記憶の空へ

 第3話
「何だとぉ!?おまえ、正気か!?」
そういう答えが返ってくると思っていた。
予想通り、国立大学進学ということを口にしたとたんに、天真の驚きの声が裏庭に響いた。

「だから〜…一応ね、目標を高くおいといて、それに向けて勉強すれば他の学校を受験するときに楽になるかと…」
「ってったって…あの大学、日本でも有数の名門&難関だぜ?」
「何度も言わないでよ〜、私だって身分不相応だって分かってるんだから!!」
ランチボックスの中に入った、野菜がたっぷりのサンドイッチをほおばりながら、天真の言葉に少し膨れながらあかねはためいきをつく。

二年後の今、自分はどこにいるだろう。鷹通に案内されたりしながら、あのキャンパスを歩いているんだろうか。それともどこかの女子大あたりに入って、同級生と近くのカフェあたりでお茶を楽しんでいるのか……多分後者の方が、確率的に高い。
「そういうことは、これからガリ勉するのか、おまえ」
飲み干したコーヒー牛乳の紙パックを握りつぶして、ごろりと天真は芝生に寝転がった。
「まあ…出来る限り。今日もね、実は放課後に鷹通さんの大学に行くって約束してるの」
「あ?何で。見学にゃ早すぎるだろ」
「うーん、あのね、鷹通さんて大学の図書館で事務管理のアルバイトをしてるんだって。でね、受験問題によく出ていた本がいくつかあるから、読んでおいて損はないから来てみたら、って言われたの。だから今日でも行ってみようと思って。天真くんも行く?」
「冗談じゃねー!!あんなエリート大学なんて、俺には堅苦しくってしょうがねーだろ!!しかも、俺には関係ないからな、あんな大学は」

確かにまかり間違っても、天真があの大学に進む確率は0%に等しい。勿論成績の問題も内申書の問題もあるが、彼の性格からして全く違う。
事実、あかね自身も本当は自分とは違うと思うけれど…まあ、挑戦するくらいはいいだろう。
一大決心を頭にたたき込んで、あかねは放課後のベルが鳴り響いたと同時に、学校の門を出て大学行きのバスに乗り込んだ。

■■■

緑が一面に広がる、古い校舎。何十年もの間にたくさんの歴史の水を染み込ませた建物が建ち並ぶ。並木道には、まだ花を開かせている桜。多分、山桜に違いない。
大人びた女子大生たちの群れ、講義の復習を繰り返している男子学生。土曜日の大学構内のオープンカフェには、そんな賑やかな風景があった。

「えっ…と…鷹通さんのいる図書館って…どこだろう…」
一応メモだけは持ってきた。大学の図書館は文学部の校舎の裏手にあるらしい。が、そもそも文学部という校舎が分からないのだ。
きょろきょろと辺りを見渡してみる。どこかに構内の地図や案内図があるはずだ。それでなければ、正面玄関の受付口に行けば教えてくれるかもしれない。
やはり手っ取り早く受付に行ってみよう。制服姿の女子高生が一人でうろうろしていても、注目を浴びるだけで先に進めない。
ガラスの扉を開けると、受付の窓口があった。

「あの、すいません…図書館にはどこから行けばいいんですか?」
大学の図書館は一般開放している。明るく近代的な公立の図書館に比べれば、足を運ぶ人の数は決して多くはないけれど、歴史ある大学の書庫に並ぶ書物達は専門分野を研究する人にとってはかなりの情報源であり、わざわざ他の大学からやってくる人も多い。
裏庭の駐車場を突っ切って、煉瓦造りの文学部の校舎を通り抜けてやっとたどり着いた図書館は、小さなステンドグラスが窓にはめ込まれている。
館内は静まり返っていて、足音しか響かない。二階が受付事務所になっていて、鷹通はそこでアルバイトをしているらしい。
そっと音を忍ばせて、二階のドアを開ける。

「ああ、お待ちしてましたよ。」
あかねが顔を出したと同時に、鷹通が受付の後ろから乗り出して声を掛けてくれたので、気を和らげて部屋に入ってくることが出来た。
「迷わずにここまで来られましたか?」
「うーん…ちょっと迷ったかな☆だって構内が広いんだもの…」
「歴史ある大学ですからね。創立当時から建っている校舎も少なくありませんから」
鷹通は客用のカップを取り出して、黒と金色の紅茶の缶を開けた。
「今、お茶をご用意します。しばらく図書室で、何か本でも覗いてみてはどうです?」
「え?ああ…うん、そうだね。ちょっと行ってみようかな…」
あかねは立ち上がって、鷹通に荷物を預けて身軽になると、廊下よりも静かな図書室へ足を踏み入れた。

■■■

印刷された本の匂いがする。大きなテーブルは、何人かの学生が勉強の最中だ。邪魔にならないように、あかねはどんどんと奥にある書棚の方へ歩いていった。
プレートに『国内文学』と書いてある書棚へとやってきた。並んでいるものは、全て著名な文学作家の全集が殆どである。
一人の作家に対して、全ての作品が揃っているのではないだろうか、と思うほどに陳列された蔵書は多い。しかも、すべての本がやや黄ばみを帯びていて、この図書館と共に歴史を積んできたことが分かった。

普段なら、文庫などの小綺麗な本しか手に取る機会はなかったが、こんな古い本を手にするのもなかなか良い。
あかねは取り敢えず全ての棚を見渡して、自分にも見慣れた作家の名前を探した。
そして、上から二段目の棚にある『島崎藤村』の全集を見つけた。今まで殆ど読んだことはないけれど、それでも他の棚に並んでいる、まだ未知の作家の名前に手を伸ばすよりはマシだった。

しかし、書棚はビルトインタイプで、天井にまできっちりと取り付けられている。昔の家屋にしては洋風で、天井が高い図書館の構造では、まずあかねの身長では背伸びしても届かない。
「あんな高いところ、届かないよ〜…。どこかに脚立とかないかなあ…」
自力で手に取ることを諦めて、あかねは辺りを見渡して踏み台か何かを探したが、それらしきものはこの辺にはなかった。仕方が無く、もう少し奥にある書棚の方へ歩いていった。

入口からは遠くなり、その周辺に並ぶ机にも学生の姿がない。奥に進むほど、人の気配が無くなっていく代わりに静寂が一層深くなる。
そろりそろりと足音を出来るだけ立てないようにと、辺りをきょろきょろしてみた。

すると、書棚の奥に脚立を見つけた。が、あいにくと先客がいた。一人の青年が、脚立に腰掛けたままで熱心に本を読みふけっていた。
年令は…24〜5才くらい?多分そんなに鷹通と違わないくらいだろう。ここの学生だろうか。でも、それにしては大人びている気もするし、彼の周囲の空気はとても落ち着いて静かだ。

何となく声をかけて、彼の空間を遮ってしまうのも申し訳ない気がする。どうしようか、と思いつつ入口の方を見ると、鷹通が手招きしてるのが見えた。どうやらお茶の用意が整ったらしい。
あかねはそっとその場を立ち去って、鷹通のいる受付口へと戻っていった。

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「すみませんね。あまり女性の方が多く訪ねてくる場所ではないもので、お茶菓子もなかなか揃わなくて」
そう言って鷹通は、館長を兼任している彼の担任から貰ったクッキーの詰め合わせをお茶のカップと共に差し出した。
土曜日の昼下がり。普段は今頃、天真や詩紋と共に街に繰り出して、カラオケやファーストフード、ゲームセンターに入り浸ってはしゃいでいただろう。それも楽しいけれど、こんな風に静かに時間の流れを、お茶と共に眺めてみるもの悪くはないな、と思った。
白い湯気がのぼる紅茶のカップ。あかねと、鷹通と…………そしてもう一つのカップ。

「あれ?カップが三つ?」
空いた席に差し出されているカップを見つけて、あかねが言った。
「ああ、そうでした、まだ彼をご紹介していませんでしたね。この図書館には常に私の他に、常勤している方がいるのですよ」
「そうなんだ。うん、そうだよね、だって鷹通さんはまだ学生だし、アルバイトだもんねえ。正社員さんがいないといけないもんね」
「ええ。私も学生のはしくれですから、あくまでも学業が優先ですからね。ですからいつも常時ここにいるわけにも行きませんし」
公立の図書館に比べれば、大学の図書館なんてそんなに人手が必要なわけではないから、鷹通の他に数人交替でのアルバイトがいれば充分事足りる。こんな土曜日の午後でも、実質鷹通と社員である彼だけでのんびりした時間が作れるのだから。
「で、その人ってどこにいるの?」
空いた席の紅茶が冷めていくのが気になって、あかねは尋ねた。
「えっと…多分図書室の方にいるのかも…探して参りますので、ゆっくりなさってて下さい」
鷹通は紅茶のポットをテーブルの上に置いて、今しがたまであかねがいた本の倉へと向かっていった。

こんなに居心地のいい図書館なのに、何で人が少ないんだろう?
まあ、多分今年入学したばかりの新入生たちは、屋内にいるよりもさっき通り過ぎたオープンカフェなどで時間を過ごす方が気持ち良いのだろう。
確かに風も肌で感じられて気持ち良いだろうけれど。でも、本に囲まれた中で過ごすのだって良いものだ。それを発見出来ただけで、ここに来た意味があった。
二つ目のクッキーをつまんだ頃、鷹通が一人の男性を連れて戻ってきた。



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Megumi,Ka

suga