幸せを唱えよう

 002
「で、如何ですか。まゆきは周りの子たちとも仲良くしていますか?」
「ええ、いつもたくさんの子に囲まれて」
近隣に同い年くらいの子どもがいないので、遊び相手は千歳たちしかいない。
そんなまゆきが初めて経験する社交場が、この保育園という環境だ。
上手く他人と交流出来るか気になっていたけれど、心配ないようでホッと一安心。

「お姉様の千歳ちゃんもそうでしたが、まゆきちゃんもご挨拶がしっかりお出来になりますわね。それが、お友達に好かれる理由なのかもしれません」
園長はまゆきの様子を思い浮かべながら、思い当たる節を友雅に告げた。
登園した朝に顔を合わせると、元気におはようございます、と挨拶をする。
帰宅の際には、さようならを忘れずに。
友達だけではなく、父兄や教員にも必ず声を掛ける。
「ありがとうやごめんなさいも、ちゃんと言えますね」
「ふふっ…それは妻が教えたのですよ」
自分が嬉しいことをしてもらったら、相手に必ず笑顔で"ありがとう"を言うこと。
相手が困るようなことをしてしまったら、頭を下げて"ごめんなさい"を言うこと。
子どもたちが小さい頃から、子守唄か呪文のように何度も伝えた。
「特に"ありがとう"については、かなり教え込んでいましたよ」
"ありがとう"という言葉は、誰が受け取っても良い気分になる魔法の言葉。
だから、お礼を言うときは相手に聞こえるような声で、はっきり"ありがとう"を言いましょう。
-----------あかね自身が、両親から教えられたのだという。
「それは、とても良い教えですわね」
既に卒園した千歳の姿も、思い出すのは笑顔でありがとうと言ってくれた姿。
可愛らしい声で、元気に挨拶をして。
彼女たちの周りには、いつも賑やかで暖かな空気が流れていた。

「良いお母様ですこと」
「誉めて頂けるような子に育ったのは、すべて妻のおかげですからね」
父親の自分など、仕事で家を空ける時間が圧倒的に多くて、残業や休日出勤を一切なくし、定時に帰宅して出来る限り家族と過ごす時間を作るのが精一杯。
祥穂が手伝ってくれているにしても、家事や子どもたちのことを毎日こなしている彼女には、正直尊敬の想いしかない。
そんな風に言う友雅に対し、園長は穏やかに微笑んで言う。
「お父様もたくさん遊んで下さるって、まゆきちゃんはおっしゃっていますよ」
それに、彼女の母親も。
「毎日子どもたちと触れ合うことを、忘れない方だとお聞きしております」
「私の方があの子たちに、疲れを癒してもらっているので」
家族の話をする表情が至福に満ちているのを、彼は自覚しているだろうか。
夫婦同士の愛情と、子どもたちへの愛情。
子どもたちから両親への愛情、兄妹同士の愛情…。
こんなにもたくさんの愛情に包まれて暮らしているなら、心豊かな子に育つのも無理はない。
だから彼女たちを眺めているだけで、心が温かくなってくるのだ。


透明感のある鐘の音が、一日の終わりを告げる。
「それじゃ、今日はこれでおしまいです。また明日、元気でお会いしましょうね」
「今日もいちにち、ありがとうございましたーっ」
神様に感謝のお祈りを終えると、子どもたちはロッカールームへと消えて行く。
ドアの向こうに目をやってみたら、別クラスの保育士が手招きをする姿が見えた。
「何、何かあったの?」
「まゆきちゃんのお迎え!今日、お父様が来てるの!
「えっ!?うそ、ちょ、ちょっとホント!?」
キョロキョロと辺りを見渡すと、中庭の方がざわついている。
お迎えに来た保護者が集まる場所だが、もしかしてそこに彼が……いた!!
子どもの送り迎えにするのは大半が母親なので、女性に囲まれると頭ひとつ出るため否応にも目立つ。
いや、目立つのは長身だからというわけではなくて、見た目のせいなのだけど。

保育室のドアが開いて、子どもたちが次々と出て来る。
彼女たちはマリア像の前でもう一度お祈りをし、迎えに来てくれている人物をそれぞれに探す。
「とぉさまー!」
友雅の姿を見つけると、全速力でまゆきが走って来る。
その小さい身体を受け止めて、優しく両腕で抱き上げた。
「おかえり姫君。今日もたくさん楽しい時間を過ごしたようだね」
「いっぱいいっぱい遊んだのー。おともだちといっぱい遊んだの」
「それは良かった。でも、家に帰ったら父様とも遊んでおくれ」
彼らの姿を遠巻きに眺めるギャラリーは、半ばうっとりした雰囲気。
見目麗しい男性と可愛らしい幼子が戯れる光景は、ほっこりほのぼの。
だが、ふっくらしたまゆきの頬に触れる指の仕草は、親子というよりもまるで恋人を扱うかのような。

「…まゆきちゃんて、お母様に似てるよね」
隣のクラスの保育士が、ぽつりとこぼした。
姉の千歳は完璧に父親の友雅似だったが、まゆきはいつも送り迎えする彼女の母によく似ている。
笑い顔とか声のトーンとか、母の面影を強く受け継いでいる。
そんなまゆきだから…
「奥さんに対しても、あんな感じなのかなあ…」
つい彼女を母親と重ねてしまう。
家庭重視の子煩悩で、同時に愛妻家と有名らしい彼。
妻に対してもあんな優しく甘い眼差しで、宝物に触れるかのように抱きしめるのだろうか。
「……うらやましい…」
無意識にぽろっと本音をこぼすと、彼らがこちらへと近付いて来た。
ど、ど、どうしよう?こ、こ、こっちくるけどっ!
彼らが一歩踏み出すたびに、若い保育士(もちろん女性)たちは何とか平静を保とうと努力する。
「いつも娘がお世話になっております」
「え、え、あ…とんでもないですううううっ!」
真正面から至近距離で見るのは、おそらく今が初めてだ。
だけど、見れば見るほど何と言うかホントに…。
「せんせいが貸してくれるクレヨン、すごくいっぱい色があるの。それでね、おはなの絵をかくといろんな色のおはながかけるの」
「そうか。まゆきの絵がカラフルなのは、先生のセンスが良いからなのだね」
「いえいえいえいえ!そんなことないですーっ!」
お世辞とは十分に分かっている。
けれど、笑顔でそんなこと言われたら舞い上がってしまうじゃないか、女性なら。
本当に、どうしてこんな人がビジネスマンなんだろう。
ルックスをウリにしたって、十分トップを狙えるくらいなのに…もったいない。
「はぁ…アップに耐えるわ」
その場を立ち去っても色あせない、鮮やか過ぎる残像。
彼がやって来る時は、毎回こんな感じだ。


チャイルドシートにまゆきを乗せ、車は自宅への道を進む。
まだ外は十分に明るい。こんな時間に帰宅することなど滅多にないから、車窓からの景色も少し違って見える。
「とぉさまあのねー、きいてー」
「ん?お姫様のお話なら、どんなことでも聞くよ」
身体を固定されているにも関わらず、一生懸命こちらを覗き込もうとするまゆきに、友雅は自分から顔を近付けた。
するとまゆきは大きな目をきらきらと輝かせ、にっこりとこんなことを言った。
「あのねー、おともだちがね、言ってたの!とぉさまのことかっこいーねって!」



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Megumi,Ka

suga