Little Harvest

 第3話
「で、どうでしたか、久々の実家の空気は」
「まあ……思っていたような変化はなかったですね」
相変わらず人の気配が少ないので、鷹通たちは教授も加わってお茶でも飲もうということになった。
頼久が休暇を取った前後は、彼目当ての女生徒も何人かいたのだが、水曜まで休みと知るとぱたっと足が遠のいた。
おかげで、こんな風にのんびりとした昼下がりを過ごせる。

頼久は故郷の小さな町にある中学を卒業し、高校は寮生活で県外に出た。
それからこの大学に進学して、司書の資格を取り…現在に至る。奨学金の返済も終わり、やっと一人前になれたかと思い始めたのが、二年前。
大学生になってから、一度も帰郷することのなかった故郷へ、たまには帰らなくてはと思いつつも時間が過ぎた。
でも、その間ずっと忘れたりはしなかった。
あの場所と、そこに住む人々と、そこで暮らした記憶の全てを。

「あそこは中心地から離れた土地だからなあ、手を加えるような企業もそんなにいないだろうし。かえってそれが、あの地域をそのまま残せる結果になったんだろうね。
確かに年々高齢化が進んで、過疎化しているとは言っても、あの辺りは山や川が綺麗だからなあ。人工の手は加えたくないねえ」
どこか遠くを見るような目をして、教授はそう話した。

この教授は、自然地理学の教鞭を取っている。
頼久の故郷の町周辺は、地質的にも古い地形がそのまま残っていることもあり、研究者である彼にとっては興味のある場所でもあった。
何度か足を運んだことがあるという彼は、頼久がそこの出身だと分かると、随分と色々なことを教えてくれた。
生まれ育った頼久でさえも知らない、古い歴史の事まで。
「家の者にも、冗談半分に言われました。『おまえのような若者が町を出て行くから大変なんだ』と」
本当はきっと本音もあったに違いない住職の言葉も、頼久には暖かい意味に取ることが出来た。
自分が成長することを、きっと喜んでくれているに違いないと。
心から自分を見守ってくれている、唯一の…肉親以上の存在だ。

「だから、いっそ源さんもそろそろ身を固めて、家族揃ってUターンするのも良いんじゃないか?」
「……身を固め…?というのは、つまり…」
教授がとんとん、と肩を叩く。そうして、意外に真面目な表情をして頼久を見た。
「そりゃあ、君のような優秀な司書がいなくなるのは寂しいし、図書館としても痛手だ。だが、変に都会に染まっていない君のような男ほど、早く結婚でもして田舎に帰って、奥さんと子供たちと、自然に触れながらのんびり暮らすのも良いんじゃないかと、私は思うんだがな。」

鷹通は失礼だと思いつつも、その光景を見て思わず笑いがこみ上げて来てしまった。
教授としては頼久のためを思って、指南しているのだと思われるが、語られている方の頼久は、戸惑った顔をして微妙に何度か控えめな返事をしている。

はっきりと断ったり、好き嫌いなどの白黒ついた主張をするのが、頼久は苦手だ。
自分から人間関係を広めようということもしないため、口数も少なく知り合いもそれほど多くはない。
どこか一歩退いて全体を見ているような気もするが、元来『超』という表現が頭につくほどの真面目さであるから、それを認めている人達は自然に彼に対して尊敬の目を向ける。
「源さん、そういうのも結構お似合いですよ。」
「藤原さんまでそんな…」
今度は鷹通にまで言われて、ますます戸惑う頼久がおかしかった。

「私にはそんな…。私などに連れ添ってくれるような、物好きな女性は探してもなかなかいないと……」
頼久がそう言うと、教授と鷹通は顔を見合わせて呆れたような顔をした。
「何を言ってるんだ?この図書館に、やたらと女学生が押し寄せるようになったのは。誰のせいだと思ってるんだ?」
話題の人気小説ならいざ知らず、専門書が多いこの図書館に来る女生徒は、年々増加している。放課後や休日のレポート書きも、開放感のあるカフェテラスから図書館に移った者も多い。
もちろん、頼久が司書を勤めるようになってからのことだ。
「まあ、藤原も影響あるんだがな。源さんには、ちょっとかなわないぞ?」
笑いながら教授が言った。
「そりゃ、私なんかは本の整理をするくらいの役目しかないですから。それに比べて、源さんは仕事はおろか、集客まで左右してしまうのですからね」
「そ、そんなことは…。私は別に、ただ仕事をしているだけで…」
「ああ分かってる分かってる。源さんはホント、真面目だからなあ」
彼と同年代の男でも、まだ遊びに気を取られている者も少なくないだろう。
それと比べてみると、頼久という男はストイックというか何と言うか、とにかく今時珍しいくらいの堅物…という言い方は聞こえが悪いだろうが、つまり何事にも真摯なのだろう。
女生徒たちにとっても、それが新鮮で興味を惹かれるのかもしれない。
もちろん、視覚から来る印象もそれ以上だとは思うが。

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家に帰って、鷹通にもらった問題集の続きを解く事にした。
次に会う時までに、残りの半分を終えておく約束だから、あと少し頑張らなくては。
階段を上がろうとすると、母がキッチンから顔を出して呼び止めた、
「あかね、ココア作るけど、飲む?」
「うん。ミルク多めで溶いてね。」
何気ない、普通の情景。いつもと変わりのない、やり取り。

熱いココアを飲みながら、あかねは机に向かって頭を抱えていた。
あと3問で完了する数式の解き方が、どうしても分からないのだ。
確か鷹通に教えてもらって、その応用を使えば解けるはずなのだが………。
母に聞いても、おそらく教えてくれないだろう(というか、母は数学が苦手なので)。
父はまだ帰って来ない。いつも帰宅時間は不規則だ。
…鷹通に電話してみようか。答えは教えてくれないだろうけれど、ヒントなら多分教えてくれると思うし。
あかねは携帯電話を手に取って、鷹通の番号を押した。

「はい。藤原です。どうかしましたか?」
「あ、あのー…こないだの問題集で、どうしても数式の解き方が分からないところがあって…」
元々この問題集は、鷹通が使っていたものだという。となると、あかねたちよりもずっとレベルの高い問題があるわけで、それを全問ひとりで解くのは…はっきり言って無謀だ。
それでも、ここまで何とかやってきたのだから、最後の最後のヒントくらいはサービスしてもらいたい、という気持ちなのだが。
「ああ…その問題は確かに難しいですね。私も当時、戸惑いました。」
鷹通が戸惑うほどのものを、解けるはずが無いじゃないか!とあかねは思った。
「…そうですね。覚えてしまえば簡単なんですけれど……ああ、それじゃ今から家にいらっしゃいませんか?」
「え?鷹通さんのとこに?」
突然自宅に招待されたが、それと問題集と何の関連性があるんだろう?
「今週末まで家の者は留守でしてね。今日は、大学の知人を呼んで食事をしようと思っていたところだったんです。よかったら、一緒に如何です?お夕食まだでしたら…ですが」
どうしよう?
まあ鷹通の友達というのだから、おかしな人はいないと信じられるし。家はすぐご近所だし、まだ夕食は支度の最中だろうし、今言えば母もOKを出してくれるかもしれない。
「分かりました。行きます。ご馳走になっちゃいます。」
「そうですか。たいしたものはご用意出来ませんが…。問題の解き方は、その時にお付き合いしますね」
電話は、そこで終わった。

鷹通の友達。どんな人だろう?
……頼久さんだったらいいのにな……なんて、そんなことを考えながら、あかねは問題集とペンケースをバッグに入れて、階下に降りて行った。

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豪奢とは言えないが、目で見ても明らかに品質の良いものばかりが、リビングには揃えられていた。
ソファやテーブルに限らず、コレクションケースの中に並ぶ、ブランデーのミニボトルさえも宝石のように輝いて見えた。
その割に、落ち着いて見えるのは深みのあるローズウッドの家具のせいかもしれない。
「そういうわけで、お客様にお願いするのは申し訳ないのですが、キッチンのグラスをもう一つ。それと、冷蔵庫の中のオレンジジュースのボトルを、取って来て頂いても構いませんか?」
見慣れないものの並ぶ部屋で立ち尽くしている頼久に、鷹通が指示を出した。
言われる通りに頼久はそれらを手に取り、これからやってくるもう一人の客人の席にセッティングした。
「藤原さんとは、ご近所だったんですね…」
「ええ。比較的うちの家族は交流を持つのが好きなので、以前から親しくさせて頂いているんですよ」
そうか…だから、彼が勉強を教えることになったというわけか。だから、図書館に連れて来て……。
不思議なものだな。彼が彼女と近所でなければ、親しく付き合うことはなかっただろうし、そうなったら大学に連れて来ることもなかったはずだ。
彼が別の大学に進学してれば、別の大学に連れて行ったはず。そして自分が、あの図書館にいなかったら………。
わずかなタイミングさえ逃したら、出会えなかったその偶然の重複。
奇妙で、それでいて何かを感じるような。

インターホンが鳴った。
「すみません。お迎えに出て頂けますか?おそらく、私よりも頼久さんの方が適役だと思いますので」
にっこりと笑って言った鷹通の言葉の意味が、どうもよく分からなかったのだが、頼久はうなずいて玄関に向かった。
ステンドグラスの街灯が、外の人影を映し出す。

ドアを内側から開けた。

そこに、驚いたような愛らしい顔があった。



---THE END---


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Megumi,Ka

suga