翼の設計図

 005
その日、土御門家は一通の文から大騒動が湧き上がった。

「神子様がご懐妊っ!?」

橘邸から届けられた文を開いたとたん、叫び声にも似た藤姫の声が屋敷中に響き渡った。それと同時に彼女の部屋へと、一斉に侍女たちがかけつけてきた。
「姫様!それはまことでらっしゃいますか?あかね様が……御子を授かられたとのこと……」
「ええ、ええ!ご覧なさいませ、文に書いてありますわ!先日、泰明殿がその気を感じ取り、その後薬師のお話で、間違いなく確かな瑞兆が見受けられるとのお返事を頂いたと…!」
「まぁ……それは何と嬉しゅうお話でございましょう………」
ほのかに姫百合の香りが映る文を取り囲む彼女たちには、二人の姿を見て取れるわけではない。だがおそらく、新しく生まれ出る命を抱えた友雅とあかねの表情は、微笑ましく、そして更に愛情深いものとなっていることだろう。

高欄の向こうに、長身の姿が影になって映った。
「……藤姫様、今のお声は………」
結い上げた髪を揺らして、そこに頼久は立っていた。少し弾む息づかい。おそらく彼も、藤姫の声を聞いてかけつけてきたに違いない。
「頼久もご覧なさい。神子様が……御子を授かられたと……」
八葉という任を任された時から、自分の命ごと彼女に捧げて忠誠を誓ってきた頼久のことだ。友雅のところへ嫁いだあとも、彼女のことを気にかけ続けているのだろう。藤姫は御簾の向こうにいる頼久へ、その文を手渡して見せた。

手に取った文を開く。そこには確かに……懐妊の言葉が綴られていた。
「神子殿は……お幸せにお過ごしになっておられるのですね。」
「ええ。本当の事を言えば、少将殿の奥方になんて不安を抱いていたのですけど。でも神子様を迎えてから、これまでの華やかな話題もとんと耳にすることもなくなって。私としても安心しましたわ。」
十歳そこらの幼い少女が、保護者のように大人びた言葉であかねの事を語る。それが何と微笑ましいことか。頼久は黙ってその姿を見守るように微笑んだ。
共に過ごした時間の中で、未知の価値観を持った異世界の彼女が…今、この京の空気と一体となって子を育み続けている。
「母子共に、ご無事で出産を終えられますことを、私もお祈り申し上げております。」
「私も……毎日すこやかに神子様が御子をお産みになられますよう、お祈りを続けなくては。」
二人は友雅の屋敷にいるあかねを想い描きながら、そうつぶやいた。

「そうですわ!神子様がご出産をされるのならば、私たちもお手をお貸ししなくてはなりませんんわ!」
突然思い立った藤姫は、立ち上がってくるりと侍女たちの方を向いた。
「いいこと?神子様ははじめてのご出産。お一人でお暮らしの時間が長かった少将殿のお屋敷ですから、女人に必要な手が足りないのは間違いありませんわ。この中から何人か、あちらのお屋敷で神子様のお世話に向かって頂きましょう!。勿論、無事に御子がお生まれになるまで、お付き添い頂けるように。」
そう藤姫が告げると、一斉に侍女たちが色めきだった。
……今や愛妻しか目の入らない友雅と言え、やはり京の女人たちの華やかな噂の種の中心にいるのは彼だ。あかねの世話をすることも勿論だが、友雅の屋敷へ出向くなど滅多に出来ることではない。
あかねへの思い入れの強い彼女たちのこと、邪な感情は全くないのだが…出会うきっかけなど滅多にあり得ない彼女たちだ。しかもそばで友雅の姿を拝めるなど、願ってもいない幸運。

予想通り、その後我も我もと名を挙げる侍女たちの、かしましい声が賑やかに土御門家を包み込んだのは言うまでもない。


■■■


---御所---

左近衛府に待機していた友雅に、帝から昇殿するようとの伝達があった。おそらくどこかから話が漏れて、あかねの懐妊の噂が帝の耳にも届いたのだろう。
少し日差しが強い。日をよけようと扇を開くと、目の前に人影が映った。

「友雅殿、お待ち下さい」
声に反応して顔を上げると、そこには勤勉で真面目、友雅とは全く正反対の噂を持つ治部少丞が立っていた。
「おや、君がこんなところまで出歩くなんて珍しいね?何か用事でもあったのかい?」
鷹通は一寸分も乱れのない装いと、真っ直ぐ穏やかな口調で友雅の方を見ながら言った。
「水くさいことをおっしゃらないで下さい。お噂……お聞き致しました。あかね殿がご懐妊されたとのこと…一言お祝いを申し上げねばと、こちらに参ったところです。」
「ああ……悪いね、気を遣わせてしまったかな」
「とんでもない。このような祝い事のご挨拶をおろそかになど出来ません。ましてや…あかね殿のことであれば尚更です。」
その言葉に、友雅は軽く微笑んだ。
相変わらずの真っ直ぐな答え。迷うことなく正論をはっきりと口にする真摯さ。それが鷹通の良さでもある。将来を有望視されるのも無理はない。
同じ白虎の恩恵を受けているとは思えない……と、自分と比較して友雅は思った。




清涼殿へ向かう友雅の足取りを、鷹通は追うようにして着いて歩きながら会話を交わした。周囲を彩る緑は鮮やかに木漏れ日を吸収し、生き生きと輝いている。
「ご出産の予定は、翌年の初春頃とお聞きしました。」
「ああ、そうみたいだね。私たちが八葉として、龍神の前に召し上げられた時期と同じ頃だ。」
「正直なところを申し上げますと、友雅殿のお考えをお聞きしたいと思い、こちらに参ったのです。」
「私の考え?優秀な治部少丞殿に私が伝授するようなものはないよ?」
鷹通の少し前を歩いていた友雅は、振り返って彼を茶化すような口振りで言う。こういうところは、普段の友雅と全く変わりがない。
だからこそ、鷹通は尋ねたいと思っていたのだ。

「ご自分が父親となることを……少将殿は、どうお考えになっているのですか?」

友雅の足が止まった。

彼はそのまま、眩しそうに天に輝く太陽の方向を見上げた。例え瞼を閉じたとしても、その強い光はわずかな隙間から入り込んでくる。そして、肌に熱を突き刺してくる。
「鷹通は私を、どういう風に見ているんだい?」
逆に問いを投げかけられた鷹通は、振り向いた友雅から目を反らした。

面と向かっては言えない。
だが………お世辞にも彼が家庭というものの中心に納まるという姿は、安易には想像しにくい。
良くも悪くも、奔放に人生を楽しんでいるのが友雅らしいといえばらしいのだ。
確かに、あかねを妻に迎えてからの彼の日常は別人のようだという周囲の言葉に、うなづかずにはいられないところもあるが。

「正直言うとね、どうも自分でも…まだ不思議な気がしているんだよ。勿論、いずれはそうなるのだろうか…と思ってはいたのだけれど、急にそんなことを言われて……驚く暇もなかった、という感じかな。鷹通、君は私が父親になるなんて、想像できるかい?」
鷹通は黙ったままだ。………友雅の父親像など、思いつかないのだ……。
「しかも…あかねが母親になる。子を産むのだよ…?。まだ幼い娘だと思って…愛らしい娘だと思っていたあかねが、子を育てる母親になるなんて信じられるかい?」
相変わらず鷹通は何も答えない。………あかねの母親像……友雅の父親像と同様に、元気に明るく動き回るあかねからは、とても想像など出来ないのが本音だ。
鷹通は、神子である頃のあかねしか知らない。あれから数ヶ月の時が過ぎて、彼女と顔を会わせることは殆どない。
龍神の加護を受け継ぎながら、友雅の寵愛を受けて営みを続ける彼女が、どのような女性に変わっているのかなど検討がつかないのだから仕方がない。

「だけど、今は全くと言って良いほど心が穏やかな感じがする。まるで、夢物語に紛れ込んでしまったかのような…そんな感じがする。これはどうしてなんだろうねえ………。」

そう苦笑しながら告げた友雅を見て、鷹通が最も驚いたのは……彼がこの状況をわずかなとっかかりもなく受け入れていることだった。
おそらく当の本人であるあかねは、自分が懐妊していることに一瞬戸惑いを覚えただろう。友雅も……そうだろうと思っていた。
今までしがらみさえ何一つない、周囲の空気をかいくぐるように自分の速度で駆け抜けていった彼が、その背後から着いてくる自分の分身の存在を戸惑いなく現実として受け止めている。

「人間の感情というものは……不思議なものだね。今まで培った予想など、何の役にも立ちはしない。信じてもらえないかもしれないが………あかねから生まれ出る私たちの子を、早くこの手に抱いてやりたい、なんて最近は思ったりもするんだよ。」

こんな言葉を口にして微笑む友雅を、誰が予想しただろうか。
彼の言葉通り、人がどんな変化を遂げるのかなど予想不可能だ……。彼を目の前にして、うなづかざるを得ない。
色めいた微笑みは残りつつ、少し先を見る視線は暖かく。まさにそれは、生まれ出る彼の子を見守るかのように。

「友雅殿は……随分とお変わりになられてしまったようですね。」
「そうかい?まあ…自分でも今までとは少し違うか、と思ったりすることもあるけれどもね。」
笑いながら答えた友雅が、少しだけ照れたように見えたのは日差しの錯覚だったのだろうか。


何もかもが、変わり続けている。彼の心も、彼の瞳の輝きも。
ただ艶やかなだけの眼差しは、一人の少女の瞳の輝きを吸い込んで、夕立のあとの雫に似た発光を醸し出す。心には静かな情熱を抱き込み、その炎の暖かさで彼女をずっと包んでいる。

「あかね殿が、出産がつつがなく終えられますよう…私も心からお祈り致しております。どうぞよろしくお伝え下さい。」
どこか肩の荷が下りたような気がして、鷹通はすんなりと自然にその言葉を友雅に告げることが出来た。




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Megumi,Ka

suga