町中から離れて少し山道を進むと、静かな森林の中に洒落た洋館が建っている。
石造りの古びた佇まいだが、手入れされている芝生は青々としており、白いフェンスにはびっしりとピンクのバラが咲き誇っていた。
「すごいな。こんなお城みたいなところがあるなんて、知らなかった」
ヨーロッパから移築された建物で、それに誂えて庭も整備された。
普段はゲストハウスとして、披露宴やパーティーなど各種イベントの他、映画のロケや撮影にも使われているらしい。
「こういうところの別荘も良いね。静かでのんびり過ごせそうだ」
橘家の別荘は避暑地の高原にあるので、時期によってはあちこち賑やかになる。
ゆっくり時間を楽しむことに集中するのも良いかな…と思ったりもするが、子どもたちにはまだ物足りないかも。
「退屈されておりませんか。お茶でもご用意しましょうか」
広い庭園を散歩していた二人に、近付いて来たのは広報担当のスタッフだった。
そう、千歳をモデルにしたいという旨を、最初に連絡して来た男性だ。
「いや、おかまいなく。なかなか見られない景色ですし、眺めているだけでも楽しいものですよ」
友雅がそう答えると、隣にいた文紀も控えめにうなづいた。
女性陣は、館内の試着室にいる。
ドレスアップからメイクまで、プロセスをその目で確認出来るのは女性限定。
残念ながら友雅たちは、小さな姫君が仕上がるのを待つしか出来ない。
「息子さんも、撮影にご参加頂きたかったんですけれどねえ」
笑いながらスタッフが言うと、文紀は困ったように苦笑いする。
双子の兄がいることはプロフィールで知っていたが、こんなに見映えのする少年だとは知らなくて。
二人並んでみると、確かに顔つきはよく似ている。
彼の方が穏やかな雰囲気を持っているが、どこか凛とした感じがするのが良い。
だが、残念ながらそういうことは苦手な性格のようだ。
「僕はその、全然似合わないし…」
「ええ、無理なお願いは致しませんよ。ご両親とのお約束ですので」
今回の撮影を引き受けるとき、彼らの両親から条件を出された。
モデルをするのは今回限り。職業として続ける意志はないこと。
故に、モデル事務所やメディアへの露出は一切行わないこと。
無理に彼女を勧誘したりしないこと。
「千歳ちゃんなら、すぐに売れっ子モデルになりそうですけれど、残念ですが契約ですからね」
「彼女本人からも言われたことだし、その意志を尊重してやってもらいたい」
今回のことを説明したあと、モデルについてのことを簡単に話してやった。
どんなことをやるのか、どんなことを求められるのか。
それに伴うリスクについても、子どもに分かりやすく説明したつもりだった。
そこではじめて、千歳の口から友達の話を聞かされた。
「あのモデルさん、千歳ちゃんのお友達の親戚だったんですかー」
本館二階にあるドレッシングルームには、スタイリストやデザイナーを始めとする女性たちが集まっている。
ドレッサーの前に座った千歳を囲みながら、彼女を交えておしゃべりが進む。
生まれつき人見知りをしないのが、あかねたちの子どもの特徴というのだろうか。
初対面のスタッフともすぐに打ち解けて、大人に囲まれながらも話が弾む。
そんな中で皆が驚いたのは、千歳が口にした友達の話だった。
「それ、私もつい最近なんですよ、この子から聞かされたの。だからびっくりしちゃって」
「だって、私もこの間教えてもらったばかりなんですもの」
まゆきを膝に抱える母を鏡越しに見ながら、千歳はその時のことを話し始める。
雑誌やテレビや映画などで、よく顔を出すモデル出身の人気女性タレントがいる。
世間とは狭いもので、なんと彼女は千歳の友達の親戚だった。
その彼女は小学生の時にモデルの仕事を始め、すぐに人気が出て学校にも行けなくなって。
仕事のために転校して、当時仲の良かった友達とはそれっきりになってしまった。
新しい学校では一緒に遊ぶ友達も少なく、仕事ばかりで寂しい子ども時代だったな…と、昔を振り返りながらよくこぼすのだとか。
千歳がモデルに誘われたと聞き、学校での休み時間にその子はこの話を教えてくれたのだった。
「私だったら寂しくて嫌だわ。仲の良いお友達、たくさんいますもの」
幼稚舎から初等部に上がった子が殆どなので、長い付き合いの子たちが多い。
お互いの家に行き来したり、同じお稽古に通ったり、誕生日にはお祝いをしたり。
これまでも、これからも、彼女たちが楽しむ時間はたくさん用意されている。
それらを自ら振り切ってしまっても、後悔しないと言えるようなものは…まだ千歳にはない。
「こんな綺麗なお洋服を着られるのは、とっても嬉しいの。でも、それでお友達やまゆきと遊べる時間がなくなるのは、やっぱり嫌なの」
アンティークドールが着るような、クラシカルドレスと誂えた靴。
今時こんな格好が出来るのは、モデルという特殊な仕事を与えられた者だけだ。
女の子だから、可愛い服や綺麗な格好は大好き。絵本に出てくるお姫様みたいな、そんな格好には憧れる。
でも、それ以上に大好きな人たちと、楽しい時間を過ごすことが何より大好き。
1日が24時間じゃ足りないと感じるほど、そんな毎日が今の千歳には一番楽しい。
大きな瞳をきらきらと輝かせ、みんなの顔を真っすぐに見る。
はきはきと自分の気持ちを言葉にしながら、その目は嘘偽りなどない、真実しか映さない輝きを放つ。
「うん、千歳ちゃんの話はよく分かってる。だから、とびきり綺麗なお姫様になろうね?」
顔を覗き込みながら、笑顔で小さなその肩を軽く叩いた女性は、このブランドを立ち上げたデザイナー本人だった。
豊かに流れる柔らかいウェーブの長い髪に、白いコサージュとリボンを添えて。
レースとフリルを使ったパニエと、上質なシルクのドレスに身を包む。
メイクはほんの少しだけ。そっと唇にバラ色の紅を。
「これだけ綺麗な子だと、スタイリストも張り合いがありますね」
千歳の姿を眺めながら、デザイナーはあかねの隣に腰を下ろした。
「これっきりでも、お引き受け頂いて感謝します。やっぱり、千歳ちゃんを選んで正解でした」
「そうですか…?そこまで言われると、ちょっと恐縮します」
さすがにプロのスタイリストの手に掛かると、いつもの千歳とは違うように見えて来る。
自分の娘に言うのもなんだけど、本当にこの子は綺麗なんだと改めて気付かされるほどに。
そして、やっぱり彼に似ているんだな…と思ったり。
「愛情を感じますねえ…」
小さなその指先にも、髪の毛の一本一本にも、彼女がどれほどの愛情に育まれているのかが、何となく分かる気がする。
惜しみない両親の愛情に包まれ、成長していくその姿はとても綺麗で、そして澱みない透明な素直さを携える。
そうか、これが彼女に惹かれた理由か。
目に映る部分だけではなく、愛情を注がれて生まれた溢れる輝き。
どれほど小さくても光を放つ、最高級の宝石のような。
「おねーちゃまの、おねーちゃまのりぼん」
あかねに抱っこされたまゆきが、千歳の髪を指差して言う。
「ぴんくのちょーちょ!」
「ホントだ。お花に止まってるちょうちょみたいね」
白い花のコサージュに、ふたつ結んだピンクのリボンは、確かに花と蝶のようにも見える。
「まゆきちゃんにも、あとでお姉ちゃんと同じのをあげましょうね」
「え、そんな構わないで下さい!」
「いえいえ。お揃いのほうがきっと可愛いでしょうから」
千歳にしろまゆきにしろ、こんなに無邪気な顔を向けられたら、知らぬ顔してスルーなんて出来ない。
眺めているだけで、心が幸せになれる。
彼らが愛情で創られている存在だからこそ、皆をそんな気持ちにさせてくれるのだろう。
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