金銀砂子

 002
その日の昼下がり。
北嵯峨の竹林に、イノリと頼久は揃って訪れた。
つるんで歩くには珍しい組み合わせだが、頼久は今回荷物持ちの役目も兼ねて、土御門家から馬と共にかり出されたのだ。

「んーと、これくらいの枝振りで良っかな」
「もう少し小振りでも良いのではないか?あまりに大きいものでは、場所を取って飾りにくいだろう」
笹竹を見繕いながら、二人は竹林の中を歩き回る。
遠くに聞こえるのは鳥の鳴き声、耳を済ませば小川の水の音くらいの、昼間でも静寂に満ちた空間。
そんな中でイノリの声は、いつもより一層賑やかに聞こえる。
「でもなー、せっかくみんな集まる宴だぜ?こういうのは、やっぱ大きいほうが見映えいいじゃん」
中宮や藤姫が戻った土御門家に、親しい者たちが集まる七夕の夜。
盛大ではないが、きっと賑やかな夜になるのは間違いない。
今夜は、星の一族の屋敷に相応しい宴だ。
「でかいやつの方が、チビどもは大喜びするぜ?」
そう、愛らしい彼女たちが揃って集まる。
想像しただけでも、今宵の楽しい光景が浮かんで来るではないか。
「でっかい竹に、いろいろ飾るんだろ?でかけりゃ飾るところも多いし」
「…そうか。ならば、枝振りの良いものを選んで行くとしよう」
青々とした笹の葉がふわりと枝垂れた竹を、イノリが斧で勢い良く叩き切る。
ぱきっと歯切れの良い音がして、倒れて来た竹を頼久が馬の背にくくりつけた。
切り口から、ほのかに緑の香りがする。
揺れる度、サラサラと涼しげな葉音が山道に響く。

「この辺りは涼しいな」
真っ直ぐに延びた竹に囲まれた北嵯峨は、比較的山深いながらも広沢家や大沢池等の水辺もある。
夏には静かで涼しいため、宇治にも並ぶ別荘地として貴人たちに愛されている。
そんな彼らの別荘生活のために、食材となる果樹や畑を耕す農家や、織物をする家もあちこちに点在している。
「あ、頼久ちょっと待った!」
イノリが何かを見つけたらしく、頼久は馬をそこで止めた。
彼はこちらが尋ねるよりも早く道を駆け下り、青々とした木々の中で作業をしている夫婦のところへと向かった。
何があったのかと、しばしそこで様子を伺っていた頼久であったが、すぐにイノリがあちらから手招きをするので、馬を近くの木に縛って自分も駆け下りた。
「これ、見てみろよ頼久」
辺り一面の木々を指差し、イノリが楽しそうに言う。
「ここって、全部桑畑なんだってさ」
「うちは蚕を育ててるもんでね。桑の葉がたっぷり必要なんだよ」
貴族に好まれる織物は、やはり絹だ。その糸を作り出すには、蚕を飼育しなければならない。
織物師に卸すための絹糸を、この夫婦は家族で生業にしているらしい。
そんな蚕の餌になる桑の木が繁る中、赤や黒っぽい小さなものが緑の葉に交じって見え隠れしている。
「これは…桑の実か」
「そ。赤いのはまだ酸っぱいけど、黒っぽくなってるのは甘いんだよな」
野いちごのような大きさで、小さな粒が集まってひとつの実になっている。
イノリがくれた黒い実を口に入れると、甘酸っぱい味わいが口の中に広がった。

「これ、手土産にしよーぜ。あいつら喜ぶぞ」
「わしらは葉があれば良い。欲しけりゃいくらでも摘んでいって構わんよ」
夫婦はにこやかに微笑むと、自分たちの作業場へと戻って行く。
そしてイノリはといえば、さっそく腕に巻いていた手ぬぐいをほどき、くるっと結び目を作って袋状にした。
「昔さあ、子分たちと山に出掛けたときに、腹減ると摘んで食ったんだよなー。懐かしいなあ」
「イノリらしいな」
一粒また一粒と、熟した黒い実が袋に放り込まれる。
自然からの小さな恵みをいっぱいに集め、二人は馬を連れて山を下りた。


++++


土御門邸でも、今日は朝から慌ただしかった。
久しぶりに姉妹が揃って戻ってきたこともあるし、今宵の宴の支度もある。
「二人とも大丈夫でしょうか」
「藤は心配性ねえ。イノリ殿と頼久なら平気よ」
頼久は腕力も武芸もあるし、イノリはとっさの機転が早いし。
ちょっと柄の悪い者たちに絡まれても、二人ならねじ伏せるのも容易いだろう。
まあ、現在の京は治安も良好で、よほどでなければ悪びれた輩も見当たらない。
そう話しているうちに、外の方が賑やかになった。
車宿に牛車の影が見えると、女房が来客の訪れを伝えにやって来た。

「まあまあ、皆様お久しぶりでございます」
先に彼らを迎え出たのは、土御門家に長く仕えている女房の一人だった。
あかねがここで暮らしていた時も、率先して何かと気を駆けてくれた女房で、こうして時折訪問する時も真っ先に出迎えてくれる。
「文紀様、千歳様、大きくなられましたわね」
「私よりも、まゆきを見て下さいませ。とっても大きくなったでしょう?」
まゆきは千歳に手を繋がれて、白に近い薄桜色の汗衫に身を包んでいた。
「まあ、本当に健やかにお育ちになられてますこと」
「こんにちあー」
頬に手を添えようとすると、舌足らずなあどけない声で挨拶が返ってくる。
何をやっても、すべてが愛らしい。
無邪気な笑顔を見ているだけで、こちらが幸福感に満ちて来る。

「あ、藤姫、中宮様」
屋敷の奥から、数人の女房を伴って藤姫たちが現れた。
「こんにちあー!こんにちあー!」
「あらまあ!とってもおしゃべりがお上手になったのねえ!」
千歳たちが朝から晩まで、しょっちゅう挨拶の言葉を教えているおかげか、会う人会う人に挨拶をしたがる。
でも、挨拶は基本の礼儀だと思うし、これは良い傾向として好きにさせている。
言葉遣いについては、もう少し大きくなってから教えれば良い。
「さあ、中へどうぞ。皆様のお好きなもの、用意してありますのよ」
夏に来客をもてなす場所は、涼を感じさせる風流な場所が良い。
本来ならば釣殿に案内したいところだが、まゆきがまだ小さいので危険がないように、との配慮で寝殿に支度をさせた。

「ふふ、何だか懐かしい。相変わらず綺麗なお庭」
開け放たれた几帳や蔀の向こうに、広大な庭が見える。
四季折々の花が絶えず咲き誇り、池から流れる川の水音も聞こえる。
龍神の神子---あかねのために、誂えた庭。
どんな時でも色鮮やかで美しい庭の景色に、当時どれほど心を癒されたか。

「にーしゃま」
文紀の袖を、まゆきが引っ張る。
「おはな、おっきーの」
小さな指先が示した方向には、背の高い枝に鮮やかな紅色の花が咲いていた。
夏の陽射しに照らされて、花の色は一層際立つ。
「あれは…えっと、葵…だったかなあ」
「え、よく知っていたわねえ、文紀」
母であるあかねも、文紀の答えに少々驚いた。
自宅の庭に葵はない。だから、花の名前など知らないと思っていたのに。
「以前、土御門のお屋敷に伺ったとき、珍しい花だなあって思って。だから、父上に聞いたり書を読んだりして調べたんです」
「まあ…文紀様はとても勤勉なのね」
幼いながらに、疑問を自分で解読しようという心構えは、なかなかなものだ。
書の方でも、良い字を書くと噂で聞くし、弓や笛の腕前もどんどん上達して行く。
「将来が楽しみだわ。文紀様は博学だから、東宮学士など如何かしら?」
「ええっ?と、とんでもないです!僕なんか全然まだ何も…」
中宮からの言葉に対して、まだ何も、と彼は謙遜して言うけれど、”まだ”であって、その先には無限の延びしろがある。
日々の時間を重ね、年を重ねていくうちに、学んだことは彼の中で糧となり成長していくとしたら、未来の彼に期待してしまう。

「そういえば、万葉の歌にも葵が入ったものがありましたわ。確か…最後が"葵花咲く"というものだったかしら」
すると即座に、藤姫が姉の問いに応える。
「梨棗、黍に粟つぎ…でしたわね」

 梨(なし)、棗(なつめ)、黍(きみ)に粟(あは)つぎ、延(は)ふ葛(くず)の、後(のち)も逢はむと、葵(あふひ)花咲く

「恋の歌なのでしょうけれど、あなた方にもぴったりの歌ね」
あなた方に会える日は、花が咲くように嬉しい気分になる。
だから、何度でもあなた方に会いたい。会える日がとても楽しみで待ち遠しい。
どんな笑顔が見られるか、どんな新しい一面を見せてくれるか。
まるで我が子の成長のように、彼らと会うその日が楽しみで仕方ない。



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Megumi,Ka

suga