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春の足音
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| 後編/005 |
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部屋の暖かさと静かな雰囲気に包み込まれ、鷹通たちもうつらうつらし始めた頃だった。
ぐっすり眠っていた千歳と文紀が、ぴくん!と子鹿のように飛び起きた。
「…どうしたのです?急に起き上がったりして…」
永泉が不思議そうに顔を覗くが、彼らはこちらなど気にも止めていない。
ただ、お互いに顔を見合わせて…何やら感じ取っているように見える。
「兄様っ…」
思わず文紀を呼ぶ千歳に、彼の方は黙ったまま…静かに首を縦に振る。
何があったのだろう?
双子というものは、他人が介入出来ない特別な感覚があると聞く。
例えば、二人にしか通じない直感的なものが働いたり…。
-------------直感的なもの?
二人が敏感に反応すること………と言ったら、もしや。
鷹通たちが、顔を見合わせた次の瞬間。
「入っても良いかな?早く暖めてやりたい子が、ここにいるんだけれど。」
閉められた戸の向こうで、友雅の声がした。
もしや………が確信に変わり、慌ててイノリが立ち上がろうとした。
が、彼らの素早さには敵わなく。
千歳と文紀がとっさに入口に走って行き、すぐに部屋の戸を開けた。
「ああ、ここは暖かいね。これなら安心だ。」
顔に当たる部屋の温度に満足しつつ、友雅は中に入ると片手で戸を閉めた。
片手で…なのは、もう片方が塞がっているから。
その腕の中に抱えられているのは、小さな小さな生まれたての命。
今にも飛びつきそうな千歳に、友雅はしーっと声を潜める。
「大声で騒いじゃダメだよ。眠っているから、静かにしてあげないとね」
両手で大切な宝物を抱え、彼はその場に腰を据える。
そこにいる誰もが、腕の中をそっと覗き込んだ。
梅の花を溶かしたような、紅色の肌。握りしめている、小さな手と小さな寝息。
安らかに静かに、汚れなき命がここに存在する。
「んー…?男?女?どっちなんだ?」
イノリはじっと観察したが、やはり生まれたてじゃ男女の見分けは付かない。
「酷いねえ、イノリ。こんなに可愛い姫君が、男に見えるのかい?」
「…じゃあ…私に妹が出来たのねっ!?」
「そう。千歳に続いて、我が家にもう一輪花が咲いたというわけだね。」
皆の視線が注がれているのに、小さな姫君は目を閉じたまま。
すやすやと心地良さそうに、父の腕に抱かれて眠る。
「見て見て、こーんなに小さい指っ!」
ふわっとした産毛に、円みのあるふっくらした頬。
思わず触りたくなる気持ちを抑えるのは、至難の業だ。
「こちらの姫君は、あかね殿に似ているように思えますが…友雅殿は、どう思われます?」
「ああ、やっぱり鷹通も思うかい?私もそうだけど、皆もそう言うんだよ。」
和やかな目元に、花びらのように可憐な唇の形と全体の面持ちまで、どことなく母の姿を連想させるような。
「…うん、僕も母上に似てる気がする」
「すっごく可愛らしいわねっ!」
「おまえ、自分の妹だぞー?そういうの、姉バカとか言うんじゃねえの?」
誰も彼もが笑顔になる、不思議なほどに優しい気持ち。
本当に…春の訪れを感じさせるようだね、この子は。
外は静かに、雪に彩られているというのに。
「ねえねえ、父様。この子のお名前はなあに?男と女で、別々に決めておられたんでしょ?」
千歳が友雅の腕を引っ張りながら、子どもの名前を教えてくれと強請る。
周りを見渡してみると、皆同じような顔でこちらを見ていた。
そうだ。この子の名前だ。
あかねと二人で悩みながら、生まれる日まで互いの心の中に閉まっておいた、彼女がこれから生きていくための名前。
「"まゆき"だよ。仮名文字で、"まゆき"。」
まゆき……?
その音を聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、現在の外の景色。真っ白な雪…。
「雪が降る時期に産まれたから、まゆきにしたのか?」
「いや、本当は男君が産まれたときに、付けるはずだった名前に意味が込められてあるんだよ。」
どちらにしても、名前は"まゆき"に決めていた。
ただし、女の子で漢字にすると硬い雰囲気がする、とあかねが言ったから。
「だから、この子はあかねの名前に習って、仮名で"まゆき"にしたんだよ。」
「なるほど。それは分かりましたが…ではもし、男君だった場合は、どのような漢字を当てはめるおつもりだったんですか?」
頼久の問いに友雅は、一旦目を閉じて何かを思い出すように微笑んでから、その答えを皆に打ち明けた。
「男だったらね、"真幸"と付けるつもりだったんだよ。」
親が子どもの名を決めるとき、その読み方や漢字などに意味を込める。
文紀と千歳の時だって、二人の名前に彼らの未来が輝くように、と思いながらあかねと決めた。
「でもね、いくら悩んでみても、結局は…ね。やっぱり親としては、最終的に願うのは、その子の"幸せ"なのだよ。」
幸せと言っても、いろいろな幸せがあるだろう。
健康であることの幸せ、友に恵まれる幸せ、素晴らしい恋の相手に巡り会う幸せ……他にも些細な幸せがある。
「どんなことでも良い。本当に幸せになってくれればね。もう、それだけで十分だと思ったんだよ。」
本当の幸せを、その小さな手に掴めるように。
この子が幸せになることが、親の自分たちにとっての、最高の幸せであるから。
「まゆき様…良いお名前を頂きましたね。」
永泉はまゆきの顔を眺めながらつぶやくと、彼女はむにゃむにゃ身体を揺らした。
ひょい、と千歳と文紀も背を伸ばして覗き込み、ずっと妹から目を離せない。
「まゆき、起きたら姉様と遊びましょうねっ」
「千歳。遊んであげるより先に、抱っこの仕方を教えてもらわなきゃダメだよ。」
「そうねっ。抱っこを覚えたら、母様のお手伝いも出来ますものね」
……と、そこで千歳は、はっとして気付いた。
「父様っ、母様はっ?母様のご容体はっ!?」
母の具合をずっと心配していたのに、まゆきの姿に気を取られていて、ついうっかり忘れていた。
「大丈夫。すっかり落ち着いて、休まれているよ。」
「じゃあ、母上はお元気なのですね?」
友雅が笑顔でうなずいてくれたので、文紀もホッと胸をなで下ろした。
「失礼致します。殿…奥方様が、殿をお待ちでいらっしゃいますよ。」
祥穂が友雅を呼びに、東の母屋へやって来た。
彼女の手には、まゆきに用意した産着も抱えている。
その中にある淡い紅色の産着が、千歳の縫った一枚だ。
「じゃ、まゆきのお守りは兄様と姉様に頼もうかな。大丈夫かい?」
まさか生まれたばかりで、自分たちにお守りを頼まれるとは思っていなかったらしく、千歳と文紀はびっくりしつつも、満面で嬉しそうな顔を浮かべる。
「ええ、平気ですわ!妹のお世話は私たちが頑張りますわ!」
「父上は、母上のお側に着いて差し上げて下さい。お疲れでしょうから…労って差し上げて下さい。」
「頼もしいね。では、お願いするよ」
子どもたちの頭を優しく撫でて、友雅は部屋を出てから西の対へと向かった。
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