冬色四重奏

 002
そんなことは、侍女たちがすることなのだから、妻である君はのんびりと待っていれば良い。
台盤所で侍女たちに紛れながら、小袖姿に着替えて行き来しているあかねに、友雅はそう言った事がある。

だが、彼女は友雅を見つめて、そう答えた。

『その人に喜んでもらえるものは、出来れば自分で作りたいって思いませんか?』

自分が、その人を思いながら心を込めて作ったものを、喜んで食べてくれたら嬉しいから。
だから、その人のものだけでも良いから、自分で用意をしたいのだ。
あかねはそう言って、台盤所に立つ事を許して欲しい、と友雅に願い入れた。
彼に、その言葉をはね除ける方法はなかった。
初めて-----胸が熱くなったのだ。
真っすぐに自分を見て、そう答えた彼女の心が、言葉にならないほどに強く締め付けられて。
それでいて、春の日だまりのように暖かで。

「だから、母様はいつも食事の用意に携わってくれているんだ。大好きな人が、美味しいって喜んでくれるものを、自分が作ってあげたいからだって。」
「大好きな人に?」
「そうだよ。文紀とか、千歳のことだね。二人が美味しいって、そう思ってくれるのが嬉しいから、いつも母様は支度をしてくれているんだよ。」
彼女は心のすべてを組み込んで、自分たちに思いを分け与えてくれる。
あたたかく優しい味わいがするのは、きっとそのせいだ。
それこそ、彼女自身なのだから。

「母様はきっと、父様のこともすっごく思って作ってくれているのよね!」
きらきらと輝かせた大きな瞳で、父の顔を見上げる千歳を見て友雅は微笑んだ。
「そうだね、きっとね。」

「なあに?みんなで、何かお話していたの?」
朝餉の膳を手にしたあかねが、祥穂たちと共に部屋に戻って来た。
何やら楽しそうに話をしている父と子供たちの様子を見て、そう尋ねてみると三人が揃ってこちらを見る。
そして、まず千歳が明るい笑顔を作って、あかねに言った。
「母様の作られるお食事って、とっても美味しいってお話してたの!」
「……ど、どうしたの?いきなりそんな話題、どこから飛んで来たの?」
みんながそんな話をしているとは思わず、あかねは戸惑いながらも、素直にはきはきと答えた千歳の答えに、少しだけ照れくさくなった。

「うん、僕も母様の作られるもの、美味しくて大好きだな」
「な、何?みんなして何か企んでるの?突然そんなこと言って…」
一人だけ、何も言わずに微笑んでいる友雅に、目配せで合図をしてみたのだが、彼は特に何も言ってはくれなかった。
ただ、子どもたちを抱きかかえて、彼らの言葉に満足しているような表情で、あかねのことを優しく見つめていた。

+++++

朝餉が済んだあと、物忌みとは言っても外出しなければ構わないから、ということで、友雅は久しぶりに文紀に弓の稽古をしてやろう、と申し出た。
文紀が喜んで支度をしに行くと、続いて千歳が琵琶を教えて欲しいとせがんだので、彼は快くそれも受け入れた。
「友雅さん、良いんですか?さっきはあんなこと言ったけど、本当は疲れてるんじゃないですか?」
後片づけを終えて、子ども達がそれぞれの用意に姿を消したあと、あかねは友雅の隣に腰を下ろして彼を気遣った。
「いいや、平気だよ。滅多にあの子達と一緒にいられないし。こういう時だからこそ、二人と触れ合っている方が逆に癒されるよ」
朝早く出仕して、それから屋敷に戻っても、夜警でまた夜は出掛けてしまうのが友雅の日常だ。まるまる一日を子ども達と共に過ごせるのは、わずかにこういう機会しかない。
喜んで自分の周りを着いて来る彼らを見れば、日々積み重なった疲労など消えてしまうだろう。

庭が見えるように、あかねが戸を開けた。
庭からゆっくりと広がってくる空気は、まだ冷たい。火桶のぬくもりも、一瞬で溶けてしまいそうだ。
食後にもう一杯、生姜湯を入れる。
今度は彼一人のためだから、甘さは少し控えめに。

「さっきの話だけれど、二人が言っていた話。どうしてそんな話になったか、知りたいかい?」
「あ、そうそう、それ!一体どうして、いきなりそんな話になったんですか?びっくりしましたよ。」
再び隣に腰を下ろしたあかねに、友雅は千歳たちのことを教えてやった。
すると彼女は、ほのかに笑いをこみあげた。
「何だ、そういう事があったんですか…。」
「他の家の奥方は、皆そんな感じだっただろうからね。さぞかし宇敦も不思議だったんじゃないのかな。」
「でも、こういうことしている方が、性に合ってますしねー、私。」

土御門家にいた頃にも、部屋の掃除やら台盤所に詩紋と一緒に押し掛けて、藤姫や侍女たちにきゃあきゃあ騒がれたものだけれど。
それもいつのまにか当然のようになって。
やっぱり大人しく人形みたいにしているのは、自分には堅苦しくて似合わなかったと自覚できる。
「確かに、じっとしているのは、君らしくないかもしれないね。止めるのも聞かずに、飛び出して行くような神子殿だったから。」
あかねは少し拗ねたように、友雅の肩を叩く。
-------そんな、自由な彼女に惹かれたのだ。

友雅は、あかねの手を取る。
水仕事を終えたばかりの、彼女の手はひんやりと冷たい。
「手が冷たいね」
「洗い物してましたからね。でも、お湯を沸かして足しながらぬるま湯にしてたから、そうでもありませんよ。」
そう言って笑うけれど、しっとりと水を含んだその手のひらは、彼を毎夜暖めてくれるぬくもりには程遠い。
冬の夜、帰宅した彼の手をそっと包んでくれる、小さな手は火桶の暖よりも染み入る暖かさを持っている。
例え雪が降り注ぎ、夜半過ぎの空気を凍らせたとしても、その手があれば身体と心は凍らない。

彼女の指先を包み、頬に寄せて、そして友雅はその手に口付けをする。
愛しさを込めて。
「やだ…そんなことしたら、冷たいですよ、いくらなんでも。」
恥ずかしそうに頬を染めながら言うあかねを、友雅は見上げて微笑む。
「そんなことはないよ。どんなものより、ずっと暖かいと感じるよ。」
彼にとっても、そして子どもたちにとっても。
母の心と、愛する人への想いを抱いた彼女の手のひらは、いつまでも春の暖かさを携えている。


「そういえば、あの子たちは良いけれど、友雅さんはどうなんですか?」
子供たちの支度が済むまでの、わずかな二人だけの時間の中。
あかねは友雅にもたれかかりながら、そんなことを尋ねてみた。
千歳と文紀が、自分の作る料理を気に入ってくれているのは分かったけれど、もうひとつ気になることがある。

「っていうか…今更聞くようなことじゃないけど…友雅さんは、私の作るものは気に入ってくれてます?」
「ああ。逆にこの世界では、考えつかないような味があったりして面白いよ。それは、君にしか出来ないことだよね。」
あかねにとって当たり前の味覚が、彼女の手によって再現される。
そしていつのまにか、この世界に溶け込んで行く。
「不味くないですか?甘いほうが良いとか、辛い方が良いとか、そういうのなら調節出来ますから、気になったら言って下さいね?」
「分かった。でも、今の所は何も問題ないから、安心して気楽にいつも通りにしていれば平気だよ。」
友雅の言葉にあかねはホッとして、もう一度彼の肩に寄り添った。

「…何ですか?」
もたれかかる彼女の肩に手を回して、ゆっくりと友雅はあかねの顔を覗き込む。
その瞳は深くて澄んだ色合い。
そして静かに微笑みを描いて、動いていた彼女の唇を塞ぐ。
「さっきの生姜湯ね、暖かくて良かったんだけれど、もう少し甘みが欲しかったからね。」
「だったら、蜂蜜をもう少し入れてあげたのに。」
重なっていた彼の唇に、そっと指先で触れてあかねが言う。
「そんなものより、あかねの唇の方がずっと、何倍も甘いからね。」
彼の笑い声は、それほど長く続かなかった。
相手の唇が、再び口を塞いでしまったから。


「父様ー?母様ー?もうお部屋に入ってよろしいかしらー?」
びくっとして、二人は顔を上げた。千歳の声は、廊下の方から聞こえている。
もしかして、今までの状況に気付かれてたのかも…と思うと、親としてどんな顔をすれば良いのやら。
そりゃあ喧嘩するよりは良いけれども…まだ四つくらいの子どもには、ちょっと早すぎる知識を与えてしまったかも…。
「構わないよ。入っておいで。」
友雅が言うと、千歳は祥穂に琵琶を持ってもらいながら、部屋の中へ入って来た。

あかねは何でも無かったように、平然と姿勢をごまかしつつ、友雅は千歳を自分の膝元へ招いた。
「寒いのに廊下で待たせてしまって、悪かったね。」
いつもと何ら変わらない態度で、今度は千歳を抱き寄せる友雅に対して、彼女は何の迷いもせずに答えた。
「いいえ、構いませんわ。祥穂に言われたの。父様と母様が仲睦まじくされているから、もう少しお部屋に入るのはお待ちしましょうって。」
ちらりと横を見ると、あかねの顔は真っ赤になっている。
千歳のそばで琵琶を抱える祥穂は、にっこりと微笑んでこちらを見ている。
その表情の違いが妙におかしくて、不謹慎ではあるが笑いが込み上げて来た。

「本当に千歳は聞き分けの良い、親思いの素敵な姫君だよ。」
ぎゅうっと胸の中に閉じ込めて抱きしめると、小さな身体と手足が友雅の袖を掴んで、あかねと祥穂に向けてにこやかに笑った。


「父様、用意が出来ました。」
庭先に目をやると、自前の弓を手にして文紀が立っている。宇敦も一緒だ。
「二人とも凛々しいね。それじゃ、稽古の成果を見せてご覧。終わったら、母様に暖かいものでも作ってもらうと良いよ。」
友雅が言うと、あかねも微笑んでうなづいた。
「じゃあね…僕は葛湯が良いな」
文紀が迷わずに注文したのは、あかねが雪が降った夜だけ、眠る前に作ってあげる甘い葛湯のことだ。
滅多に作ってもらえるわけではないから、こういう機会にはねだってみたかったのだろう。
「母様の葛湯、温かくて好きなんだ。宇敦も飲んでみたいって言ってたから。」
するとまた、近くの千歳が口を挟む。
「それなら私も!私もきちんと父様の教えて下さった曲が弾けたら、ご褒美に頂いても良い?」
「…はいはい、わかりました。それじゃ、みんな頑張ってちょうだいね。」
葛粉なんて貴重なものだから、あまり好き放題に使えるものではないけれど…まあ今日は大目に見てやろう。
雪は降りそうにないけれども、一日くらい特別な日があっても良い。

文紀は宇敦と共に、庭へと駆けてゆく。
それを、友雅は千歳を抱きかかえながら眺めていた。
静かにあかねはその場から立ち上がって、葛湯の用意をしに台盤所へ行こうとすると、友雅がこちらを振り向いた。
「私にも、1杯頼むよ。甘みは、さっき充分頂いたから控えめでね。」
背を向けていたから分からないけれど、多分あかねは熱の込み上げた頬に手を添えて、足早に部屋を出て行っただろう。
その姿を想い描くと、自然な笑みが浮かんで来る。

「父様、兄様が弓を射りますわよ」
腕の中で、千歳が文紀を指差した。
幼い手が引く弓矢が、木枯らしを裂くように真っすぐと宙を進み、以前よりも中央にずっと近い位置へと突き刺さった。


「短い期間で、随分と上達したね、文紀」
父の言葉に文紀は少し照れながら、母によく似た笑顔で応えた。





-----THE END-----



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