羽衣の調べ

 002
--------左近衛府詰所。

「もう、二人とも勝手に飛び出してって!心配したのよ!?」
珍しくあかねが千歳たちを前に、少し強い口調で小言を言う。
文紀は素直に"ごめんなさい"と言って、ぺこりと頭を下げた。
だが、千歳はというと、悪びれもせずあかねの方を見上げる。
「だって、衣が飛ばされちゃったんですもの。」
「そんなの、後で探せば良いでしょう?それに、お家へ帰れば他にもたくさんあるでしょ!」
「あれは父様が下さったのよっ!!。とっても気に入ってたんですもの、無くすのなんて嫌だわっ」
千歳は全く引き下がる様子を見せない。
困った頑固者の姫君に、周りにいる近衛たちは苦笑する。
だが、とは言っても宮城は広い。
右も左もよく分からない子ども二人が、無鉄砲に飛び出していったら…間違いなく路頭に迷う。
門を含めて四方八方を、多くの者が警備に携わっている大内裏の中であるから、よほどの危険はないにしてもだ。

「母上、ごめんなさい…。」
しゅんとして頭を垂れる文紀は、見ていると何となく可哀想になってくる。
彼は、飛び出した千歳を連れ戻そうと、追い掛けて行って一緒に迷っただけ。
本当は怒りたくはないのだが…とあかねは思う。
かと思えば。
「でも、どうすれば良いのかしら。衣が見つからなかったら、父様がっかりしてしまうわ。」
相変わらず千歳の方は、まるで懲りていない。
あかねは、はあ…と溜息をついて、すうすうと眠るまゆきを胸に抱く。


「あのー、すみませんがー…」
詰所の戸が、がらりと開いた。
若い近衛が二人やって来たのに気付き、将曹の一人が中から出てきた。
「何だおまえたち、急用か?」
「いえ、その…」
二人はそうっと、詰所の中をぐるりと見渡してみる。
すると、さっきの子どもたちが奥の部屋に座っていて、隣に母親らしき若い女性もあった。
その胸には小さな赤子が抱かれていて、それを将曹たちがわいわいと囲んでいる。

…何なんだろう、この和やかムードは。
武官たちが十数人集まっているというのに、緊張感はおろか、子どもたちと共にほのぼのとした空気。
「なるほど。無くされたのは、金糸の刺繍が入った桜色の衣ですね?」
「そうですの。父様が旅のお土産に下さったものだから、絶対に見付けたいの。大丈夫かしら?」
「何人かで探させましょう。おそらく、どこかに引っ掛かっているのかもしれませんから。」
さっき見かけた少女は、将曹と一対一で話していて、将曹の方も彼女の言葉をすんなりと承っている。
「すみません、娘が余計なお願いをしてしまって…」
「いえ、これくらいのこと、容易いものですよ。」
どうやら将曹は、彼女たちの母とも随分懇意な関係のようだ。

一体彼らの正体は、何なのだ。さっぱり分からなくなって来た。
左近衛府の武官の家族らしい、というのだけは分かったが、果たして誰の?
こんなにも将曹たちと親しいとなると、まさか屋敷に招かれたりしている仲なのだろうか。


「すまない。ちょっとそこを、どいてくれるかい?」
背後から、ほのかに侍従の香りが漂って来た。
近衛の背中をかき分け、詰所の中へと入ろうとする男は、すらりとした長身で、緩い波の長い髪を靡かせる。
「うちの家内と子どもたちが、ここに来ていると聞いたのだけど。」
彼の少し慌てた様子に、将曹がすぐにやって来た。
「ああ大将殿、みなさまはこちらでお待ちですよ。申し訳ありません、急にお呼び立て致しまして。」
将曹が彼に事情を説明をしようとすると、さっきの少女が後ろからたたたっと駆けてきた。
「父様!」
少女が思いっきり彼に飛び付くと、小さな身体をしっかりと両腕が抱き留める。
嬉しそうな顔の少女と、少し困ったような顔の彼と。
その互いの顔が揃った瞬間、印象がぴったりと重なり合った。

大将…左近衛府の大将。
若い近衛たちは、はっとしてようやく彼に気付いた。
左近衛府大将、橘友雅。
四位少将として早くから帝に仕え、側近或いは懐刀と称された男。
楽や歌など芸に長け、随分と艶やかな浮き名を流していた…と、今も話題が絶えないと聞いていた。
そうか、この少女たちは彼の子どもだったのか。
道理で面影がよく似ているし、特に娘の方など父の艶やかさそのままだ。


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そもそもの発端は、土御門家に向かうための外出だった。
久し振りに藤姫が里帰りしているので、頼久や世話になった女房たちへの挨拶も兼ねて、あかねは子どもたちを連れて出掛けたのだ。
楽しい時間を過ごし、屋敷へと戻る途中で陽明門に近付いた時のこと。
「千歳がね、父様のお仕事場に立ち寄ってみましょうよって、そう言ったものですから。」
陽明門から左近衛府までは、すぐの距離。
警備が整っているため、普通はそう簡単に出入りすることは無理である。
しかし、"左近衛府大将・橘友雅の家族"と一言告げれば、ほとんどは顔パスだ。
「何しろお二人のことは、有名ですからな。」
あとからやって来た近衛たちも混ざり、和やかな空気は更に詰所を包み込む。

「内緒で顔を出して、父様のこと驚かせたかったの。」
「…十分に驚いたよ。」
父の腕に抱えられ、のほほんと答える千歳に対し、友雅は溜息をこぼす。
清涼殿で帝との謁見の最中に、突然左近衛府の現少将が慌ててやって来た。
何を告げるかと思ったら、"千歳と文紀が宮城で行方不明になった"と。
将曹たちを集めて捜索しているが、ともかくあかねとまゆきは詰所で待機しているから、早めにお戻り下さらないか、と言われた。

どうして彼らが、宮城へやって来ているのか。
それにも驚いたが、何より子どもたちの行方が分からないという方が問題。
「主上もびっくりしていたよ。おかげで、すぐに詰所に戻るように、言って下さったけど。」
一体千歳たちは、どこに行ったのか。
ハラハラしっぱなしで戻って来たが、どれほど道中不安でならなかったか。

「父様が下さった衣がね、風に飛ばされてしまったの。それを探そうと思って。」
青空も清々しい穏やかな良い天気だったが、時折気紛れな風が吹く。
車宿で降りたとたん、その風は千歳の頭上をひゅうっと通り抜けていった。
そしてその風は、彼女が被っていた桜色の衣を連れ去ってゆき、ひらりひらりと風の行く方へと飛んでいってしまった。
「そうしたら、この子ったらもう、それを追い掛けて、すぐに外に飛び出して行っちゃって…」
「一人で危ないと思って、僕もすぐに追い掛けたんだけど…」
自分だけで歩くなんて、二人とも慣れているはずがない広大な宮城。
右も左も馴染みのないものが多く、知らない顔の大人ばかりが通る道。
恐れも知らない千歳は、衣を追い掛けてどこまでも走っていくし。
彼女を見失っちゃいけないと、必死で着いていったのだが、気付くと……現在地を見失っていた。



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Megumi,Ka

suga