Lemonade Summer

 第1話
11時を少し過ぎた頃だったか、あかねの部屋にジャグに入ったアイスティーが運ばれてきた。
一人で待機しているあかねを気遣って、鷹通達がルームサービスを頼んでくれていたらしい。ホテルメイドのクッキーも、数枚添えられている。
テラスへ続く窓を開けて、ティーテーブルと椅子を近くまで引き寄せ、森の中から吹いてくる風を感じながら、貸出自由の文庫本をめくる。
「はあ〜…なんか優雅な夏休み〜…」
グラスいっぱいに入った氷が、アイスティーの海でゆらゆらと泳ぐ。時折ストローをかき混ぜると、涼しげな音を奏でた。

まるで別世界のようだ。
至って普通の中流家庭育ちであるあかねにとって、こんな休日の過ごし方は異空間とも言える。まさにセレブの世界だ。
フォーマルドレスで彩られた晩餐会や、涼しい軽井沢の森に包まれたホテルで過ごす時間……。
それも明日で終了。まるで、二泊三日でシンデレラになったような錯覚を覚える。


「まだお昼ちょっと過ぎか…。セミナーは、まだ終わらないよね…」
時計の文字盤を見て、あかねはつぶやく。
確か午後1時から会食と言っていたから、早くても終わるのは12時半くらいだろうか。
「あれ?もしかしてお昼食べてから戻ってくるのかな、泰明さんたち……」
そこまでは聞いていなかった。もし、そうならばこっちも食事を済ませておいた方が良いんだろうか。
どこに出掛けるつもりなのかは聞いていなかったけれど、途中でお腹がすいたからどこかに入りたい、なんて言えないし…。
「どうしようかな…簡単な食事くらい摂っておいた方がいいのかなあ…」
朝食の時間は決して早いわけではなかったから、まだそれほど空腹感がよぎるというわけではないけれど。

コンコン。
クラシックなホテルであるから、勿論インターホンは付いていない。外来者は必ず、こうしてノックをする。
「は、はい…どちらさまですか?」
慌てて椅子から立ち上がって、ドアの内側から外を覗いてみる。
返事はないが、そこに立っている者の姿を確認して、あかねはすぐにドアロックを外した。
「泰明さん!もうセミナー終わったんですか?!」
ドアを開けたとたん、泰明は鬱陶しそうにネクタイを解きながらあかねの部屋に入って来た。
そして、昨日も着ていたグレイッシュグリーンのジャケットを脱ぎ捨てると、今度はワイシャツのボタンを外し始めた。

「な、何するんですかっ!こんなところでー!!」
あわててあかねが赤面しつつも、泰明の手を止めようと駆け寄るが、当の本人はいつもの通り表情など全く無い。
「暑苦しいからボタンを緩めているだけだ。それがどうかしたか。」
「だ、だからって!そんなっ!かりにも私だって女なんですからっ!そ、そんな、目の前で脱がなくったって…!」
泰明の手をせき止め、一応顔を反らしながら説得をしようと試みる。
「何故、シャツまで脱がなくてはならんのだ。ただ、ボタンを緩めただけだと言っただろう。」
「…え?」
そうっと顔の向きを戻して、改めて泰明を見る。襟元が広がり、ボタンが2つほど外されている、だけ。
ただ、それだけの変化。
「シャツを脱いだら裸になってしまうだろうが。その方が良いのか?」
「ばっ、ばっ…馬鹿なこと言わないで下さいっ!!」
再びあかねは泰明を突っぱねるようにして、赤くなった顔を両手で押さえながら背を向けた。


…全くもう、どうして泰明さんて突拍子もないことばっかりするんだろ☆
こちらが混乱していることなど、おかまいなしの泰明は手首のボタンをも外しにかかっている。ただ、黙々と。


「では、出掛けるか」
それもまた唐突に、泰明が切り出した。
「え?セミナー…ホントに終わったんですか?」
「終わったから戻って来たに決まってるだろう」
まあ、それはそうなのだけれど…泰明の事だから、自分の番が終わったからそれでおしまい、とかで勝手に出て来てしまったんじゃないか、と詮索したくなる。
「午後から会食とか、言ってませんでしたっけ?」
「それは特に必要不可欠な予定ではない。私が出席しなくても事は進む。」
相変わらず自己中心というか、極端なマイペースというか。
今から始まったことではないけれど、彼はどんなことでも最小限のものを目指している。無駄にあれこれと手を染めることなく、余計なもののない本質が要求するものだけを優先する。
生きること自体が、シェーカースタイルと言った感じか。

「で、どこに行くんですか…一体」
部屋の隅で自分の支度を整えながら、あかねは泰明の外出目的を尋ねたが、彼からは意外な答えが返って来た。
「取り敢えず、おまえに任せる」
「……はぁ?」
思わず耳を疑った。確か朝食の席では、彼から午後の外出に付き合えと言われたはずだが。
てっきり何か用事があって、それに付き添うことになるんだと思っていたのに、行き先は任せる、と?
「どこか行きたいところ、あったんじゃないんですか?」
「特にない。この辺りはよく分からない。おまえは、ガイドブックみたいなものを持って来ていただろう」
まあ確かに、小さな本だが一応お土産探しに重宝するかな、という程度に持参してはいるけれど。
「適当におまえが選んで、行きたいところに連れて行け。」
「ええー?何でそんな……」

でも。
…せっかくの軽井沢だし、見て歩きたいところはたくさんあるし。
買い物したいところもいっぱいあるし、興味は尽きないし。
「泰明さん…人が多いところでも、構わないですか?」
一応尋ねてみる。だからといって、夏の軽井沢で人が少ない場所なんてものは、滅多に無いと思うのだけれど。
「……好きではないが、この時期は仕方ないだろう。おまえに任せると言ったのだから、それに従おう。」
従うって、別に家来ってわけじゃないんだから、と言いたいが。
「じゃ、そうですね……まずはえっと……」
バッグから取り出したガイドブックを広げて、あかねはパラパラとページをめくった。
この際だ。泰明がそういうのなら、こちらも遠慮なく楽しませてもらおう。
そう決心したあかねは、チェックしていたショップ巡りに泰明を連れて行くことにした。

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案の定、溢れるような人混みが、軽井沢の温度を一時的に上げているのではないか、と思うくらいの混雑ぶりだった。
昼間の旧軽銀座なんて、混雑を極めると分かってはいたのだが…何せ車という足がないだけに、ホテルから徒歩圏内で出掛けられる場所と言ったら、やはりここくらいだ。
「どこからこんなに、人が出て来るのだ…」
「しょうがないですよ。だって避暑地なんですから。観光地はどこでもこんな感じですよ。」
観光地じゃなくても、日曜日の駅前通りも似たようなものだから、あかねとしては日常として慣れっこではあるのだけれど、泰明にとっては異質な光景に映るのだろう。
「ここで何をするつもりなんだ」
「えーと、お土産買おうかな、と思って。家の分と天真くんと詩紋くんと、クラスメートの分と…」
リストを上げたら切りがない。探したいものも、見たいものもたくさんあって、とても全部は廻れないとは思うのだけど。
土産物店もあちこちにあって、何を選んで良いのか戸惑いそうだ。

「それで、どの店に行くのだ?」
「えっとですね、この先にある角の…あ、チーズケーキ!泰明さん、ちょっとここのお店、見て行きませんか?」
おもむろに、あかねがショーケースに並ぶケーキを見つけて、店の中に吸い込まれて行く。今、説明した店とは全く違うようだが。

店内に並ぶ信州の名産品と菓子を眺め、時折店員に勧められた試食をあれこれ試しつつ、あかねはうろうろと品定めをしている。
勿論、この店の中も客は多く、冷房が効いているとは言えど人間の密集率は変わらない。
「泰明さんもちょっと味見してみて下さいよ!これ、どっちが美味しいと思います?」
小さなケーキのかけらを、あかねが遠慮無しに泰明に差し出して来た。
菓子なんて全く興味のないものだが、仕方がなくほおばったそれは、どこか甘酸っぱくて懐かしい味がした。


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Megumi,Ka

suga