Lemonade Summer

 第2話
ようやく選んだ土産物を宅配で直送してもらうことにして、再びあかねたちは外に出た。
いくら避暑地とは言え、冷房の部屋から出ると一瞬蒸し暑さを感じる。
「あっついですねえ…やっぱり」
行き交う人々は、否応無しに肩をこすり合わせながら歩く。時折押されながらも人混みをかき分けないと、前にはなかなか進めない。

「あかね」
後ろから泰明に呼ばれて、立ち止まったと同時に振り返ると、あかねの手を泰明の手がしっかりと握った。
妙にひんやりした泰明の手。じわりと伝わるのは、冷たさよりも不思議な熱さ。指先から神経を通って、身体が少しずつ脈打ち始めるのが分かる。
「はぐれないように、手をつないでいろ」
「あ、は…はい…」
平然として、手をつないだまま泰明はあかねの隣を歩く。
時々、すれ違うカップルが同じように手をつないでいるのを見て、無性にあかねは胸がどきどきし始めた。
おそらく彼は、何の気無しに手を握っているのだろうけれど。
他人の手が自分の手に触れているというだけで、あかねは妙に意識してしまう。


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信州・軽井沢と言えば…ジャムが有名なのだとガイドブックにも書いてあった。
「あ、ここですよ、さっき言ってたジャムのお店って…」
有名なテニスコートに近い路地を入ると、そこに店があった。
「ジャムなど、どこでも買えるものではないのか?」
「そりゃそーですけどー!でも、やっぱりこういうところのは違うんですよ」
店に入り、所狭しとぎっしり並ぶジャムのビンに圧倒された。
いちご、あんず、ブルーベリーにマーマレード…それぞれが大中小のサイズで陳列されていた。
どれもが果実の形を残したプレザーブタイプで、今朝の朝食で食べたジャムによく似ている。

それにしても、これだけ種類があるとさすがに迷う。さっきも土産物店で随分と迷ったが、ここでもそれだけで時間を費やしてしまいそうだ。
しばらく見渡していると、あかねは珍しい名前のジャムを見つけて手に取った。
「うーん?何か変わった名前…どんなジャムだろ、これ」
それは、見た事も無い植物だった。名前を、"ルバーブ"という。
写真が貼られていたが、まるで蕗のような太い茎と大きな葉。野菜なのだろうか…とても果物とは思えないが。

すると、泰明がやって来て写真を見た。
「シベリア周辺が原産の"大黄"という漢方に使われる植物の一種だ。ショクヨウダイヨウと呼ばれているものが、ルバーブだ。」
「え?漢方とかに使うんですか?じゃあ…もしかして苦いんじゃ…」
そちらに関しては全く疎いが、どうも"漢方薬"と言うと"苦い"という印象が先走ってしまうのは何故だろう。
あの、独特の鼻を劈くような匂いのせいか。
「ビタミンCとカルシウム、繊維質が豊富に含まれている。茎に酸味のあるのが特長だ。」
泰明は、引き続きルバーブの説明をしてくれた。
こういう知識がぱっと出て来るのを見ると、やはり植物学博士なんだなあ…と思ってしまう。彼の本職を垣間みる瞬間だ。
「そうなんですか…初めて知りました…。あ、これは桑の実…だって。」
馴染みの無い材料のジャムを次々に手に取り、首をかしげているとすぐに泰明が言葉を挟む。
「桑の実は、丁度初夏に実が熟す。ポリフェノールが豊富に含有されている。味はなかなか良いと聞く。」
「はあ、そうなんですかあ…」
その後も、泰明は次々とジャムの材料になる植物について、簡単ながらも簡潔な説明を続けた。
時折その姿に、店員や客たちも感服するほどだった。

「じゃあ、このルバーブの試しに買ってみよ。あとは…オーソドックスなヤツ…」
小さなルバーブジャムをかごの中に入れて、あかねは精算のためにレジに向かおうとすると、何やら店の奥にある棚の付近で、泰明がじっと手に取って見ているものがあった。
「何か気になるもの、ありました?」
覗き込んでみると、その手には小さなガラスのボトル。どうやらジュースのようなものらしい。
同じものが、目の前の棚に並んでいた。
「山ぶどう…のジュース?へえー…普通のぶどうジュースとは違うんでしょうかね?」
「酸味が強いと書いてあるな。野生種は大概、そんなものだが。」

結局、あかねは泰明が見ていた山ぶどうのジュースと、ブルーベリーのジュースのボトルとかごに入れた。


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店の中にある時計を見て、現在の時刻にやっと気付いた。
午後1時……。ホテルを出たのはお昼前だったが、すっかり時の経つのを忘れていた。
「…あの、泰明さんは…そろそろお腹とかすきません?」
いくら朝食が遅くなったからと言っても、もう昼食を摂っても良い頃だ。というか、この時間では遅すぎるような気もするが。
「腹が減ったのか?さっきから色々口に入れているだろうが」
いや、それとこれとは違うのだ、と反論してみる。
最初の土産物屋では二口三口の試食をしただけだし、そのあと誘惑に負けてモカソフトを食べたりしたけれど…。
「何て言うか、ほら、お昼ご飯!っていうのがまだなんでー…」
普段から食に関しては無関心の泰明だから、食べなければ食べなくていいと思っているのかもしれない。
しかし、あかねはあくまで一般的な食欲を持っているので、遅くてもそろそろ空腹感がよぎる。
「なら構わない。付き合ってやるから好きな店を選べ。」
そう言って泰明は立ち止まった。

何と言うか……不思議だ。
どうして今日はこんなに、すんなりと自分の要求を受け入れてくれるんだろう?
そもそも、午後から出掛けると自分で言い出しておいて、あとはすべてこちらに任せるということから妙だ。
自分で何かしたいと思わない限り、動き出さないタイプなのに。
これじゃまるで、一人で出歩きにく買ったあかねに、付き添ってくれているような感じじゃないか。

………まさか、ね。泰明がそんな気を回すなんて、そんなことはない、と思うけれども。

「早くしろ。店で待たされるのだけは御免だぞ。」
「あ、はいはい。じゃあですね……」
あかねは取り敢えず、ガイドブックに載っていたパスタレストランに行くことを決めた。


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幸いランチタイムの時間をずらしたせいで、店の客足は一段落していた頃だった。少し奥ばっている場所にあるのも、隠れ家的な雰囲気で意外に落ち着く。
やはり泰明はそれほど空腹ではなかったのか、それとも単に食事することに感心が無いのか(こちらが可能性大)、デザートとサラダ付きのコースメニューを選んだあかねと比べて、彼はアイスコーヒーとクラブハウスサンドという簡単なオーダーだった。
「それで、これからどうするんだ?。次はどこに行くつもりだ?」
白いプレートの中に盛られた、鮮やかな色のパプリカをフォークでつまんだあかねに、泰明が尋ねた。
次はどこに行こうか……と言われても、さあこれからどうしよう?
「泰明さんも何かリクエストして下さいよ。私ばっかり行きたい所に出掛けて、付いて来てもらってるみたいで悪いじゃないですか」
古びた真鍮のグラスは、氷で汗をかいている。ロックアイスがコーヒーの中で揺れ動き、それで泰明は喉を潤した。
「元々、おまえに付き添うつもりで出て来たのだから、それで構わん。」
一言、いつもの口調でそう言った。だけど……。

ホントに、それだけのつもりで誘ったということなのか?泰明が?
あの泰明が…?出会ってそれほど長いわけじゃないけれども、これまで知った中での泰明が、そんなことをするタイプだとは思えない。
逆に、その正反対だと思っていたのに。
どうしてそんなことを、突然思い付いたんだろう。ただの、時間つぶしが欲しかったからか?それとも、煩わしい学会研究者たちとの交流から逃げる為の、口実?
でも、それにしても……それがどうであれ、あかねがこうして軽井沢の夏を楽しむことが出来たのは、彼が誘い出してくれたからこそだ。

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Megumi,Ka

suga