これからの距離

 002
夜は怨霊たちがうごめき出す、油断のならない陰の世界だと思っていた。
ゆっくりと目を閉じて眠りにつくことさえ出来ずに、手にした刀を一時とも離すことなど出来ないと思った。
今、自分のいる世界は時間の回転が速いが、疲れるということは全くない。
それが何故なのかは知っている。誰のせいなのかも、もう分かっている。
あの空の花火よりも美しいものがあることも。

「きっとみんな、お祭りからの帰りなんだねー。ちっちゃい子たちが綿菓子とか持ってるもん」
屋上から道を見下ろすあかねが、家族連れの姿を見てつぶやいた。
「子供の頃ね、こういうお祭りで売っているお菓子とかおもちゃとか、そういうの買って貰うのが楽しみだったんだ。買って貰えないと泣いて怒ったりね。子供だから出来たワガママかなぁ」
あかねは懐かしそうに、子供の頃の話を何度も頼久に聞かせた。
小さい頃はどんなことをしていた、とか、どんなことをして遊んでいたとか、勿論それは…多分5才くらいまでの、物心がつくかつかないか、くらいの頃の時代の話なのだろう。

「ね、頼久さんの小さい頃の話も聞かせて」
振り返ったあかねが、頼久を見つめる。
「私の話など…つまらないものですよ。常に、刀を手にして生きて参りました、それだけです」
気づいたときは、頭の中に「強くなりたい」という言葉しかなくて、それを目指して生きてきて。
刀を持つことでしか、自分の存在が確かめられなかった自分の想い出なんて、語るようなことはない。
「あかね殿のような楽しい子供の頃があったのなら、お聞かせしたいところなのですが……」
いたいけな少女に、血なまぐさい話など聞かせたくはない。ましてや恋い焦がれた少女になど、汚れた話を聞かせたくなどないのに、悲しいかな自分の想い出話などはそれくらいしかないのだ。

思えばそんな、無意味に近い時間をどれだけ費やしてきたんだろう。
空に輝く星が生まれ、そして消えて行くような気の長い時間ではないとしても。
もしもこの世界に最初から生まれていたとしたら…どうだっただろう。自分は、どうなっていたんだろう。
あかねを見ていると、そんな事をつい考えてしまう。
同じ世界で生まれていたとしたら、もっと違う出逢いがあったのでは、と。

「じゃあ、しばらくは私のお話、聞いていてくれる?小さい頃の話」
あかねが頼久の隣に、膝を抱えて腰を下ろした。
「聞いていてくれるだけで良いんだ。こんなことをしてたんだよって、頼久さんには知っててもらいたいんだ、何となく」
頼久は、黙って彼女の話に耳を傾けた。
学校でのことや、勉強でのこと、友達のことや天真たちと出逢ったときのこと、父のこと、母のこと………。
気づいたときには、夜空に咲く花は消えていた。


「疲れた?ごめんね、私の話ばっかり聞かせちゃって。たいくつだったでしょ?」
一通りの話を終えたあと、あかねは頼久の顔を覗き込みながら尋ねた。
「そんなことありません。私の知らなかったあかね殿の昔を、お話で知ることが出来て楽しかったです」
どうやってみても交わらない時間の中に生まれた同士、知ることの出来ない記憶は言葉から読みとるしか術がない。
「ならいいけど…。頼久さんに知ってもらえたら、なんとなく近くなれるような気がして…」
「…私は、すぐおそばにおりますけれど…」
不思議そうな顔をする頼久を見て、あかねは微笑した。

「距離っていう問題じゃないんだよ。だって、私と頼久さんは違う世界に生まれて生きてきたでしょ。だから、絶対に分からない時空の壁があるでしょ?でもね、そんな壁が私と頼久さんとを隔てているような、そんな気がするの」
頼久は気づいた。そして、少しだけ驚いた。
あかねが、自分と同じことをずっと考えていた偶然の感情を。
「私、頼久さんのこと好きだし…頼久さんがこっちの世界に来てくれたこと、すごく嬉しかった。これからもずっと、一緒にいてくれるし一緒にいることが出来るんだって思って、すごく嬉しかったんだよ。でもね、それでもどこかやっぱり、違う世界に生きた人なんだなって思ったりすることがあるの。だけどそれはしょうがないことだって思ったんだ。だってそれは事実だし、それに、同じ世界に生まれていたら、もしかしたら出逢えなかったかも知れない。じゃあ、考え方も少し変えてみようって思ったの。」
グラウンドに輝く街灯の灯りも、この屋上まではさほど届いてこない。
祭りの賑やかな声も、もう聞こえては来ない。夜の静けさが広がってくる。

「私が頼久さんの知らないことを、教えてあげていけばいいんだなって。変えられないものを悩んでも仕方ないし、それに、頼久さんがここにいてくれるのは間違いなく現実だし。だったら…これからのことを考えようって思ったの。だから、小さい頃の私の話、聞いて貰いたかったんだ」
こつん、とあかねは頭を頼久の肩にもたれた。その仕草が、どれほどに愛おしいか伝えられるだろうか。
「また、私の知らないあなたの姿を見つけることが出来ました」
頼久の声が聞こえた。
「あはは。結構おてんばだったからね、私。呆れたでしょ」
腕に手を回して、心音が聞こえるくらいの位置に耳を傾けて頼久にもたれかかる。
「いいえ、そんなことは。なおさら-----------------------------」
頼久の心音を数える。
1、2、3、4、……5を数えたときに、頼久の声が重なった。

「なおさら、あなたを愛しいと思いました」

■■■


何時になるんだろう?
夜もかなり更けてきたような気がするのだが、まだここから離れたくない気がする。

「ねえ頼久さん、空、見て」
二人は揃って地面に寝転がった。背中に冷たいコンクリートの感触が浴衣を通じて伝わる。
そして上を向いて、広がる無数の星に目をやった。
「ねえ…もう織姫と彦星は会えたかな?」
組んだ腕の暖かさにまどろみを覚えながら、天空の闇を見つめる。
「きっと巡り会うことが出来たでしょう。一年に一度しか会えない寂しさ…毎日が辛いでしょうね」
本気で愛する心を持った人間だけが分かる、空に浮かんだ二人の切なさ。
現代の遠距離恋愛なんて比べモノにならないほどの、切なくて悲しい一年間を一人で過ごさねばならないこと。
「でも、私だったら…天の川泳いで行っちゃうかもしれないなぁ」
あかねがつぶやく。
「我慢できないよ。そんな辛いこと……」
頼久と逢うことが出来なくなったら…本当にそれくらいやってしまうかもしれない。船を造って、自分でこいで行ってしまうかもしれない。
「あかね殿なら、それくらいはなさるかもしれませんね」
笑いながら頼久が言う。
「あ、何だかちょっとその言い方、バカにしてない〜?」
すねたようにあかねが起きあがって、上から頼久に顔を近づける。目の前の真っ直ぐなあかねの瞳の輝きに、照れながら頼久は髪をかきあげて笑った。

「あかね殿が川を泳ぐので有れば…私も泳いでお迎えに参ります」
額にあてた手を、あかねの肩にそっと移動させて笑みを浮かべた。
「それならば、半分の時間で逢うことが出来るでしょう?」
頼久の言葉に、今度はあかねの方が声を立てて笑った。
「すっごい発想…その提案、私も賛成!」
なんだか妙にその頼久の発想が嬉しくなって、あかねは彼の胸に顔を押しつけた。
そのあかねの髪を、そっと頼久の手が抱きしめるように撫でる。

「あなたに出逢ってから、こんな意外な発想も出来るようになりましたよ」
心地よいトーンの声が、あかねの耳をくすぐる。
「一つの答えを幾つもに分解してしまうことや、新しい答えを見つけること、そんなことをあなたから私は教えられました」
黙って今度は、あかねが頼久の話を聞く番だ。
「その中で色々なことを知り、そしてそこからまた新しい発見をする…あなたを見ていると、そんな変化がとても楽しいと思いました。あなたの存在は……私には何ものにも代え難い」

星が降ってきそうな夜。一粒一粒の光が、雨のようにしたたり落ちてきそうだ。
「あなたと共に生きて行くこれからの時間が……私の一番の楽しみです」
頼久の声がして、一度目を開いた。
けれど、そのあとの反応を思いつかなかったので、そのままもう一度目を閉じた。
天の織姫と彦星に嫉妬されちゃうかもしれないね、なんてことを考えたりする。

そんな世界一幸せな、七夕の夜。
降り注ぐ星くずよりも、月明かりよりも花火よりも綺麗なものを独り占めした夜。





-----THE END-----





お気に召して頂けましたら、ポチッとしていただければ嬉しいです♪

***********

Megumi,Ka

suga