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翼の設計図
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| 007 |
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雪はやみ、もうすぐ陽が昇ろうとしている頃だった。
聞き慣れない騒がしい足音が透殿を渡り歩いて来るのに気付いたのは、土御門家から出向いている胡葉だった。
「休んでいるところを申し訳ない。誰でも良いから…すぐあかねの部屋に来てはくれないだろうか?」
御簾の向こうによぎった影からの声に、早々と袿に着替えた胡葉が顔を出した。
「少将殿、如何なされました?あかね様のご容体に何か……?」
「……ああ、いや…とにかく寝所へ向かってもらえるかい?私にはどうすれば良いのか…どんな状態なのかも全く分からないものだから…」
滅多に見ることもない友雅のわずかな動揺に、あかねの体調に何か異変が起こったのだとすぐに察した胡葉は、一度御簾の中に戻ってから侍女たち全員を起こして、あとから寝所へ参るようにと告げて先にあかねのところへ向かった。
「いつごろから、このような状態を…?」
「ついさっきだよ。いつもならしばらくすれば引くのに、今回は痛みが全く和らげないというから……。もしものことがあっては、と思ってね……」
侍女たちが揃ってあかねの周りを取り囲み、その真ん中で彼女は苦しみを顔に浮かべながら、うなされるように目を閉じている。
祥穂が立ち上がって、廂にいる友雅のそばにやってきた。彼女は真摯な表情を浮かべ、落ち着いた口調で、こう告げた。
「殿、そろそろかもしれませぬ。これから用意をせねばならないでしょう」
「………ということは」
いよいよ…二人の心から命が生まれ出る。その瞬間が、目前にまでやって来ているのだ。
あかねの苦しみのあとには………命がそこに産声を上げるのだ。
衣に隠された胸の奥で、鼓動が少しずつ早まってゆく。
その時、庭先から季節はずれの蝶が舞い込んできた。外はまだ雪が残っているというのに、気が早すぎるのでは、と不思議に思いながら友雅が手を伸ばすと、それは指先にそっと止まって突然話を始めた。
『友雅、産室の支度を整えろ』
「…………泰明殿、か?」
この蝶は泰明だ。彼が気を移してここまでやってきたのだ。
『丁度今日は吉日だ。すぐ支度を始めろ。間に合わなくては困る。さっさと指示を出せ。』
あかねの懐妊を真っ先に察した泰明が、これからはじまる橘邸の一大事をまたも予測したに違いなかった。
■■■
産室の模様替えは夜を通して行われ、ここに来てようやく帝から譲り賜った白木の御帳台や屏風などが役目を果たすこととなった。
独身貴族生活の友雅の屋敷では、当然ながらこれまで一度も出産など行われていなかったため、産室の用意などは全くと言って良いほどなかった。そのため早々と数ヶ月前から、帝より産室の白装束一式を与えられたのである。
支度を終えた寝殿の母屋は、雪に彩られた庭の風景のように白に包まれている。その中であかねは数人の侍女たちに支えられながら、今にも顔を出しそうな子供の身体を苦しみながら支えていた。
その日の朝早く、橘邸に一台の牛車が止まった。その中から降りてきたのは、安倍晴明である。勿論、泰明の姿も後に続いている。
「泰明が今朝ほど神子殿の気の乱れに気付きましてな。そろそろ御子が生まれる兆候にあるとのことで、祈祷のお手伝いでも出きればと参ったわけなのですが、私では役不足ですかな?」
「いや…とんでもない。泰明殿ならいざ知らず、晴明殿にまでお力になっていただけるなど…もったいないほどですよ」
誰もが一度は彼の力にすがりたくもなる。そんな晴明が自らあかねの出産の祈祷に立ち会ってくれるという。
更に晴明は友雅に言った。
「先程、御室の法親王殿から僧侶殿を数人こちらへ向かわせてくださっているとの連絡が参りましたぞ。ですからあとは私たちにお任せ下され。少将殿はごゆるりと、その時をお待ちくださればよろしいですぞ。」
頼もしい力が、あかねの周りに集まりはじめる。
それはまるで、龍神の力に引き寄せられる八葉の四神の如く。
今までになく屋敷は人の出入りが時を追う毎に激しさを増し、雪の積もる寒さなど誰一人として感じる者はいなかった。
永泉が向かわせてくれたのは、全て名高い寺院の僧侶たちばかり。彼らはあかねのいる寝所の周りで、早々と祈祷をはじめている。
そしてその少し離れた場所では、晴明が祓いの法を行っている。勢揃いした彼らの顔を見た者は、皇族つながりでもない一介の殿上人の出産などとは、おそらく誰一人思わないだろう。
泰明が晴明の手伝いを終えて、東の対にある母屋に戻ってきた。
「友雅、気を休めろ。おまえが動揺しても何にもならぬ。」
妻戸にもたれるようにして座り込んだまま、顔を上げようとしないでいる友雅の姿を見て、泰明が戒めるようにそう言った。
「分かっているよ。だけど…あかねの姿がこの目で確認できないことが不安でならない…。」
彼の言うように、今こそ冷静にこれから起こることを受け止めねばならないと知っているのに、握りしめた手のひらの中でじっとりと汗が溢れている。
そして、震え。
寒さではない小刻みの手足の震えが治まらない。まるで何かに怯える子供のようだ。
足早に向かえば、そこにはあかねがいる。だがその中に入ることは許されない。
時折、僧侶たちの祈祷の声に紛れて聞こえてくる、苦しみの声が友雅の耳について離れてくれない。
あの小さな身体で、命という尊いものを抱え込んで…そしてこの世に芽生えさせようとしている苦行とも思えるものを一人で受け止めて。
「できるなら、あの苦しみの半分でもいいよ。私が請け負ってやりたいね…。親という同じ立場にありながら…どうして男はここでじっと待っているしか出来ないのだろうか?」
「お師匠の話では、難産ならば更に酷い苦しみを味わうとのことだ。現状では神子は順調に出産の時を迎えようとしている。寄りましには悪霊などの気も見受けられない。すべて問題ない。おまえが悩む必要はない。」
そうは言うが、無理だ。あのあかねの声は耳を塞いでも聞こえてくる。
涙を流している声。寂しいと言いながら、この胸の中で泣いたときの声と似ている。
あの声が聞こえている限り、身体の震えは止まることはない。そしてその声は胸をしめつける。
「普段の夜でさえ、心細いから私にそばにいて欲しい…と言う。そんなあかねが、今ひとりで…しかも子供を産み落とそうとしているのだろう…?この私の手があかねを落ち着かせることが出来るのなら、ずっと着いていてやりたい。それはいけないのかい?」
友雅の、何一つ包み隠さない本心の言葉だった。
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