思い出の色彩

 第2話
カウンター裏のスタッフルームに、あかねは案内された。そして少し色あせたソファに腰を下ろすと、彼がポットからコーヒーをカップに注いでいる姿が見えた。
白いカップはシンプルで、いっさい鮮やかな雰囲気は感じられないのだが、それがかえってあかねの心を落ち着かせた。
熱くて薄目のアメリカンコーヒー。小さなシュガーポットに角砂糖が詰まっている。それらを彼はあかねの目の前に用意した。

「す、すいません、コーヒーまでごちそうになっちゃって…」
カップを自分の方に引き寄せて、そっと彼の表情をのぞく。あかねの声に、今度は彼が振り向いた。
「いえ。こちらこそたいしたものをご用意できなくてすみません」
あ、どうしたんだろう。さっきほど鼓動のリズムが早くなっていない。あかねは自分の異変に気付いた。
「それでは、私は仕事がありますので…ごゆっくりしてください。お暇でしたら、お好きな本を持ち込まれても構いませんので」
そう言い残して、彼は自分の仕事場へと去っていった。

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思い違いかも知れない。だけど、直感という一番信用できるものがある。
記憶がどれだけ遠いものだとしても、自分自身が覚えていることを嘘だと記憶は出来ない。

あの時、紡いだ時間が正しいとしたら、いつかかならず互いに気付くだろう。
小さな記憶は、思い出すたびに大きくなるのだ。


図書館に来る人の数は増えているが、殆どが予習や復習、レポート作りの勉強家たちばかりであるから、忙しいということは殆どない。
頼久がやることといえば、返却された図書のチェックと入荷された図書のラベル貼り、あとは最後の戸締まりや掃除などという雑用と軽作業ばかりである。
時々図書についての問い合わせがあったりするが、自由に使える検索用のパソコンが館内には数台あるので、皆個々に検索しているので頼久に尋ねるというのはよっぽどの時か、またはそれなりの下心のある女生徒くらいだ。

というわけで、大概は暇を持て余しながらカウンターにぼんやり腰を下ろしている頼久である。
おかげで何冊か常に手元に本を置いておかないと、時間もなかなか過ぎてくれないのだ。
ぱらぱらと、さっきまで読んでいた本をもう一度眺めてみる。

午前中と午後、好きなものを選んで手元に置く。ジャンルはむちゃくちゃだったが、ここしばらくは同じ系列の本をずっと探しては読んでいる。
国立大学の図書館は、普段なら手に入らないような書籍まで閲覧できるのがメリットだ。ここの仕事に就いたことを、今ほど感謝したことはなかった。
もうしばらく探していれば、きっと確実な答えが見つかりそうな気がする。

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口に入れたコーヒーは、角砂糖2つの甘さと苦さが調和していた。
ミルクをいつもなら入れるあかねだが、そんなコーヒーよりもまろやかに感じるのは何故だろう。

ふと、あかねはタイムカードのラックに目を移した。何枚かのカードが見える。おそらく一番上にあるのは図書館の管理人。アルバイトの鷹通は、ひとつ離れて置かれている。
あかねは彼の名前を探した。

『源頼久』。
「そうそう、『源頼久』さんて言ったっけ…。なんか時代劇に出てきそうな感じの名前だなぁ。でもあの人だったら似合いそうだな」
彼の目の輝きを思い出して、あかねは自分のつぶやきに納得しながら笑った。

「みなもと…よりひさ、さん……」
もう一度、彼の名前を口にしてみた。
が、その時あかねの中に一瞬何かが走り抜けていったような、鋭い感覚が目の前を通り過ぎた。

「あ…れ?」

試しに、もう一度名前を口にした。その度に、眩しい閃光が頭の中を駆け抜けていく気がする。
一体何が起こったのか?何故、彼の名前を口にするとこんなことが起こるんだろう?
まだ二度しか会ったことのない彼のことが、どんどんとあかねの中で大きくなる。
不思議な感覚と、そしてじわりと暖かくなる鼓動のリズムとともに。
あかねは、そっとソファから立ち上がってカウンターの方を覗き込んでみた。頼久はぼんやりと、何かの本をずっと読みふけっていた。
彼の横顔を、しばらく眺める。目にかかるほどに伸びた前髪を、何度か手で耳へと流して本を読んでいる。

「よりひさ……さん」
また、光が突き抜ける。だが早すぎて捕らえきれない。どうしてそうなるんだろう。
あかねの視線に気付いたのか、頼久は後ろを振り返った。

「…何かご用ですか?」
読んでいたページにメモ用紙をしおり代わりに挟んで、頼久は本を閉じてあかねのそばに行こうとイスから立ち上がった。
「あ、別に…あ、あの…本!本を返そうと思ってたんですよ!それで今日ここに来たんです…」
そういえばそうだった。鷹通に選んで貰った本の返却をするために、ここに来たのに今まですっかり忘れていたあげく、のんびりコーヒーまで味わってしまった。
「ああ…じゃ、お預かりします」
あかねは慌てて自分のリュックを開いて、二冊の本を頼久に手渡した。



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Megumi,Ka

suga