あたたかい冬

 002
今朝は随分と、あちこちから賑やかな声が聞こえる。
慌ただしいというよりも、黄色い声に近いような、はしゃぎ気味の声ばかりだ。
「彼らが昇殿する時は、それだけで皆大賑わいだね。」
そんな内裏の様子を、帝は清涼殿から微笑ましく眺めたあとで、ゆっくりと自らも腰を上げた。


「藤姫様っ、お久しゅうございますっ」
抱かれていた友雅の腕の中から、すとんと軽やかに降り立った千歳は、足早に藤姫のところへ駆け寄って行く。
弾けるような瑞々しさに、周囲からは自然と笑みがこぼれた。
「お久しくしておりました、千歳様。まあ、また少し丈が伸びられたのではございません?」
「すこぉしですわよ。でも、兄様の方がずっと大きくなられましたわ。」
「それは喜ばしいことですわね。……あら、文紀様は?」
話のそばから、もう一人の姿が見えないことに、藤姫だけではなく女房たちも揃って辺りを見渡す。
しかし、彼の姿はどこにも見えない。
友雅の後ろにもいないし、何より二人揃っての華やかさが、今日はどこか物足りないような。

「期待させて申し訳ないね。実は、今日は彼に留守を任せているのだよ。」
必ずと言って良いほど、昇殿する際は二人一緒だった。
それがまた、今になって何故突然?
「もしや、お身体の具合でも優れませんの?」
「いやいや。そういうわけじゃないよ。ただ…」
こんな風に言うと、少し語弊があるかもしれないけれど-----と、友雅は最初に断りを入れる。
「あの子には、外出よりも大切な役目があるのでね。今回は自分から、昇殿は辞退すると言って来たんだよ。」

そんな話をしていると、すうっと奥の部屋の戸が開き、薫高い白檀の香りと共に部屋の主が姿を現した。
「まあ!千歳様、いらっしゃっていたのね!」
千歳の姿を見つけた藤壺宮は、その後ろにいる友雅の姿など目に入らず、真っ先に彼女のところへ駆けつける。
腰を折り、小さくふくよかな千歳の手を取り、きらりと光る彼女の目を見上げた。
「相変わらず、花のように愛らしいお姿ですこと。再び御会いできるのを、楽しみにしていたのよ?」
「私のような者に、藤壺様よりそのようなお言葉を頂けるなど、勿体無うございますわ。」
まだ齢五つの少女が、背筋をぴんと伸ばしてはきはき答える姿は、実に愛らしくて周りの空気を豊かにする。
けれどもまた藤壺宮も、辺りをきょろきょろと見渡して、もう一人の姿を探した。

「姉様、本日文紀様は、お屋敷で留守を預かっていらっしゃるそうなのですよ。」
「なあに?お留守番をされているの?友雅、あなた…まだ五つの子に、そんな大役を押し付けて、どういうつもり?」
思わぬところから、突然友雅の方に矛先が向けられた。
藤壺宮の性格を察すれば、文紀の顔が見えなければ残念がるだろうと、おおよその推測は出来てはいたが…まさかこちらに文句を言われるとは。

「お言葉を返す無礼をお許し願えますか、藤壺様。今回は彼の意志を、父として尊重した故のことでございまして。」
「文紀様が、ご自分でお留守を預かるっておっしゃったの?」
友雅は黙ってうなずいた。
このままじゃ、父親の自分に文句を言われ兼ねない。
それに、文紀自身のためにも、彼の意志をきちんと説明した方が良いだろう。
彼がどんな心で、家に残ると言ったのか。


「昨夜、一緒に風呂に入っている時に、あの子が自分から"明日は家に残りたい"と言い出しましてね。」
急なことだったので、友雅も少し驚いた。
性格的に、元から控えめな子ではある。
あまり大掛かりな場所に出向くのは、やはり重荷だったのだろうか…と思ったが、そういう心配は不必要だった。
「母上のお身体が気がかりだから、もしもの時のために自分は家にいたい、と言うのでね。」
「まあ…そんな事を」

男とはいえ、たかだか五つの子どもに出来ることは、たかがしれている。
もしもの時があったとしても、腕力も体力もゼロに等しいだろう。
だが、そんなものはどうでも良い。
重要なのは、彼が抱いたその心である。
「あかねの体調は、全く問題はなく順調です。出産は二度目ですし、身の回りのことは侍女たちが全て理解してくれている。心配することはありませんよ。」
もちろん、ずっと自分がそばにいてやりたいのはやまやまだが、そうはいかないのが現実。
何かあってもぬかりないよう、皆には気をつけてもらっている。

でも、それでも…
「あの子がそんな風に、あかねの事を労ってくれているのだからね。その厚意を、無駄には出来ませんよ。」
その小さな手で、出来る限りのことをしようとして。
母のことを、そして彼女の中に息づく自分の弟か妹を、精一杯護ろうとしているその心を。



「本当に文紀殿は、心優しい若君だな。」
背後からの声に、その場にいる者たちはすぐに姿勢を正した。
幼い千歳も、この空気は既にきちんと理解していて、腰を折って父のそばで深く頭を垂れた。
「主上がお越しになられているのを気付かず、申し訳ございませんでした。」
「いや、構わぬよ。良い話を聞かせてもらい、こちらが礼を言いたいくらいだ。」
帝は穏やかに微笑みながら、そこにいる幼姫の手を取った。
「久しぶりに、そなたと会えて嬉しいよ、千歳殿」
「主上の御前にて、ご無礼な作法、大変失礼致しました。」
「そんなことはない。そなたが生まれたときからの、付き合いではないか。もっと砕けて良いのだよ?」
とは言ってもねえ…と、藤姫たちは苦笑する。

殿中の女房たちに留まらず、帝もまた、千歳と文紀に対しては特別視している。
まるで我が子…または、孫のように慈しみ可愛がる様は、まさに溺愛と言っても過言ではない。
「文紀殿と会えないのは、残念ではあるが、彼の想いを尊重してあげねばな。」
「そうおっしゃって頂ければ、有り難く思います。」
友雅の言葉に、帝は千歳の頭を優しく撫でながら微笑んだ。


「それにしても、文紀様は本当にお優しくて慈しみ深くて、素敵な殿方でいらっしゃるわね」
藤壺宮がそう言うと、皆が笑いながらうなづく。
「可愛らしくて、しっかりしていて凛々しくて。まだ齢五つだなんて、とても思えませんわね。」
「ええ、本当に。笛もお上手で。良い音色を奏でて下さって。」
「弓や蹴鞠も、素晴らしい腕前ですのよ。」
「そういえば筆使いも、美しいと聞きましたわ。和歌など読まれたら、さぞかし見目麗しいでしょうねえ。」
次々と女房たちが、揃って文紀の賛辞を繰り返す。
我が子の事とはいえ、まだ年端も行かないというのに…。
ここまで賞讃されると、父としてもくすぐったい気がするが、悪い気はしない。
「父様父様、皆様にこんなことおっしゃられたら、兄様照れられて黙りになってしまいますわねっ」
くすくす笑いながら、千歳が友雅にコッソリ耳うちをした。


「本当に、友雅の子とは思えないわ…」
はあ、と感嘆のためいきを着いて、藤壺宮が文紀を思い描きながらつぶやく。
「これはまた、手厳しいお言葉を。文紀もこの子も、間違いなく私とあかねの、愛の結晶ですよ?」
「そりゃ分かってはいるけれど、ねえ?藤、貴女はどう思う?」
「私ですか?私にそんなことを問われても…」
答えに迷っている藤姫を待たず、友雅を見ては、再び藤壺宮はためいきをこぼす。
「確かに、見目の艶やかさや多芸に秀でているのは、友雅譲りだと思うわ。でも、こーんなに慈悲深くお優しくて、しかも真面目なんですもの!とても、父上とは似ても似つかないわ。」

すぱっと包み隠さず、はっきり言ってのけた発言に、思わず帝が笑い声を上げた。
「友雅、言われ放題だな…そなた」
「まあ…自覚してはおりますけれどもね…。」
さすがの友雅も、ここまで言い放たれては、苦笑いするしかなかった。



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Megumi,Ka

suga