羽衣の調べ

 003
「二人の姿が消えたと聞いて、父様は生きた心地がしなかったんだよ?」
友雅は千歳だけではなく、あかねの隣にいた文紀もこちらに引き寄せた。
そうして彼らの肩を抱いて、あどけない顔を覗き込む。
「衣にはいくらでも代えがある。けれど、千歳や文紀には代わりがいないんだから。あまり父様たちを、心配させないでおくれ。」
「ごめんなさい、父上。僕もすぐに千歳を引っ張って帰ろうと思ったんだけど…」
千歳と違って、文紀は度々笛や弓の稽古に宮城にやって来る。
しかし、そんな時はいつも友雅が連れて歩くのだから、広い敷地内の道を覚えているわけがない。
それでも飛び出して行った妹を、放ってはおけなかったんだろう。
何とか連れ戻そうと、彼なりに必死だったに違いない。

また、千歳もそうだ。
わざわざ、父に逢いに立ち寄ってくれて。
そして、父からもらった衣を探し、後先もなく飛び出して行くのだから。
小言を言いたい気もやまやま…。
でも、それ以上に愛おしさが勝ってしまって、やっぱり頭ごなしには怒れない。

「もう、勝手に飛び出してはダメだからね?困ったら、誰かにお願いしなさい。みんな力になってくれるから。」
「そうですとも。お二人がお怪我などされたら、それこそ大将が悲しまれますよ。何かありましたら、私どもにお伝え下さい。」
友雅に続き、周りにいた将曹や近衛たちが口を揃えてうなづく。
「分かりましたわ。父様が心配されたら困りますもの。」
「良い子だね。そういう千歳と、面倒見の良い文紀が、父様は大好きだよ。」
両腕を広げてぎゅっ抱きしめると、二人はニコニコして友雅にしがみつく。
まんざらでもない様子の友雅を、少し呆れ気味にあかねは見た。
「まったくもう…。どうやっても甘いんだから、友雅さんてば。」
まゆきを抱きながら、幸せの溜息を吐く彼女を見て、将曹たちも笑みが浮かんだ。

「君らも子どもがうろついていて、びっくりしただろう。悪かったね。」
「い、いえ…我々は別に」
子どもたちを抱きながら、若い近衛二人の方を振り返ると、友雅は申し訳なさそうに軽く詫びた。
彼のそばにいる妻のあかねも、続いてすみませんと言いながら頭を下げたので、妙に近衛たちはかしこまってしまった。

しかし、噂にしか聞いていなかったのだが、彼が…左近衛府大将か。
確かに同性の目にも、華やかな印象の男である。これなら浮名をさんざん流していた話も、うなずけると言うもの。
そんな噂も今は昔。
将曹たちがこっそり話してくれたように、目の前で繰り広げられる光景を見ると、随分と中身は様変わりしたようだ。

"うちの大将は、ご家族を溺愛されているからなあ"
笑いながら彼らは、自分たちの上司のことを、そう語った。

その彼らが、徐に数人でその場から立ち上がった。
「では、大将殿。我々はこれから、千歳殿の衣を探して参ります。」
「ああ…悪いね、私的なことをお願いしてしまって。」
「とんでもございません。すぐに、御持ちして戻りますので。」
将曹たちはぞろぞろと、詰所から出て行こうと入口へ向かう。

-----あっ!!!
はっとして近衛の一人が、胸の間に手を押し込んだ。
「すみません!あの、実はこれを…」
彼が取り出したそれは、薄羽のような軽い桜色の衣。
絹糸みたいな細い金糸で、柔らかい花びら模様が刺繍されている。
「ああっ!それ、それですわっ!!私が探していた衣ですわよ、間違いありませんわっ!!」
靡いた衣を見たとたん、友雅の腕の中にいた千歳が、大きな瞳でそれを見た。
千歳が言うように友雅もそれを見ると、間違いない。自分が出先で千歳のために、と土産に持ち帰ったものだ。
「もしかして、見つけて来てくれたのかい?」
「いや、偶然近くの松の木に引っ掛かっていたもので…」
彼女が衣を探している、と言っていたので、もしかしたらこれがそうではないか?と思い、持って来たのだと言った。
「若君様が左近衛府への行先を尋ねておりましたので、こちらに御持ちすれば何か分かるかと…」
彼はそう説明すると、持っていた衣を千歳の前に差し出した。

「どうもありがとう!見つけて下さって、嬉しいですわ!」
「すみません。わざわざありがとうございます。」
「いえ、そんな…」
千歳とあかねから交互に礼を言われ、彼は頬を染めて照れたように頭を掻く。
そんな彼の元へ、千歳がトトト…っとやってきた。
「父様から頂いたもの、なくしたくなかったの。貴方様のおかげですわ。本当に感謝致しますわっ。」
「あ、ああ…いや、そのっ…」
小さな手がしっかりと彼の手を握り、見上げるその瞳はきらきらと瞬く。
ひだまりのような明るさと、どこか艶のある満面の笑顔。
何故だか無性に、どきどきしてくる。


「失礼致します。橘大将殿、いらっしゃるか?」
よくよく今日は、左近衛府は慌ただしい。続々と出入りする者が後を絶たない。
次にやって来たのは、さきほどまで帝の御前で、友雅と一緒だった大納言。
友雅やあかねたちの姿を確認した彼は、ホッとしたような表情を作る。
「ああ、皆様まだお揃いで良かった。実は主上が、皆様がお越しになっていることを聞かれ、清涼殿へお招き下さっておりますよ。」
「ええっ!?」
びっくりして声をあげたのは、あかねである。
帝の前に参内することには、ほんの少しだが慣れて来たけれども…こんな急に言われては。
何せ自分も子どもたちも、普通用の外出着。とてもこれでは、帝の前に行けるような装いではない。

「気にせずとも宜しいですよ。それは、主上もご承知の上でのお言葉です。」
それに……と、大納言は彼女の腕に抱かれた、小さなまゆきをちらっと見る。
そして徐に、友雅の耳元でこっそりと告げた。
「まゆき殿を御連れになっているとのことで、主上が是非とも御会いしたいと申されておりましてな」

はあ、と友雅が、ひとつ溜息をこぼす。
前々から会う度に、まゆきに会わせて欲しいとは言われたが、いつにしようかと機会を伺っていたところだ。
しかし偶然とはいえど、こんな状況を知られたら…無視するわけにも行かないか。
「分かった。この子たちを連れて向かいますので、主上にはくれぐれもお詫びを伝えて下さい。」
「承知致しました。主上もさぞかし、お喜びになるでしょうな」
大納言はそう言いながら、ちゃっかりまゆきの顔を覗き込むと、指先を動かしてあやしている。
初対面の彼にも、きゃらきゃらと喜んで笑うまゆき。
人見知りと縁遠い彼女の性格は、まさに兄姉譲りだ。
「友雅さん、本当に良いんですか?」
「大丈夫だよ。主上には、ちゃんと言っておいてもらうから。」
不安そうなあかねの肩を抱き、落ち着かせるように友雅は頬に口付けをした。

「では、内裏まで我々がお送り致しましょう。」
ぞろぞろと将曹が立ち上がり、ガードマンのように友雅たちの周りを囲んだ。
数人の将曹を従えて歩くなんて、一体どこのお偉い方の行列か?と皆驚くのではないだろうか。
「それじゃね、いろいろとお世話様。」
友雅は子どもたちを連れて、詰所を出て行く。
その腕には千歳が抱かれ、片方で文紀の手を握る。

ふと、千歳が友雅の肩越しから、ぴょこんと顔を出した。
そしてニコニコ笑顔を見せながら、小さな手をぱたぱたと振る。
思わず…自然と誰もが彼女の仕草を真似た。そして表情も。


「相変わらず、可愛らしい方々だ。」
彼らが去って静まり返った詰所で、将曹たちが笑いながらそうこぼす。
「おまえたち、千歳殿を前にして照れていただろう」
「えっ!そ、そんなことはっ…!!」
慌てた近衛たちは、何故かますます顔を赤らめる。
それを見て、皆が笑い声を上げた。
「隠すな隠すな。ああも愛らしくては、照れてしまうのはしょうがない。」

春風のような甘い余韻。
そう、まるで彼女が探していた桜色の羽衣のように、千歳たちの残した残像は、彼らの周りに柔らかく漂っていた。






-----THE END-----




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2010.06.27

Megumi,Ka

suga