幸せを唱えよう

 003
「友雅様は、保育園でも人気がおありですねえ」
後部座席での親子の会話を耳にした運転手が、笑いながら口を挟んだ。
彼は60代間近の男性で、父の代から橘家の運転手を務めている。
当然、友雅のことも幼い頃から良く知っているわけで、噂の類いから事実に至るまで把握している数少ない人物の中の一人である。
「お友達の言葉は嬉しいけれど、まゆきは父様をどう思っているんだい?」
「まゆきもかっこいーくて、だいすきー!」
「ふふ、まゆきの言葉が父様はいちばん嬉しいよ」
「おねーちゃまとおにーちゃまのは?」
「もちろん、みんな嬉しいよ。父様も皆のことがいちばん大好きだからね」
手を握り合って、お互い頬にちゅっとスキンシップ。
こんなことは日常的なこと。どこまで可愛らしいんだか、この親子は。

「ねー、かぁさまは?かぁさまのだいすきは、とぉさまいちばんじゃないの?」
「うーん、母様と父様の間にある大好きは、まゆきたちの言う大好きとはちょっと違うんだよ」
自分にとって家族とは、世界で一番大切なもの。
彼らから与えられる幸福は、世界で一番尊いもの。
だけど彼女は、家族でもあり妻でもあり…本当の恋をした人でもあるから。
巡り会って、そして恋が芽生え、結ばれて愛に変わる。
恋が熟成されて出来上がる愛情というものは、二人の間にしか存在しない。
それらを糧にして、この子たちが生まれた。
熟成された愛情とは、こんなにも栄養が豊かなのか。
「まゆきたちも、いつか父様たちのような大好きが分かるようになるよ」
いつか恋を知ったら、甘酸っぱい感情が心に芽生えたら。
まだまだ知って欲しくない気もするけれど、自然とその時はやって来るのだろう。
願わくば、その時も彼らがこんな笑顔でいられるように。
自分たちのような、恋の幸せを味わえるようにと。


「祥穂ただいまー」
玄関先で帽子を脱いで戸を開けると、祥穂が二人を迎え出た。
「おかえりなさいませ。奥様から先ほどご連絡がありまして、小学校に寄ってお帰りになるそうですよ」
「そうか、なら安心だね」
彼女のことだから、会場を出る時間を下校時間に合わせたのだろうな。
ついでだし…と言うだろうけれど、子どもたちをいつも考えている人だから。
まゆきを祥穂に預け、友雅も着替えのために寝室へと向かう。
小学校の下校時間までもう少し時間があるから、この後もまゆきに付き合ってやろう、と考えて着替えを済ませリビングへ。
するとそこには、祥穂が一人だけだった。
「おや、私のお姫様はどうしたのかな」
「少々眠そうなお顔をされていましたので、お休みになっております」
毎日保育園で一生懸命遊んでいるようだから、充電が切れてしまったのかも。
帰りの車の中でも、ずっと話しかけていたくらいだし。
「でもまあ、保育園でも楽しく過ごしているようで良かったよ」
入れてくれたコーヒーを飲みながら、園長から聞いたまゆきの様子を祥穂に話す。
いつも子どもたちを迎え出る祥穂には、既に承知のことかもしれないが。

「私としては、そのような友雅様を見るのが大変楽しく感じますよ」
祥穂はそう言って、自分もコーヒーを口に運んだ。
橘家の当主となる唯一の跡取りが、なかなか身を固めてくれないと先代から愚痴を聞かされていた彼女。
先代が亡くなった後も友雅の世話をしながら、結婚する気があるのだろうかと心配していたものだ。
「でも、時間が掛かった分、最高の相手を見つけたからね」
「そうですわね。おそらくご両親も喜ばれておりますよ」
可愛い妻と子どもたちに囲まれたこの家を、遠くで眺めながら両親も幸せを味わっているだろう。


やがてインターホンが鳴り、祥穂が受話器を取る。
「奥様お着きになったそうですが、荷物があるので外までお手伝いを頼めないかとのことですが」
「それは大変だ。お迎えに出なくてはいけないな」
友雅はすぐに玄関を出ると、外に車が停まっていた。
トランクケースが開かれていて、紙袋や箱がいくつかそこに置かれている。
「おかえり。これはどうしたんだい?」
「父様ただいま帰りましたわ。これ、母様がお花の会場でお土産に頂いてきたのですって!」
文紀と千歳は紙袋を両手に抱えているが、箱まではとても持てないので、それを友雅が抱え上げた。
「みなさん、家族の分まで下さったんですよー」
あかねの家族のことは誰もが知っているから、贈り物は全部家族の人数分揃っているものばかりで。
お菓子も子どもたちが好きそうなものを選んだとかで、至れり尽くせり。
「まゆきも喜ぶかしら?」
「ああ、きっとね。今はお昼寝中だから、起きたら食べさせてあげると良いよ」
足下に気をつけるようあかねの手を取って、子どもたちを連れ玄関に戻る。
そして祥穂が、おかえりなさいと言ってまた皆を出迎える。
それらは何の変哲もない日常の風景だけれど、そんな変わらない出来事が幸せの証でもあるのだ、と思ったりする。


「それでですね、陶芸家の先生が何人もご挨拶に来るんですよ」
「華道は陶芸とも縁深いものだからね」
「だから、人間国宝の先生ばっかりなんですもん。もー、緊張しますよー!」
帯を解いてもらいながら、あかねは今日の出来事を話した。
でも、永泉がいてくれて良かった。一人だったら、どう対応していいか分からなくてパニックになったかも。
「やっぱり訪問着を新調しておいて、正解だっただろう?」
入賞のお祝いに、彼が仕立ててくれた京友禅の訪問着。
生地は濃いめのピンクだけれど、清楚で品があり良く似合っていると会場でもよく言われた。
「お祝いの品にしては、ちょっと高価すぎる気はしますけど…」
「大切な人を喜ばせるためには、何事も惜しまない主義なのでね」
冗談を言うように笑って彼は言うが、それは真実。
子どもたちのために、予算も時間も余裕がある限り惜しまない人。
そして、彼が言う"大切な人"の中に、妻の存在を絶対入れ忘れたりしない人。

「ありがとうございます。大切に着ますね」
彼の手に自分の手を重ねて感謝の言葉を口にすると、友雅がその仕草を見てくすっと笑った。
「それ、保育園で誉められたよ」
君が子どもたちに教えた、感謝を伝える言葉。
たった五つの文字を組み合わせただけの、簡単な言葉なのにそれは大きな力を持っている。
「みんなが幸せな気分になれる、最高の言葉でしょ?」
言った方も言われた方も、耳にした者すべての心が暖かくなる優しい言霊。
「あかねに似合う言葉だね」
君自身も、君から生まれたあの子たちも、そんな言葉がしっくり来る。
君たちからその言葉を聞きたくて、自然と前を向いている自分がいる。
本当は、自分が言いたいのだ。
幸せな時を与えてくれる君たちに、感謝の言葉を。

『まゆき様が、お目覚めになりましたよ』
祥穂からの電話で、眠り姫が目覚めたことを知らされる。
「あの子たちがお待ちかねだ。楽しい場所へ移動しようか」
「そうですね。いっぱいあるお土産、みんなに分けてあげなきゃ」
二人きりの時間も楽しいけれど、子どもたちがいれば楽しさは一気に倍になる。
甘い時間と賑やかな時間。どちらも幸せには違いないから、今は目の前の場所に足を踏み入れよう。

君の手を取って、幸せの言葉を唱えて。





-----THE END-----




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2015.01.27

Megumi,Ka

suga