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春の足音
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| 後編/003 |
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「うー、今日は冷え込むなぁ」
「遅くなりまして、申し訳ありませんでした。」
揃って顔を出したのは、イノリと永泉。
僧たちを乗せた仁和寺からの牛車に、途中でイノリは拾ってもらったらしい。
「あかねは?もう生まれたのか?」
「まさか、そんな早くは済みませんよ。ですが、先程兆候がみえましたので、産室に入られました。」
せっかちなイノリの問いに、鷹通は苦笑しながら答えた。
「いよいよですね…。」
「また元気な子が生まれると良いよな…………って、あん?どうしたんだ?二人とも元気なさそうじゃん。」
手土産の籠から菓子を取り出していると、イノリは鷹通のそばに座る千歳たちに目を移した。
普段は元気なはずの二人は、何故かうつむいて。
心細くて仕方ないかのように、鷹通にくっついて離れない。
「お二人ともあかね殿のご容体を、ずっと心配されているんですよ」
「そっか。そりゃそうだよな、大変なことだもんな…」
鷹通の腕に千歳はしがみついて、小さく首を振る。
「でも、大丈夫だって!」
イノリは立ち上がると、手に持っていた菓子を二人に分け与えた。
長時間に渡るかもしれないと、姉のセリが持たせてくれた手作りの菓子だ。
元々はあかねから、作り方を教わった芋の菓子なのだが。
「おまえの母ちゃんはな、最初の時は二人も子どもを腹ん中に抱えて、一年近くも暮らしてたんだぜ?」
「……僕たちのことですか?」
「そ。でも、今回は腹に一人なんだし。おまえらをちゃんと産めたんだからさ。心配なんかしなくても良いんだよ。」
友雅が抱いて連れて来るまでは、まさか双子だなんて思っても見なかった。
でも、そんな二人はすくすくと育ち、こうして元気にしている。
「だからさ、母ちゃんのことは心配とかしてるより、"頑張れ"って応援してやれ。そうすれば、その気持ちは母ちゃんに絶対通じるからさ。」
「本当ですか…?」
「そうですよ。お二人の気持ちは、離れていても必ず母上殿に通じますよ。」
顔を上げた文紀に、横から永泉が静かに微笑んで、彼の背中を撫でた。
「そうそう。母上には二人の応援の気持ちが、一番嬉しいに違いないんだよ。」
暖かな部屋に、突然冷たい外気が吹き込む。
風が流れる方向へ目を向けると、部屋の入口の戸が開いていて。
友雅が、そこに立っていた。
長い髪を後ろで束ね、見たこともない純白の装束に身を包んでいる。
「父様、どうしてそんな格好をされているの…?」
「出産というものは、尊く神聖なものだからね。身を清める意味を込めて、白いものを身に着けるんだよ。」
そういえば産室の仕立てや、出産に携わる侍女たちの衣も、祈祷をする晴明や僧たちの格好も、皆同じように白に統一されている。
「母上は…まだ苦しまれているんですか…?」
「ん?まだ生まれるまでは時間がありそうだけど、でも、決して辛くてたまらないようではないよ。」
「本当?お身体、本当に大丈夫っ?」
「ああ、大丈夫。二人がまだ心配していたらどうしようって、母様の方が心配していたよ。」
友雅は彼らを抱き上げ、胸の中に抱きしめてやった。
二人はそんな父の身体に、しっかりとしがみつく。
「"頑張って"って、応援すれば…母様、喜んでくださる?」
「もちろん。母様もお腹の子も、嬉しいって言ってくれるよ。」
こんなにも愛おしい二人の気持ちを、あかねも、そして生まれる子も喜ばないはずがないじゃないか。
周囲にいる者の心さえ、春の陽気のように暖かくさせる、その想いを。
「じゃあ、兄様と一緒に私、頑張って応援していますわっ」
「うん、僕も…」
「それが、文紀と千歳の役目だからね。…そうだ、永泉様、二人に楽でも奏でさせてやってくれませんか?」
急に話を振られた永泉は、ちょっと驚いたように顔を上げる。
笛は常に携帯しているけれど、こんな慌ただしい状況で楽を?
「二人の奏でる音が、きっとあかねたちにも響くと思うのですよ。お願い出来ませんか?」
「ええ、そういうことでしたら…喜んでお引き受け致します。」
子どもたちの、澄んだ音色。
穢れない清らかな笛と琵琶の音が、水面の波紋みたいに静かに空気に広がって…やがてそれは、あかねたちに通じるはずだ。
白一色の産室では、侍女たちが慌ただしく行き来している。
晴明と、永泉が呼んでくれた僧たちは、揃って庇の下で祈祷を続けている。
「今にも雪が舞いそうな天気だね…」
もしかしたら既に、霙がぽつぽつと降っているかもしれない。
冷え込みも、徐々に厳しさを感じ始めた。
「くれぐれもここには、寒い空気を入れないようにしておくれ。生まれたての子が、震えては可哀想だ。」
「ご安心下さいませ。火桶も多くご用意致しましたし、出来る限りで戸も閉じましたので、奥方様の元に冷気は届かぬと思いますわ。」
あかねが嫁いで間もない頃から、千歳たちが生まれ、そして今日に至るまで。
祥穂は常に彼らのそばにいてくれて、より良い日常をと手を貸してくれる、頼もしい女房頭だ。
初めての出産の時も、何も分からず狼狽えるしかない自分の代わりに、あかねの手を引いてくれた。
二度目の今回も、彼女が着いていてくれれば…という安心感が、どこかにある。
「遅くなってすまないね。あの子たちの様子を、見に行っていたものだから…」
ようやく友雅は、あかねの隣に腰を据えて座った。
彼女は徐々に感覚が狭まる痛みに、時折辛い顔をしそうになっては、呼吸を整えて気持ちを落ち着かせている。
「あの子たち…どうでした…?」
「心配していたよ。母様が苦しまれていたら、どうしようって。」
あかねの手を握りながら答えると、痛みをこらえながら彼女は少し笑ってみせた。
「やっぱり…ね。あの子たちホントに…心配性なんだから…」
「それだけ、母上殿を愛しているっていうことだよ。」
友雅の言葉に、反対側に座っていた祥穂も、穏やかに微笑みながらうなずいた。
「あ…っ……くうっ…」
握られていた手を、あかねがぐっと強く握り返した。
何かに反応するように、胎内から重い痛みが打ち寄せて来たからだった。
「奥方様、お力をしっかり持って下さいませ」
「う…ん…まだ平気…。多分、今の話を聞いたから…この子喜んではしゃいだんじゃないかな…」
「そうかもしれないね。優しい兄様と姉様がいて、嬉しかったんだろうね。」
友雅はあかねの肩を抱き、力んで少し熱のある頬に唇を寄せた。
そして彼女と指を絡めあい、膨らむ腹部に語りかける。
「父様も、もうすぐ君に会えると思うと、嬉しくて待ち通しいんだよ。」
これまでの一年近い日々の中、少しずつ彼女の胎内で子どもは成長を続けた。
腹が膨らんで行くという、目に見える変化ではあったけれど…やはりこの子を直に育てているのは母親自身。
自らの身体を投げ打つように、子を育てるためにこうして…苦しみさえも耐えて。
「早く元気な顔を、父様に見せておくれ。そして…母様を早く、楽にしてあげておくれ。」
「…ふふっ…」
優しいあなたの父様が…一番近くで産まれるのを待っててくれているわよ。
もうすぐだから、早く出ていらっしゃい。
大きな声で泣く声を聞かせてね。
そして、父様に抱っこしてもらって…兄様たちに会いに行ってらっしゃい…。
「そろそろ、準備をされた方が良さそうですわね。」
あかねの容態の変化に、真っ先に祥穂が気付いた。
次の段階に向かうために、産室の中は更に慌ただしさを増し始めた。
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