黄金色の秋の宵

 003
夜が深まるに連れて風は肌寒くなり、灯されている松明の明かりが暖かそうに思えて来る。
紫宸殿の前には舞台が作られ、周囲には簡易的な桟敷席が設けられている。
どこにいても匂いを感じるそれは、菊花の香り。
あちらこちらに黄金色や純白の菊が飾られ、まさに菊花宴の名前に相応しい。
「お久しぶりでございます、神子様。お変わりはございませんでした?」
「うん、私は全然元気、藤姫も元気そう」
「ええ私も、特に問題なく」
昇殿する機会が多い友雅でさえも、藤姫に会う機会はあまりない。
女官として東宮に着いている彼女だから、よほどの事がなければそちらへ渡る理由がないのだ。
「先日お越しになられた時は、生憎姉様に呼ばれておりましたので」
直接会えなかったらしいが、姉の中宮を通じて息災であることは聞いていた。
それを彼から聞き、あかねもまたホッとしてはいたが、やはりこうして直に顔を合わせるのが一番安心する。
今宵は帝の心遣いもあり、藤姫はあかねたちの部屋に通された。
東宮のことは他の女房たちに任せ、気の知れた者たちとのひとときを過ごすといい、とのことで。
「私も藤姫がいてくれて嬉しいよ。みんな出ちゃってるから、一人でここにいたら心細かったもの」
演奏を披露する友雅と子どもたちは、別の場所で支度を兼ねて練習をしている。
御簾と障子で仕切られているので、他人の視線は殆ど届かないにしろ、一人ぼっちで待機するのは肩身が狭い。

舞台の上には、まだ誰もいない。
しかし既に宴は始まっており、それぞれの歌が詠まれている。
帝を始め、皇后や中宮、東宮…。風流な言葉が紡がれる歌ばかりだが、深く読み解くまでの耳はまだあかねは持ち合わせていない。
もっと理解出来たら面白いのだろう。
そう想いながら、今でも度々友雅に教えてもらっている。
「失礼致します。橘家の皆様にお届けものがございます」
「お届けもの?」
女性の声とシルエットが御簾越しに浮き上がり、あかねは藤姫と顔を見合わせる。
おそらく中宮着きの女房の声だろう、と藤姫に言われて入室を許した。
すると、膳を手にした女性たちがぞろぞろと入って来た。
梨、柿、蒸した栗に山ぶどうなどの水菓子。
索餅、伏兎、於古之古女などの唐菓子。
どれもこれも膳の上に、山のようにどっさり盛られている。
「姉様ったら、際限なく用意なさって…」
藤姫は苦笑しつつ、添えられた文を見てつぶやく。
家族揃っての昇殿は久しぶりだから、皆で遠慮なく味わってくれとのこと。
「何だか申し訳ないなあ…こんなにいっぱい」
「後ほどこちらにご挨拶に参られるようですので、その時にお話になると良いかと思いますわ」
子どもたちが来る事を知ってから、この日をとても楽しみにしていた中宮。
彼らの演奏が終わったら、すぐに駆け付けてくるのではないだろうか。

部屋の中には、菊の花を浮かばせた酒が用意されている。
これらを飲んで厄災を払うのが重陽の節句の習わしなのだが、未だに二人ともそれに手を伸ばしていない。
「お酒はちょっと得意じゃないのよね」
家でも殆ど飲むことはない。彼のお酌をしてあげるのが殆ど。
全然飲めないわけではないのだが、強くはないので酔いが早そうだから避けがちなのだ。
「実は私も、あまり…」
そう言われて、あかねは少し安心した。
すっかり大人になった藤姫だけれど、彼女が平気で酒を口にするイメージは全然浮かばないから。
とはいえ、全く口をつけないのも儀式的に問題。ほんのひと舐めだけしてみることにした。
そして、やっぱり苦手だな、と互いに口を揃えた。
「そろそろ、管弦が始まりますわね」
舞台の上に人が集まってきて、あちこちがざわついている。
所謂楽師というプロの演奏に混じって、楽に長けた公達が次々に登場しては楽を奏でる。
そこに自分の子どもたちが加わるのだ。あかねは当然、ドキドキハラハラしっぱなしだ。
「皆様とてもお上手ですもの。心配いりませんわ」
「うーん…」
夕べから友雅も繰り返し"安心して良い"と言ってくれた。
そうは言われても、落ち着けるわけもなく。

「次は、東宮様と永泉様の演奏ですわ」
あかねは顔を上げて外へ視線を向けると、舞台中央に東宮と永泉の姿があった。
箏や笙を手にした楽師が背後に着き、彼らを中心とした演奏が始まる。
永泉の笛は、相変わらず清らかな音色だ。
夜の静寂に溶けて行き、まるで水面の輪が広がるような響き。
そして、初めて耳にする東宮の笛も素晴らしい。
楽に関して素人のあかねも、誠実でしっかりした美しい音色であることは分かる。
「すごいね東宮様…。やっぱり生まれつき才がおありなのね…」
「まあ、そうおっしゃいますけれど、文紀様方も優れた才をお持ちですわ」
幼い頃からそれぞれ楽器を手にし、年を重ねるにつれて着実に腕は上っている。
それだけ飲み込みや上達が早いのは、父親である友雅の血をしっかり受け継いでいるからだろう。
「これからが本当に楽しみだと、姉様も主上もよくおっしゃってますのよ」
「うわぁ…そんな風に言われたら、ますます緊張しちゃうよ」
親が緊張しても仕方ないのにね、と苦笑いを浮かべてプレッシャーを払い除けようとする。
だが、時間というものは待ってくれない。
いつのまにか永泉たちの演奏は終わり、いよいよその時がやって来たのであった。


楽器の準備を手伝ってくれた楽師たちが去り、舞台には四人だけが残された。
左から文紀、友雅、まゆきに千歳と並ぶ。
「まゆき、兄様の笛の音を追って、姉様の琵琶の音に合わせるように弾くのだよ」
「わかりましたわ。ちゃんとおにいちゃまとおねえちゃまの音、聞きながらがんばりますわ」
「大丈夫よね。一緒にたくさん練習したものね」
小さなまゆきがどこまで演奏出来るか。
それが今宵一番の気がかりなのだが、彼女のパートは簡単にしてあるし練習もしたし大丈夫だろう。
だが、もしもつまづいた時はすぐにフォローに回れるように、文紀ともしっかり話し合っている。
とにかく、あまり考え過ぎず演奏する方が良い。
この子たちらしさを壊さないよう、大人の方が気を配わねばならないかも。
「じゃ、頑張ってみようか」
父の言葉にうなづくと、まず---------澄んだ笛の音が松明の炎をゆらりと揺らした。

ゆっくりと広がっていく笛の音は、漆黒の天空へと昇り立つ。
星々のきらめきは音色に反応しているかの如く、今まで以上に明るく瞬き始めた。
文紀の笛に重なっていく深い音色は、友雅の音。
背後から彼を支えるように、控えめかつ絶妙に調和する。
「何て美しい音…」
その声は当然舞台には届くはずもなく、あかねたちにも聞こえはしない。
おそらくどこかの女房の声だろう。しかし、声の主は一人だけではなかった。
「東宮様とは違った素晴らしさですわね…」
「それに、お父上との掛け合いで生み出される音が、何とも言えず優雅で…」
そして、二人の笛の音が響く中へと、艶のある二つの弦の音が絡み合って行く。
とたんに舞台が、ぱっと華やかに明るくなった。
松明の数も炎の勢いも今までと変わらないのに、四つの音が重なったとたんに舞台が眩しく感じられる。
「おお、姫君ですな」
さっきまでは女性の話し声ばかりだったが、今度は男性の声が多く聞こえてきた。
まだ幼いとはいえ、女性二人に焦点が当たれば当然のことか。
「上の姫君はますます、友雅殿によう似てきた」
「見ないうちに下の姫君も大きくなられて、実に愛らしいことよの」
ほぼ屋敷内で生活している貴族の娘とは違い、町中を出歩いたりしている千歳とまゆきの顔は知られている。
しかし一般的な公達は、町中をふらふらと頻繁に歩き回ったりはしない。
だから彼らは千歳たちを目にする機会は少なく、この場所で久しぶりに目にした少女たちの成長に目を奪われるのだ。



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Megumi,Ka

suga