夏の終わりの秘密のKiss

 001
「ねえ、本当に今年も行かないの?」
「良いの。みんなでお出掛けしたら、まゆきが寂しくて可哀想でしょう?」
「千歳は行って来たら?せっかく新しい浴衣、買ってもらったんだし…。僕が留守番して、まゆきを見てるから」
「そんなの、つまらないわ。兄様もまゆきも、みーんな一緒じゃないとつまらないもの!」

カレンダーの暦は、すでに9月。
二学期が始まって一週間が過ぎた、ある日曜日の親子の会話。
「来年くらいになったら、まゆきも夜のおでかけが出来るでしょ。だから、今年までは我慢するわ」
そう言って千歳は、文紀の腕に抱かれているまゆきの頭を、優しく何度も撫でてやっている。
去年から続いている、こんなやりとり。
夏の面影が残るこの時期になると、橘家の近くにある神社で祭りが開催される。
それほど大きくはないが古い神社で、ここ一帯を護って来た鎮守の社である。
子どもたちにとって、祭りの賑やかな山車や飾り付け、参道に並ぶ屋台の食べ物などは魅力的。
毎年家族で浴衣に身を包み、出掛けるのが恒例になっていたのだが、去年からそれは変わってしまった。

去年、この橘家に生まれた小さな姫君。
とにかく何かにつけて彼女のことが心配で、文紀も千歳も出掛けられないのだ。
昼間ならともかく、夜に乳児を抱えて歩くなんて物騒だからと、連れて行くことは止めようと友雅は思った。
出掛けても長時間じゃないし、その間は女中の祥穂にまゆきを任せておけば良い。
そのつもりだったのだが、子どもたちはそうは行かなかった。
楽しい祭りも、可愛い妹には換えられない。
一人だけ家に残しておくなんて、可哀想でたまらないから、と祭りに行くのを辞退するようになった。
そういうわけで、今年もこんな調子である。

「父様と母様でお出かけして。ちゃんとお留守番しているわ」
「分かったよ。じゃあ父様たちがみんなの分も、ちゃんとお参りしてくるからね」
橘家は代々神社の氏子である。
信心深い性格でもないが、古のしきたりというものは意味があって存在するもの。
季節の神事は常に怠らないように、と心がけている。
「あっ、でもお土産は忘れないでっ」
年上ぶる二人も、やっぱりまだまだ幼い子ども。
お出かけのお土産を強請ることだけは、ちゃんと忘れない。
「はは…分かった分かった。いちごの綿菓子ね、ちゃんと買って来るよ」
「それと、りんご飴も!赤いのね!」
「はいはい、赤いりんご飴ね」
ふわふわ溶けるピンクの綿菓子。
イチゴの香りがする雲のような菓子が、千歳はお気に入りで必ず買って帰る。
そして、色鮮やかなりんご飴。
ちょっと毒々しい感じがする色合いも、最近は自然の着色料を使っているらしく、なかなか健康への配慮が効いている。

「ぱーぱー!ぱーぱー!」
千歳たちよりもっと小さな手が、ぱたぱたと元気に動いて父を呼ぶ。
「大丈夫、まゆきのお土産も忘れたりしないよ。姉上とおそろいで、可愛いものを買って来てあげるからね」
クセのない、母譲りのさらさらした髪。
それを優しくすくうように、友雅は撫でながらまゆきに話し掛けた。


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早いうちに夕飯の支度を始めた。
今夜は子どもたちの分と、祥穂の分だけ用意すればいい。
せっかく出掛けるのだから、二人は外で済ませようということにした。
楽しみだった祭りを辞退する子どもたちのため、今夜の献立は彼らの好みを優先。
カレー風味のポテトサラダに、きのこたっぷりソースのハンバーグ。
デザートには、メレンゲをあしらったりんごのゼリー。
大好きなものを中心として揃え、自分たちが居なくても満足行く食卓にしてやろうと思った。

「それじゃ文紀、二人の姫君のナイトをよろしく頼むよ」
「うん、大丈夫」
浴衣に着替えた両親を、子どもたちは入口まで見送りに出る。
まゆきを抱っこした文紀に、友雅は膝を折って頭を撫でた。
「僕だけじゃないし、何かあったら祥穂もいてくれるし…」
「いやいや。女性を護るのは男の役目だよ?でも、文紀がいれば安心だ」
「ええ、そうでございますよ。文紀様がいらっしゃるので、私共も心強い限りでございますもの」
友雅の言葉に続いて、祥穂が続く。
屋敷内に住み込んでいるのは祥穂一人だが、敷地に隣接してガードマンの家族が住んでいる。
呼び出せば24時間いつでも、飛んで来てくれるだろうから、もしものことがあっても心配はない。
だが、そんな実質的なことだけではなくて。
幼い文紀の真摯な気持ちは、きっとそれ以上の存在になってくれる。

「じゃあね、行って来るからね」
「はーい!ごゆっくり楽しんでらしてね!!」
子どもたちの見送りに、背を向けて二人はくすくす笑いを堪える。
「たまには、こういう外出も良いものだね」
「…たまには、ねー」
玄関に続く足場の岩の上を、下駄でそろりそろりと歩く。
かすれたような足音を響かせると、友雅の肘があかねの腕を突いた。
「さ、ここからは二人だけの時間だし。遠慮なく私の腕をお使い」
深縹の絣の着物の袖が、そっと差し出される。
あかねはちょっと笑いながら、それに腕を絡ませた。
寄り添って歩く距離感は、恋人時代のことを思い出すような。
「いってらっしゃいませ」
車庫で点検をしていたドライバーが、二人の姿を見て声を掛けた。
とぼとぼと、腕を組んで歩く夜道。
神社まではまだちょっと長いけれども、わざとゆっくり歩いてみたりして。

そう、たまにはこんな風に過ごす夜も良い。



「うわ、結構人手が多いですねえ」
夜になっても、神社の参道は賑やか。
屋台はどこも大繁盛と言った状態で、中には行列が出来ているところもある。
食べ物はもちろん、ちょっとした遊びものまで。
大人も子どもも年齢問わず、楽しげな声を響かせてはしゃいでいる。

「昔は二人とも、ああいうのが大好きだったのにねえ」
友雅が指差したのは、おもちゃを射止める射的ゲーム。
小さい頃から弓道を習っている文紀は、そう言った的当てのコツが理解出来ているのか、なかなかの腕前でよくおもちゃを当てていた。
「よく千歳が、『兄様、次はあれが欲しい』とか言ってね」
「そうそう。自分が欲しいものばっかり言って、やまほどおもちゃ貰ったりして」
最後には自分もやりたいと言い出し、慣れない手つきで鉄砲を構えたこともある。
まあ、だからといって千歳が、簡単に当てられないのは目に見えていたが。
「でも負けず嫌いだから、なかなか止めなくて困っちゃいましたよね」
「ふふ…そんなところも可愛いよ。母上によく似ていて、ね」
友雅がそう言うと、つん、とあかねが背中を軽く突いた。



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Megumi,Ka

suga