなかったのかな…」
「藤姫様は、幼い頃から身に付けておられましたから。そうなれば、慣れてしまうものですよ。」
重ねの色目を整えながら、祥穂は昔話をしてくれた。

「こちらの方は済んだが、姫君の支度はどんな感じだい?」
絹織りの産着に包まれた子供たちを抱いて、友雅が姿を現した。
「ええ、今し方済んだところでございます。」
祥穂が言うと、鏡の前で隅々を気にしていたあかねが、こちらの方を振り向いた。
「如何で御座いますか?あまり豪奢な仕立てですと、かえって人目に付きやすいかと思いましたが、やはり少しは華やかなものが良いかと思いまして、季節を問わない蘇芳香の重ねにしてみましたの。」
蘇芳は無地ならばやや地味な印象もあるが、織り色が光の加減で輝きを増して目を楽しませる。
裏に重ねた黄の色も、落ち着いた表の色を引き立たせて華やかに映る。

「今様色がお似合いかと思ったのですが…もう、奥方様でらっしゃいますものね。少々大人びた、落ち着いた仕立てでも宜しいかと思いましたが、如何で御座いますか?」
祥穂は自信ありげに言うが、あかねの方はまだ落ち着かない様子で、きょろきょろと裾やら襟元を気にしている。
秋と春は特に季節の色目を重ねる者が多いが、逆にこの時期こそ季節の関係ない色目を選ぶのも、なかなか良い選び方だ。
「うん、そうだね。祥穂殿にお願いして正解だった。よく似合っているよ。」
「そうですか?」
さっきまで微妙な表情をしていたのだが、友雅にそう言われたとたんに、あかねの顔がホッと安心したように見えた。

「では、これでお支度は宜しいですわね。最後に…若君様を抱きながら持つのは大変かと思うのですが、これを。」
祥穂があかねに手渡したのは、正装時には欠かせない衵扇だ。
それを見た友雅は、ふっと笑って祥穂を見た。
「さすがだね、貴女は細やかなところにまで目を配ってくれる。」
とっさにはその言葉の意味が分からなかったあかねだが、彼が片手でその扇を広げさせ、細い色糸の房を揺らしてみせた。
「お屋敷の奥方でございますから、本来なら橘か花橘の重ねが相応しいかと思いましたが、季節が違いますから…。ですので、扇の房の糸に移してあしらってみましたの。」
そう言えば、濃朽葉から色を薄めた黄へ続く色糸。
それは、夏の色目、橘の重ね。
「さりげなく、橘家の奥方様という象徴が出来るかと。」

「…祥穂さん凄いな…。そんなの私、全然気付かなかった。」
正直な所、未だに重ねる色目のことについては、まだまだ知識不足のあかねだった。
色の合わせ方を気にすることは、現代でも同じだったけれど、この世界になるとまたスケールが違う。
似たような色でも、表と裏で合わせることによって違う意味になるし、把握するにはもう少し時間がかかりそうだ。
「少しずつ覚えて行けばいいさ。教えてくれる人は、周りにいくらでもいるのだから。勿論、私に聞いてもらっても構わないしね。」

侍女が一人、部屋にやって来た。
「失礼致します。藤原鷹通殿が、先程お着きになりました。」
「ああ、分かった。それじゃ、行こうか。」
友雅は右手に抱えていた文紀を、あかねへと渡して千歳を抱き直した。
これからどこに連れて行かれるのか、子供たちには分からないだろう。
帝の御前で泣きわめくようなことが無ければ良いが…と、二人はそれぞれ同じ事を考えていた。



「鷹通さん、今日は付き添いを頼んじゃって、すみませんでした。」
揺れる牛車の中で、あかねは久しぶりに逢う鷹通に頭を下げた。
「いいえ、こちらこそ参内という光栄な機会を頂きまして、お礼を申し上げたい所です」
こちらがかしこまってしまうほど、深々と丁寧に頭を下げる鷹通に、千歳を抱いた友雅が笑いながら隣のあかねを見る。
「相変わらずの男だろう?元々の馬鹿がつくほどの真面目に、更に磨きがかかった。大丞に相応しいよ、本当に。」
「そちらこそ、相変わらず戯言が過ぎるようですが。」
「はは、褒めているんだよ。出世するだけの実力が伴っているからこそ、大丞と認められたのだ、とね。」

千歳が早くも、車の中を見渡している。いつもとは違う雰囲気に気付いたようだが、泣くよりも好奇心に目を光らせている。
あかねの胸に抱かれている文紀は、さっきからじっと鷹通の方を見ている。
幼い彼の視線に、鷹通も気付いたようだ。
「あれから半年…が過ぎましたか。お二人とも健やかにお育ちになられているようで、私も安心致しました。」

彼女が出産するときには、鷹通たちも揃って友雅の屋敷に駆けつけたものだった。
生まれたばかりの子供たちを彼が抱えて来た時には、一瞬鷹通はよからぬことを脳裏に描いてしまった。
それも今になってみれば、つまらない言い伝えに縛られていた自分を恥じたいくらいだ。
双子が禁忌の証だなんて、誰が言い出したのか。
こんなにまで両親に愛され、慈しまれて育っている彼らを、そしてそんな二人を愛することで、この上ない至上の幸福を得ている彼らを。
その光景には、僅かたりとも禁忌のかけらさえ見当たらないというのに。

「あ、何だか文紀が鷹通さんの方に、行きたがってるみたい」
桜貝よりも小さな爪をした手のひらが、鷹通に向かって伸びている。
「宜しいですよ。子供などあやしたことがありませんので、少々不安ではありますが…」
鷹通が両手を広げると、あかねはその手に抱いていた文紀を、彼の腕の中に受け渡した。

「ああ、思ったよりも重いのですね。ですが、それも順調に成長されているという証拠でしょう。」
汚れを知らない澄んだ瞳は、穏やかな眼差しをして鷹通を見ている。
抱えられるほどの小さな身体だが、指先から足のつま先まで、自分たちと同じ命が息づいているのだと思うと、改めて少し不思議な気がして来た。
「あー」
抱きかかえられていた文紀が、鷹通の眼鏡の鎖に気付いて手を伸ばした。
「文紀!だめ!鷹通さんの眼鏡においたしちゃ!」
慌ててあかねが身を乗り出して文紀を引き離そうとしたが、鷹通はそれを笑いながら宥めた。
「大丈夫ですよ、神子殿。揺れるものが珍しくて、気になったのでしょうから。」
そう答えると、鷹通は眼鏡を外して文紀にそれを手渡してみた。
はじめて触れるものに、文紀は目を輝かせている。その愛らしさと言ったら、こちらまで微笑んでしまいそうだ。

「鷹通も、早く家族を作りたまえ。そうやって、子供と戯れている君も、なかなか様になっているよ」
これがあの友雅の発言かと思うと、鷹通は笑わずにはいられなかった。

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鷹通も昇殿する事は初めてではないが、やはりここまで来ると緊張感が高まる。
車寄せで牛車から降りると、既に今日の昇殿を知っていた友雅の同僚が、詰所から出てきて日華門を開けてあかねたちを中へと導いてくれた。

その途中で彼等は、友雅とあかねの腕に抱かれている子供たちを、こっそりと覗きながら口を揃えて言う。
「ほほう…これが橘少将殿の、お二人の撫子でございますか。いや、まだ小さいというのに、賢そうなお顔をしていらっしゃる。」
「はいはい、例えお世辞でも親としては、そういう言葉は嬉しいけれどもね。まずは主上の御前にお連れしないといけないのでね。時間があれば、後ほどゆっくりとお目に掛けるよ。」
口ではそんなことを言っていながら、まんざらでもない様子の友雅を見て、鷹通とあかねは顔を合わせて笑った。


清涼殿への道は、入り組んでいて結構な距離がある。
その間に顔見知りの納言や、大夫達とすれ違った。その度に子供達の話が話題に上るが、暢気に立ち話などしていられるわけもなく、適当にあしらってその場をくぐり抜けた。
「それにしても、お会いする皆様の注目の的ですね」
「やれやれ…私的にお連れするということだったのだが、これでは殿中に知れ渡ってしまうな。」
友雅は千歳を抱いたまま、苦笑しながら足を進めた。


真っ白な木槿が、渡殿から見える壺庭の中央で花開いている。
白砂の中を小さな川が流れ、時折吹いてくる風が緑の葉を揺らしていた。
御簾の向こうから聞こえるのは、姦しい女御達の笑い声。姿は見えないが、おそらく5〜6人はいる事だろう。
「鷹通、頼むよ」
前を歩きながら、友雅が言う。
おそらく、問題の女官がいる間とは…この先にある部屋なのだ、と鷹通は彼の言葉から覚った。
あかねに気付かれないように、友雅はそれきり何も言わず、あくまで普段通りの足取りで前に進む。
「神子殿、風通しの良い壺庭の方をお歩き下さい。水の流れる音が、文紀殿の耳にも心地良いでしょう。」
「え?あ…はい、ありがとうございます」
鷹通に言われるとおりに、あかねは御簾と反対側を歩くことにした。
確かに、かすかな水音が涼しさを運ぶようだ。


「夏が戻ってきてしまったのでしょうか。秋の虫が歌を奏で始めたというのに、初夏の橘の香りが近くで漂いますわね。」

気品のある、女性の声が御簾の向こうから聞こえた。
友雅は、足を止める。
「橘は四季問わず、常に緑を絶やさぬものですよ。夏であろうと秋であろうと代わり映えのない、趣に欠けたつまらないものです。雅な世界で日々の移り変わりを楽しむ、貴女のような方には相応しくないと思いますがね。」

彼女の声に、友雅はそう答えた。


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Megumi,Ka

suga