遠くて近い場所

 第2話
甘くて、舌の上でとろけるようなバニラの味が、どこか懐かしさを思わせる。
「普段はカップアイスなんですけど、夏休みになると、大きなパイントサイズを買って来るんです。すぐになくなっちゃうから。」
ひんやりしたアイスクリームの味。季節を問わず、一年中この味はやめられない。

「夏にはかき氷とかも食べましたよ」
「あ、そうそう!それも!うちにかき氷機があって、家で作るとシロップ好きなだけ掛けられるのが良かったな。」
鷹通と無邪気に話すあかねの顔を見ながら、頼久は胸の中に込み上げてくる暖かな感情が、肌に浸透してくるのを感じていた。
屈託のない、明るい笑顔だ。あの頃の面影が、まだそこには存在している。
見れば見るほど……記憶は鮮明になってくる。あの、遠い日の記憶が蘇る。

「頼久さんは、どうでした?夏とかは、どんなもの食べたりしてました?」
あかねがこちらを見た。
今度は…変に頑なにならないように、と自分に言い聞かせる。
「私は田舎育ちですので、あまり洒落たものは身近にないものですから。でも、かき氷くらいなら……」
「そっか…頼久さんはかき氷派ですね」
笑いながら答えた彼女の表情に釣られて、頼久も少しだけ顔がほころんだ。

夏にはいつも、住職や寺の僧侶たちが氷をかいて、昼下がりの猛暑にひとときの涼を楽しんだものだ。
日陰などろくにない、平面の田畑ばかりの村。蝉の声と、照りつける日差し。
だが、都会の暑さとは違う。常にその中に、風が流れていた。
夏草の緑色した風が。


「かき氷と言えば、シロップとかたくさんあったでしょ。鷹通さんは、どんな味のシロップが好きでした?」
思い出したようにあかねが、二人にそんな問いかけをする。
「私は…シロップというよりは宇治金時が多かったですね。抹茶と小豆の。」
「宇治金時なんて、子どもの頃は大人が食べるものだと思ってたのに。だって、上にいっぱい小豆が乗ってるなんて、ちょっと豪華な感じするじゃないですか。」
アイスや生クリームが乗ったものなんて、それこそお出かけのお昼に食べさせてもらえたようなもの。
今なら、いくらでも自分で食べられるけれど。

「じゃ、頼久さんは?」
今度は頼久に尋ねる。
「私ですか?私は…特に好き嫌いもなかったので、これと言っては…。すいません、つまらない答えしか出来ませんで…」
どうも、あれこれと選り好みをする感覚が、小さい頃から頼久にはなかった。
そんな贅沢を言える立場ではないのだと、幼いうちに悟ってしまったせいだろう。
おかげで、気の利いた答えも言えやしない。
彼女を前にして、退屈な返事しか返せない自分が少し情けなくも有る。


「それじゃあ、私の好きなシロップって何だと思います?」
あかねは、話題を別方向に変えた。
自分の方を指差して、頼久と鷹通の顔を見る。
「そうですねえ。やはり…あかねさんは女の子ですから、いちごとかですかね?」
鷹通が答えると、あかねはにっこり笑いながら人差し指で×の文字を作った。
何気に自信満々という顔をしている。
この質問に関しては、ストレートに正解を出せる人は今まで殆どいなかった。
だから、あかねも自信が有るのだ。
おそらく、二人とも当たるはずはないだろうと。

「うーん……そうなると、あとはメロンかブルーハワイか…」
カラフルなシロップを思い出しながら、答えに悩んでいる鷹通の隣で、頼久が独り言のようにぽつりと言った。
「……みぞれ、とか」
それは名前の如く"霙"のような、色の無いシロップ。甘くて、ただそれだけの……氷砂糖を溶かしたようなもの。
「あ、みぞれというか…その、白い普通の蜜をかけただけのシンプルな…」
頼久が説明をしようとすると、あかねは呆然としてこちらを見つめている。

「凄い…どうして分かったんですか?この話すると、当ててくれる人って、あまりいないんですよ?」
まさか、彼が当てるとは思わなかった。
大好きなかき氷。いちごやメロンも好きだけれど、あかねがずっと飽きずに大好きなのは…何も色がついていない蜜だけのかき氷。
鷹通が言ったように、女の子なら色とりどりの綺麗なかき氷に惹かれるものだけれど、何故かあかねはこれが大好きで。

変わってるね、と友人たちに言われながらも、いつもそんな夏を味わって来た。
アイスクリームもそう。フレーバーのあるものより、シンプルなバニラアイスが今でも大好きだ。
新しいものより、昔からある味が好き。
不思議なくらいに、そんな味が一番ホッとする。

「私は田舎育ちなので、向こうではそういう蜜のみというものが多かったもので、馴染みが深いんですよ。」
ふいに正解を出してしまったのを照れるように、頼久は静かに笑いながらそう答えた。

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その後、結局宿題を鷹通に教えてもらう様な雰囲気にはなれなくて、後日ということで当初の予定は延期となった。
せっかく頼久が来ているのだし、そこで勉強の話なんて…やっぱりちょっと味気ない。それは、鷹通も察してくれたようだ。

コーヒー二人分と、あかね用のカフェオレを片手に、トランプやらでしばしのんびりと時間を楽しんでいるうちに、気付けば午後9時を回っている。
「あ、いけない…もうそろそろ帰らなくちゃ。」
時計の文字盤を確認する。確かに、もうタイムオーバーの時刻だ。
「では、家までお送りしましょう。夜道は危ないですからね。」
ソファの上に掛けておいたジャケットを手にして、鷹通が立ち上がった。
「良いですよ、すぐ近所だもの。外に出れば、見えるところなんだし……」
あかねの自宅であるマンションまでは、ほんの3〜4分程度の距離だ。
周りはそれなりの裕福な家が並ぶ閑静な住宅地。身元の分からない者がいれば、嫌でも目立つだろうから心配することはないと思うのだが。
「いえ、いけません。こんな時刻に、女の子一人で歩くのは非常識ですよ。すぐ近くだからこそ、お送りします。」
「でも!そうしたら鷹通さんの家だって、留守になっちゃうじゃないですか。…っていうか、頼久さんはいてくれるかもしれないけど。」
他人が他人の家で留守をするなんて、ちょっと妙な話だ。

「ならば、私がお送り致します。」
二人の会話の間に入って来たのは、頼久の一言だった。
「お近くでしたら、私も帰り道に迷うことはありませんし。鷹通さんはご自宅で待機なさって下さい。私がご自宅まで付き添います。」
「ああ、そうですね…その方が宜しいでしょう。では、頼久さんにお願い致します。」
鷹通は持っていたジャケットを、再びソファの上に戻す。
代わりに頼久が、先に廊下に出て行った。

「…ほんの少しの時間ですが、頼久さんとごゆっくり散歩でも楽しんでらして下さいね。」
嫌味の無い優しげな微笑みを浮かべて、鷹通がそんなことを言うので、あかねの顔は真っ赤になる。
完璧に、頼久に対してのほのかな感情を抱いている事を、鷹通には気付かれてしまっているようだ。
「そ、そういうつもりじゃ…別にないですよっ」
足早にその場から逃げるように出て行く後ろ姿を、眼鏡の奥の瞳は穏やかに眺めていた。

廊下に出ると、玄関にあるクローゼットから頼久は自分のジャケットを取り出し、既に外出の準備を整えていた。
そして、あかねのフリースを手に取って佇んでいる。
「す、すいません…もたもたして待たせちゃって…」
「いいえ、お構いなく。どうぞ。」
頼久はそう言うと、彼女のフリースを広げて袖口を開けた。
それにあかねは袖を通す。
何だか…エスコートされているような感じ。服装は普段着だというのに。


ドアを開けると、夜風は意外に肌寒かった。
「寒くありませんか?宜しければジャケットをお貸し致しましょうか」
ポーチから続く煉瓦の足場に立ち、彼はあかねの方を振り返った。ゆるく束ねた長い髪の毛先が、身体の動きによって肩からこぼれ落ちる。
「大丈夫です!そんな…全然平気ですから!」
「ならば宜しいのですが。もし、肌寒いようでしたらおっしゃって下さい。」
静かに頼久は微笑み、手を伸ばしてあかねの背中を押し出す。そして、彼女の少し後ろに着きながら門を開けた。

外はガーデンライトで照らされ、結構まだ明るい感じだ。
「では、参りましょうか。」
彼の声で、二人はほぼ同時に歩き出した。

何だろう。あの時…彼が送ってくれると言ってくれた時、ものすごい安心感のようなものが身体を包み込んだような気がした。
見えない厚い壁で覆われている様な、それでいて優しいぬくもりも存在していて。

"この人と一緒なら、絶対に安心なんだ"という、全く脈絡もない確信が突然押し寄せて来て。

逢ってから、まだそんなに長く付き合っているわけでもないのに…長く世話になっている鷹通には、そんな風に思ったことはなかったのに。
あの時…絡まれている所を助けてくれた時も、同じようなこんな安心感があったのは、何故だろうか。

こうして並んで歩いているだけでも、ドキドキではなくて静かな優しい気持ちになるのは……どうしてなのだろう。



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Megumi,Ka

suga