春を呼ぶ声

 002
行先は、まずは伏見稲荷だ。
鳥居の簡単な修理ということで、それほど時間も掛からず用事は済んだため、すぐに文紀たちを例の場所へと連れて行った。
「うわあ、こんなにいっぱいあるんですね!」
「びっくりしたか?知り合いがやってる果樹園でさ、ここら一帯は全部桃が植えられてんだ。」
案内されたそこには、一面に満開の桃の花。
一つ残らずみっしりと咲き誇り、まさに春の光景そのものが広がっている。
「ここから好きなの、採っていけよ。話は着いてるから。」
既に果樹園の持ち主には、説明を済ませておいた。
所詮子どもたちが持ち帰るくらい、たいした量ではないだろうから、結実に差し障りはないはずだと。
相手も話を聞いて快く承諾し、好きなだけどうぞ、と言ってくれた。

保護者になった気分で、イノリは彼らを遠くで眺めながら、しばらくここで小休止することにした。
すると桃園の奥で、高い枝を採ろうと一生懸命手を伸ばす文紀がいる。
「あ、届かないのか。じゃあ、俺も手伝ってやるからな。」
「すいません、ありがとうございます」
イノリが代わりに手折ってやったものは、意外と大きな枝振りのもの。
しかし、花の付きは充分に良く、一枝だけでもかなり存在感がある。
「小さいのに、よくこんな大きいやつ見つけたなあ」
「たくさん貰うより、ひとつしっかりした枝をもらった方が、迷惑じゃないかなと思って…」
ぱきん、と折った枝を文紀に手渡し、彼の頭をイノリは撫でた。
「おまえはホント、遠慮深いよなぁ…子どものくせに」

千歳はほがらかで元気いっぱいで、なかなかじっとしていない快活な娘。
そんな彼女を見守るように、控えめに後ろについている文紀。
双子なのに、大人びた兄の風格を持っていた彼だが、これからはもっとしっかりして来るのだろう。
この枝だって、多分妹二人分と考えて、出来るだけ大きなものを見つけたのだ。
彼女たちの未来が、幸せになるよう祈りを込めて。

「よっしゃ。じゃあ帰りも家に寄ってやる。だから、もっといっぱい持ってけ!」
「え、ええ?でも、ご迷惑なんじゃ…」
「あーもー、余計なことは気にすんな!俺からの贈り物だとか、そう言っとけ。」
イノリはそう言うと、出来るだけ花が多くついている枝を、ぱきぱきと選んで手折っては文紀たちに手渡した。
そして出来上がった桃の枝の花束は、文紀と宇敦だけでは運べるわけもなく。
結局彼の厚意に感謝しながら、車で家に送ってもらうことになった。



鴨川を過ぎて四条の屋敷街へ。
ようやく見えてきた橘邸の車寄に、一台の牛車が停まっていた。
見覚えのある従者が下車の用意をし、主が車から姿を現す。
彼は中に残っている幼い姫君へ手を差し伸べ、小さな身体を腕に抱きかかえる。
「あっ、父様っ、兄様と宇敦だわ!!イノリ殿もご一緒よ!」
父の腕の中で、真っ先に千歳がこちらに気付くと、彼らを乗せた牛車が目の前で停まるまで、友雅はそこで待機していた。

「おかえり、文紀、宇敦。それと…イノリはどうしてここにいるんだい?」
「あー、俺は偶然こいつらを見かけてなー」
自分の足で、すとんと車から二人が降りるのを待ちながら、イノリは今日の出来事を友雅に話した。
「そうか。いろいろと世話になったね。」
「いや、別に気にすんな。この車だって、せっかくの借り物だからさ、思いっきり有効活用したかったし。」
笑いながらイノリは言うが、彼がそれっぽっちの理由で子ども達を構うわけがない。本当に心からの親切心で、文紀たちを連れ回してくれたんだろう。

「イノリ、御礼に何か用意させるよ。家に寄っていってくれないか?」
「んー…どうしようかな〜。」
今日一日を鳥居の修繕で費やしてしまったから、仕事も少しやり残したままだし。
出来れば早く工房へ戻り、ひとつくらい注文の品を仕上げたい気もあるのだが…。
「イノリ殿、是非寄っていってくれませんか?」
文紀が下から見上げて、イノリを引き止めようとすると、千歳が同じように続く。
「そうよ、母様もきっと喜ぶわ。まゆきの顔も見て行って。」
「まゆきかあ…」
「随分と大きくなったよ。将来が楽しみなくらいにね。」
でも、彼女はあかねによく似た娘だから、年頃になったらかえって心配になりそうだけどね、と友雅は笑って話す。
「じゃあ、ちょっと寄らせてもらうかな。そうそう、せっかく持ってきた桃の枝も運ばないといけないしな。」
イノリは寄り道することを決めて、文紀たちに続いて車から降りた。
そして、中にある枝を取り出す。

「まあっ、すごいわっ!すごぉい綺麗なお花っ!こんなにいっぱいっ!!」
どっさりと運ばれた桃の枝に、千歳は興奮気味にはしゃぐ。
「いやあ…これはまた凄いね。よく、こんなにたくさんの綺麗な枝を見付けられたものだよ。」
「文紀がさ、良い枝を見付けるのが上手くてさ。欲張ってこんなに、貰って来ちまったんだ。」
「そうなのかい。文紀はなかなかの目利きだね。」
父に頭を撫でられて、彼は照れたように笑う。


「おかえりなさ…あらイノリくん…どうしたの?」
玄関先の賑わいを聞きつけて、あかねが出迎えにやって来た。
その腕には、あの小さな姫君が抱かれている。
「途中で文紀たちと逢って、桃の花探しを手伝ってくれたんだそうだよ。」
「そうだったの?どうもありがとう、イノリくん」
続いて中から祥穂たち侍女が、数人出迎えに来たのだが、皆は揃って桃の枝に感嘆の声を上げた。
「すごいでしょうっ?兄様と宇敦が見付けてきてくださったのよ!」
「それはそれは…。文紀様、お疲れ様でした。宇敦もよくお手伝いしてくださいました。」
小振りの枝は、侍女たちと千歳が抱えて。
一番大きな枝は、イノリが抱えて母屋へと持っていくことにした。

「あー」
あかねの腕の中で、まゆきが声を上げる。
友雅はぷよぷよした彼女の頬に、自分の顔を近付けた。
「ただいま、まゆき。今日は主上から、まゆきへのお土産も頂いてきたよ。あとで、見せてあげようね。」
「え、まゆきの分もですか?何か…いつも色々、主上には気を遣って頂いて恐縮しちゃいますよ…」
今日、千歳を連れて友雅が参内した理由は、桃の節句の祭りの話を聞いた帝に、是非千歳に晴れの衣を…と言われたからだ。
しかし、まさかこんなに小さなまゆきの分も、用意してくれるとは思わなかった。
「良いじゃないか。着飾れるのは、姫君の特権だよ。」
幼くても年頃になっても、美しい衣で身を包んで華やかに。
春に咲く大輪の花のように、咲き誇って眩しく輝く姿を見られるのは、まさに眼福と言えよう。

「あん、ああーん」
「おや?まゆきは何か、お強請りをしたいのかい?」
友雅にバトンタッチして抱いてもらうと、普通なら大人しくなるまゆきなのだが、今日は妙に落ち着かない。
下の方は濡れていないし、もしかして空腹なんだろうか?
「そんなことないですよ。お乳はさっきあげましたし。」
逆に、もうそろそろ寝かせても良いか、と思っていたところなのだ。
けれども、何故かそわそわしているようにも見えるし、何かを探しているようにも見える。



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Megumi,Ka

suga