夏の終わりの秘密のKiss

 002
「やったあ!ほら!」
しゃがみこんでいたあかねが、嬉しそうに立ち上がって友雅に見せた。
ゆらゆらと弾む、小さなオレンジ色の風船。
既に友雅が持つ籠の中には、赤と青のヨーヨーが入っている。
「文紀と千歳とまゆきのみっつ、これで揃いました!」
「ふふ、お見事だね。母上の愛情の証かな?」
金魚すくいとヨーヨー釣りは、お祭りの目玉。
既に金魚は数年前に買ったものが池にいるので、今回はヨーヨー釣り。
本当なら子どもたちが遊びたいのだろうけど、お留守番の彼らの代わりに今日はあかねが代役。
お土産として三人分、ちゃんと手に入れることが出来てあかねも上機嫌だ。

「それじゃ、私も一回やってみようか」
「え、友雅さんも?」
屋台の主人に小銭を手渡して、友雅はその場にしゃがんだ。
「あかねはどれが良い?取ってあげるよ」
「え…っとぉ、じゃあそのピンクのやつ…かな」
やっぱりね、と友雅は手をかざして、比較的近くに浮いていたピンクの玉に狙いを定める。
そうっと、あまり水にこよりを浸しすぎず……
「あ、今!」
覗きこんでいたあかねが声を上げると同時に、すっと勢い良く友雅が手を引き上げると…ピンクのヨーヨーが目の前で揺れた。
「わあ!釣れたー!」
「旦那、上手いねえ。引き上げるコツ分かってる」
「いやいや、家内のタイミングの良い一声に、助けられたようなものですよ」
主人に笑いながら答えると、あかねの左手の中指にヨーヨーの輪っかをはめた。
「頑張った母上の分は、私からのご褒美」
上下するヨーヨーが、ぽちゃぽちゃと涼し気な音を立てながら、手のひらに当たっては何度も弾む。
丁寧に塗った指先のマニキュアと、ヨーヨーの色。
ピンク色の濃淡が、まるで花びらのように見える。

「ちょっとはしゃぎ過ぎちゃいました?」
「良いんじゃないかい?今日は母親役は必要ないし」
「ん、そうですねー」
ぽん!と叩くと跳ね返るヨーヨーの動き。
普段ならこんなことをするのは、きまって千歳なのだけれど…今日は子どもの気分に戻って。
「でも、お土産はちゃんと買っておかないとね。ご機嫌を損ねてしまうから」
「そうそう、それだけは忘れないようにしなきゃ」
笑い合ってから、またあかねは友雅の腕に手を絡める。
未だに参道は人の列が途絶えない。
本堂へお参り出来るまで、もうしばらく並ぶ必要がありそうだ。



なんのかんのでお参りが済んだのは、列に並んでから30分ほど過ぎた頃。
正月の初詣となれば、更に大晦日から人がごったがえしているので、それから比べたらまだマシな方ではある。
本堂から抜けて社務所の近くを通ったとき、二人は宮司から声を掛けられた。
「そうですか、お子様方のお顔を見れぬのは残念ではございますが、夜遅いですから仕方ありませんね」
子どもたちのお宮参りは、すべてここの神社に任せている。
千歳と文紀の七五三の時もそうだし、さかのぼれば結婚式もここだった。
そのおかげか、いつも子どもたちのことまで気にかけてくれている。
「色々とお世話になりましたもんね」
「ああ、うちは特に古くから関わっているし」
経営管理しているミュージアムの所蔵品の中には、この神社から譲り受けたものもいくつかあり、そちらの面でも付き合いが深い。
大きな神社仏閣の壮大さには負けるが、こじんまりした親しみやすいお社を包む鎮守の森の景色も、四季折々で美しく彩られる。

「このお祭りが終わったら、秋になって…紅葉が始まりますねえ」
春は桜、夏は緑、秋は紅葉、冬は雪景色。
見とれているうちに、あっという間に時は過ぎて行く。
「きっとクリスマスとか大晦日も、すぐに来ちゃうんでしょうね」
「つい、この間正月を迎えたと思ったのに…早いものだよ」
365日と言うと、とても多い日数だと感じてしまうけれど、実際はそんなことはなくて。
1日24時間が短いと感じるのと同じ。気がつけば、次の年が巡って来ている。

「楽しい時間はあっという間…本当にそうだね。あの子たちが生まれてからは、特にそれを実感するよ」
「あはは、それはそうかも。慌ただしいですから、毎日」
子犬のように跳ね起きて、元気に学校に出掛けて行って。
夜になって仕事から帰って来ても、その元気はまったく衰えることなく、この腕に飛び込んで来る。
「疲れていても、あの子たちが出迎えてくれると、それだけでパワーチャージ出来るね」
そんな風に話す友雅を見て、あかねは自然と顔がほころんだ。
呆れるほどに親バカで、笑ってしまうほど子煩悩。
出会った頃は、子ども好きなんて素振りはまったく感じられなかったのに、実際に父親になったらこんな状態。

「別に、子ども好きというわけではないよ」
幼い子に触れるような環境じゃなかったし、例えかちあっても適当に無難にスルーすれば良いと思っていた。
文紀や千歳に、あれほどこだわれるのは、自分の子どもだからという理由に他ならない。
「誰だって、そういうものなんじゃないかな?」
「そうでしょうけどね。でも、友雅さんは普通以上だもの」
「そうだろうかね?」
「ええ、そーですよ」
彼が取ってくれたヨーヨーを、子どものように弾ませながらあかねは笑った。
笑っちゃう。笑顔になってしまう。
父親のあなたが、こんなに暖かい空気を作ってくれるから。
子どもたちだけじゃなく、母親の私まで幸せな気分になってしまう。

本当に…あっというま。
まだ、この神社で彼と結ばれた日を覚えているのに。
「こんなに早く結婚するなんて、思ってなかったですし」
だいたい23〜4くらいかと漠然と考えていたのに、まさか10代のうちに結婚することになるとは。
「待ちきれなかったんだよ。もたもたしていたら、誰かに横取りされそうでね」
そんな心配することもないのに、友雅はあかねが高校生のうちにプロポーズを申し出た。
卒業したら一緒になって欲しい…と、ストレートに。
おかげでどれだけ、一族で大慌てになったことか。
付き合っている相手が、橘家の当主だという事実でも大騒ぎになったくらいなのに、そこに嫁に行くとなったら大事件並み。

「最初はハラハラしちゃいましたけど、結婚したら意外とそうでもなかったです」
「あかねのために、過ごしやすい環境を整えていたからねえ」
堅苦しい旧家のしきたりなんて、捕われずに普通通りに過ごして構わない。
君の価値観で生きれば良い。
"この家では、君も主なのだから"…彼の言葉は今も心に刻まれている。


「でも、友雅さんと私の感覚が、どこか似ているから過ごしやすいと思えるのかもですよ」
神社のシンボルツリーとも言える、大きな銀杏の木の下であかねは立ち止まる。
彼の腕に寄り掛かったまま、そっと顔を上げた。



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Megumi,Ka

suga