Little Harvest

 第2話
「あの…水曜日までお休みって…聞いてたんですけど…」
思い切って尋ねてみると、頼久はそれほど大きくない旅行バッグを持ち替えて、そっとあかねの背中を押しながら通路から外れた場所へ移動させた。
改札の近くだから、人通りが多い。立ち話をするには、通行人の邪魔になりそうだったからだ。
改めて頼久は、問いの答を返した。
「ええ、そのつもりです。ちょっと調べたいものがありまして、少し早めにこちらに戻って来たのですが。」
「そうだったんですか…」
それじゃ、やっぱり図書館に出て来るのは、あと数日かかるのかな…。
あかねは少し寂しい気がしたが、まさか『もっと早く出て来て』なんて言えるわけもない。

「出来るだけ、早く作業が済ませられるようにしたいのですが。あまり長く図書館の席を空けてしまうと、不真面目に思われてクビにされては困りますし」
笑いながら冗談半分に頼久は言った。
「そ、そんなことないですよ!だってこないだ図書館に来てた先生も、頼久さんにはお世話になっているからって…感謝してるみたいでしたもん」
「先生…?」
「はあ。何かこう……メガネかけてて、少し白髪があって。頼まれた本が、とか言ってました」
あかねが簡単に人物描写をしてくれたおかげで、数少ない知人の顔がやっと思い出せた。
おそらく、自然地理学の教授だ。図書館にはよく顔を見せる一人だ。
そして、頼久には彼に思い当たる事柄があった。
「もしかして……」
「え?」
もしかして、あの本が手に入ったんだろうか。
いや、でもあれは古いものであるから、ということで門外不出になっていると聞いていたし。
だが、もしも手に入るのであるなら……今すぐにでも中身を見たい。
「ああ、何でもありません。そうでしたか…教えていただいて、ありがとうございます。」
面と向かって頭を下げられると、何だか照れくさくなってしまった。

目の前に居る頼久は、ずっと穏やかに微笑んで話しかけてくれている。
少し見上げなくてはいけない身長差も、気にならないくらいに吸い込まれそうな瞳をして向かい合ってくれるから、そこから離れ難くなってしまう。
これ以上、話題も見つからないのに、こうして見つめ合っていたって仕方が無いのに。
そりゃ、もちろんあかねとしては嬉しいに変わりないことなのだけれど、周囲から見れば不自然極まりない状態に違いなく。
とは言っても思いつく話も無い……。

駅の構内アナウンスが、ホームに反響してボリュームを上げる。
乗り換え案内を告げる声に、頼久が気付いた。
「ああ、そろそろ乗り換えの時間が…」
頼久のアパートは、この駅から私鉄に乗り換えて、2つめのところだ。丁度、その乗り換え時間をアナウンスしている。
いつのもなら普通に聞き逃せるのに、今はそれがとても非情なものに思える。
「今日は、お一人で買い物にいらしたのですか?」
「あ…いえ、父と一緒です。上のカフェで待ってますけど。」
それを聞くと、どことなく頼久はホッとしたような顔をした。
「良かったです。お一人では帰路が危ないのではと思いましたが。」
あかねは、笑った。
まだ午後2時を回ったくらいだ。いくら何でも、女の子が一人歩きして危険という時間帯ではない。
なのにそんなに真剣に言うから……。
あの時の事があったから、必要以上に気にしてくれているのかもしれないけれど……でも、そう思ってくれるのはちょっと嬉しい。
「それじゃ、そろそろ失礼します。また、図書館にいらして下さい。」
「は、はい…!」
人並みが早くなる、その中に向かって彼は歩いて行く。定期を自動改札に通してから、背後を押されるようにして先へ進む。
そして一度だけこっちを振り向いて、軽く頭を下げて姿を消した。

+++++

慌ててあかねはもう一度階段を駆け上がり、父を待たせているカフェに戻って来た。
ドリアはすっかり冷たくなっていて、あまり美味しいとはいえなかったが、残すのも勿体ないので再びフォークを取った。
「あかね…あれは誰だ?」
いきなり父が尋ねて来たので、あかねは一瞬どきっとした。
ここからはホームが見えるのだから、父がさっきの状況を見えないはずがなかった。
「えっ?あ…あの……鷹通さんの、学校のお友達」
鷹通の友達…で、間違いではないと思う。学生ではないけれど、図書館勤務なのだから嘘ではないだろう。
「……名前、何て言うんだ?」
「……なんで?何でそんなこと聞くの?」
珍しく、父は神妙な顔つきであかねを見ている。
今までは軽い冗談めいたことで、雰囲気を和ませていた父が、今は全然違う。
「……頼久さん…。源…頼久さんっていう名前」
「…いくつぐらいだ?
「多分鷹通さんよりも上…。3つくらい上だと思うけど。」
父は、それ以上何も質問してこなかった。

「お父さん?どうかしたの?」
明らかに様子のおかしい父を、怪訝そうにあかねは見る。
父はそれまで心ここに有らずといった感じだったが、やっと現状に意識が戻って来たようだった。いつもの目をして、再びあかねを見る。
「いや…何でも無い。さあ、そろそろ帰るか」
「えー?もっと買い物していこうよ」
時間はまだ3時前。まだまだ外は明るい。
だが、父は撤回はしなかった。
「……思ってた以上に高いもの選ばれたもんだから、予算がオーバーしたんだよ。続きは、又今度な」
そう言ってあかねの頭を、くしゃっと撫でるような仕草で掻いた。
「じゃあ、お土産くらいは買って帰ろうよ。お母さんの好きな地下のお店のスイートポテト」
「ああ、そうだな」
父の手を引っ張りながら、あかねは地下に向かって階段を下りて行く。
幼い頃と同じように、大好きなお菓子の揃う地下街へ誘われるようにして。

+++++

結局の所、頼久は1日早く図書館へ出向く事に決めた。
アパートに帰って、留守番電話に残っていた鷹通からのメッセージを聞いたからだ。
出来るだけ早く、その書籍に目を通したいと思った。休んでいる時間も惜しい程だった。
次の日、いつもより少し遅い時間。司書としてではなく、一般人として頼久は図書館のドアを叩いた。

「本当に無理を申し上げて、ご迷惑をおかけしました」
待ちかねていた古びた本を手に取って、頼久は教授に向けて深々と頭を下げた。
「いや、いつも世話になっているからなあ。少しは誠意を示さないと、こっちとしても申し訳ない限りでねえ」
図書館に着くと、丁度教授が鷹通と話しているところだったので、彼に直接礼を言う事も出来た。
そして、預かっておいた本をカウンターの後ろから、鷹通が取り出して渡してくれた。
「まあ源さんなら大丈夫だろうけど、扱いに関しては厳しく言われてたもんだから、くれぐれも丁寧によろしく頼むよ」
「ええもちろんです。出来るだけ早めに目を通したあとは、すぐにお返し致しますので。」
大学の図書館に勤めていると、こういう時にメリットを感じる。
専門分野の書籍に関しては、それに相応する学部の教授に連絡が取れるため、普通なら手に入りにくい資料も入手出来たりもするし、分からないことがあれば専門家に尋ねる事が出来るのが良い。
おかげで、頼久の探していた資料は随分と把握出来た。
大学を卒業してから、4年め。学生生活の4年を含めれば、8年。ひとつのことを気にかけてきた。
たったひとつの、記憶を手がかりにしながら。



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Megumi,Ka

suga