春の足音

 後編/002
「鷹通たちには、東の母屋で待機してもらうつもりなんだけれど」
友雅が指を指した方向。
釣殿のない、池から引いた薄い川が通る東の対。
二重の庇と妻戸で仕切られた、東の母屋は子どもたちと侍女たちの居場所。
廊下をつないで、子どもたちの私室にも通じている。
「ここから見て分かるかい?あの位置に御帳台を作れば、東の母屋とかなり距離を保てるんだよ。」
寝殿の西に近い隅に御帳台。
向かいにある西の対を除けば、彼の言う通りに距離は長く取れる。
「戸を閉めれば、外の音はある程度防げるだろう。あの子たちに、出産の様子を知られなくて済むからね。」
「ああ…そういう理由でしたか…」
そこまで話を聞いて、鷹通は友雅の意図がすべて読めた。

「千歳たちが、あの子が産まれるのを楽しみにしているのは、充分私も分かっているよ。でも、幼い二人には…母親が出産する様子は、酷かもしれないからね。」
あかねが身籠ったことが分かってから、付きっきりで母の側を離れなかった二人。
初めてあの子たちが泣いたのも、あかねが悪阻で寝込んだ時のこと。
苦しみながら、長い時間を掛けて子を産む女性の姿は、何より尊い厳粛な儀式であろうとも、子どもたちには母が苦しんでいることに他ならない。
「いずれは自然に、そういうことが分かるようになる。でも、今はね…あまり気を乱してあげたくないからね。」
「それで、私とイノリに、千歳殿と文紀殿の相手をしてもらいたい、と頼まれたのですね」

出産予定の日が決まった時、友雅は治部省を訪ねて来た。
そして、あかねの出産が事無く終えるまで、子どもたちと一緒にいてやって欲しい、と言った。
友雅が産室に立ち入るため、潔斎を済ませた話は聞いていた。
出産の間は、子どもたちの世話が出来ない。
だから、二人の相手を、と頼まれたのだと思っていたが。
「あかねもね、二人に心配かけたくないから、頼むって言うものだから。」
「…承知致しました。私共は、あかね殿の出産が無事終えるまで、お二人と共にお待ち致しましょう。」
「よろしく頼むよ。」
会話が終わると、友雅たちはようやく再び足を進めた。

「それにしても…お二人がお生まれになって、友雅殿も変わられましたね。」
今度は歩きながら、鷹通がそんなことを口にした。
「どんなお父上になられるかと、当初は不安もありましたが…」
「うん?それで、君の不安は…今はどんな感じだい?」
鷹通は黙ったまま、微笑んで静かに首を左右に振った。
「不安など、微塵も残っておりません。千歳殿と文紀殿を見ていれば、それだけで分かります。」
「いくらなんでも、子どもたちの恥にだけは、なりたくないからねえ」
そのためなら、少しくらい努力をするさ---と、彼は笑った。

健やかに、朗らかに、穢れなく年を重ねてゆく小さなふたつの花。
彼らの後ろで、もうひとつの蕾が咲き開こうとしている。
二人のように幸せを抱いて、この世の眩しい光を浴びるために、あかねの身体の中で時を待っている。




それから、丁度一刻を過ぎた頃だった。
「あっ……来た…かも…っ」
以前にも感じた独特の痛みが、腹の奥から再び響き始めた。
時刻を計ると、さっき泰明の言った通りの時刻。
彼の診断は正確だったと、今見事に証明されたというわけだ。

「あかね、どうする?移動するかい?」
「ん…はい…っ…。念のためにも…あっちで待機しま…すっ」
差し伸べられた友雅の手を取り、祥穂に背中と腰を支えられながら、静かにあかねは立ち上がった。
重い重いと感じていた腹部も、どんどん下に重心が下がってきている。
「母様、大丈夫ですのっ!?お腹の中は平気なのっ!?」
「大丈夫大丈夫。もうすぐ…産まれるからって…合図してくれたのよ。」
「母上…苦しくありませんか…っ?」
「うん、ちょっと暴れられると辛いけど、お腹の子が元気なしるしだから…大丈夫。二人とも、心配しないで待ってて。」
あかねにすがろうとする二人を、鷹通が優しく引き離した。
「二人とも、母上殿は大丈夫ですよ。私たちと東の母屋で、産まれるのをお待ちしましょう。」
「でも、鷹通殿…母様、苦しそうですのよっ?」
どんなに宥めようとしても、彼らの瞳は戸惑いの震えで潤む。

しかし、あかねの容態の変化に気付いてやって来た泰明が、文紀たちの頭に手を乗せて言った。
「文紀、千歳、あかねには何の問題も害もない。心配はするな。」
「泰明殿っ…」
二人は同時に、泰明の顔を見上げる。
「おまえたちの母親は、我々よりもずっと強い心を持っている。それに、龍神の加護が後ろに着いているのだ。安心して待っていろ。」
不思議なことに、泰明がそう言うと千歳たちは黙って、すんなり大人しくなった。
けれども、ぎゅっと彼の衣の裾を握り、懸命に不安を堪えているようにも見える。

泰明はもう一度、念を押すように二人を見下ろした。
「待てるな?」
……息を揃えたように、千歳たちは歯を食いしばってうなづいた。

子どもたちが取り敢えず安堵したようで、友雅たちも気持ちが落ち着いた。
「それじゃ、父様たちはこれからずっと、母様に着いていなくてはならないからね。しばらく顔を見られないけれど、二人とも、早く産まれるように祈っていておくれ。」
そう言って友雅は、あかねの身体を抱き上げた。
彼女の身体自体は軽いけれど、子ども一人分の重さが加わっていると、意外に重さを感じる。
しかし、千歳や文紀を同時に抱くのに慣れてしまった今では、これくらいの重さは何ともなくなった。

「母様っ、頑張ってくださいませっ!」
「母上…すみやかに…産まれますようお祈りしています…」
「分かってる。産まれたら…父様にお願いして、二人のところに赤ちゃんを連れて行ってもらうから…楽しみにしててね?」

母と子らの会話は、そこで終わった。
千歳たちは部屋に残され、あかねは友雅たちに付き添われて、真っ白な布で覆われた部屋へと向かった。


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鷹通は二人を連れ、東の母屋へと移動した。
部屋では既に侍女が待機しており、表と内側の庇をぴったりと閉じられ、火桶で室内の空気は暖められている。
渡殿を通り過ぎる時、吐く息は真っ白な煙となり、外気は思ったよりも冷たく、空もあいにくどんよりとしていた。
こんな日くらい、からっと気持ちの良い青空が広がれば良いのに…と思うが、天気はそう都合良く顔色を変えてくれない。

「鷹通殿、本当に母様大丈夫かしら…」
部屋に着くなり、千歳は鷹通に寄りかかりながら、心配そうに口を開いた。
文紀の方は黙っているが、やはり表情は同じような感じだ。
「心配なさらないよう、泰明殿もおっしゃっていたではありませんか。きっと母上殿は、可愛らしいお二人のご兄弟を連れて来て下さいますよ。」
「あの…どれくらい…時間が掛かるんですか?」
「さあ、それは何とも…。個人差があるようですからね。」

二人が生まれる時も、こうして友雅の屋敷で待機していた。
確かあの時は、結構時間が掛かったような覚えがある。
だが聞いた話によれば、二度目の出産は初産より短時間だとか聞くが、こればかりは予想が付かない。
「お時間が掛かるのなら、それだけ長く苦しまれるんでしょう?母様…お可哀想ですわ…」
どちらともなく、くすん…と鼻を啜る音がする。
ごしごしと目をこする二人を、どうやって慰めて、どうやって落ち着かせてやればいいだろう。
純粋無垢に母を思いやる心を温めてやるには、どんな方法があるのか…。

そんな風に鷹通が頭を悩ませていると、部屋の戸がすっと勢い良く開いた。



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Megumi,Ka

suga