永遠の緑

 第2話
予定もなく暇な連休続きだと思っていたのに、いきなり飛び込んできたスケジュールにあかねは少し戸惑っていたが、そうおろおろしているわけにも行かない。
たった二日のアルバイト…と言うか、何というか。バイトと言えるほどの内容なんだろうか。
鷹通は何度も『簡単な仕事だ』と連呼していたが、あかねはどう転んでも不安が拭えない。
北山の奥深い森の中にある、あの場所へ。
二日間の仕事場がある場所へ向かうため、あかねは家を出た。


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前回やってきたときは鷹通の車だったので気付かなかったが、ここはとんでもなく交通の便が悪いことに初めて気が付いた。
バスもせいぜい2〜3時間に一本のサイクルでしか運行されていない。終電は午後5時半。それを逃したら、家に帰れなくなってしまう。
しかもその停留所から、今度は山道を15分くらい登って行かなくてはならない。
「どーしてこんな場所に住んでるのかなーっ★」
やっと研究所の入口にたどり着いた時には、あかねの呼吸は途切れがちになっていた。
真っ白で冷たい外壁に包まれた近代的な研究施設は、深い森の緑の中で光るように浮き上がって見えた。


インターホンを鳴らすと、どこかで機械の動く音がする。ふと見上げると、小さなテレビカメラがこちらを向いていた。セキュリティ用の監視カメラだろう。

「誰だ」
スピーカーを通して声がする。
「あ、あのー…先日、藤原さんとお邪魔した元宮…と言いますがー……」
しばらくの沈黙。
どこか遠くで聞こえる小鳥の声が、まだ日の高い事を教えてくれていた。その声がなかったら、日暮れも気付きそうにない。うっそうと木々が建物を覆い尽くしているからだ。
「入れ」
白壁と同じくらいに無機質な声が返ってきたとたん、目の前のドアがゆっくりと開いた。


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前回やってきた時の記憶を辿って、あかねは玄関ホールをぐるっと見渡してみた。
植物学の研究所だと言うのに、デコラティブなものは一切目に入ってこない。観葉植物の一つくらいあっても良さそうなものだが、生活感のない白一色の壁と床がどこまでも続いているだけだ。

確かこの間彼がいた部屋は…エレベーターに乗って上がった気がするが。まずはエレベーターを探さなくては。
しかしこれだけ一色しかない世界では、どこが境なのかさえ見分けが付かない。
「えーと…どこだったっけ…。」
きょろきょろとあちこちを見ていると、天井辺りに取り付けられているらしいスピーカーから、さっきと同じ彼の声が聞こえてきた。
「そのまま直進に進み、左の突き当たりにエレベーターがある。3階に上がり、手前から3つめのドアを叩け」

何だか、ダンジョンに紛れ込んだゲームのキャラクターのような気持ちである。彼の指示に従って歩くと、壁に小さなボタンのある場所があった。やっとエレベーターを見つけて3階のボタンを押す。
「えっと…で、手前から…三番目…のドア、か」
何の印もない殺風景なドアの前に立って、ノックをする前にすーっと深呼吸をする。何にも匂いを感じない。研究所にありがちな薬品の匂いもにない。外に広がる森の匂いも仲間では漂ってこない。
「鍵は開いている。」
スピーカーを通した声が聞こえて、はっとあかねは我に返った。
金属のノブをゆっくりとひねって、ドアをゆっくりと開けた。


とたんに。むせかえるくらいに濃い香りが目の前に広がっていた。緑色の香り。草の匂い。自然の中の匂い。土の香り。
この間見た世界が再び目の前にある。
そして、その緑に包まれた中にたたずむ彼の姿も。

「あ、あの……藤原さんから言われて来ましたっ。お世話になりますっ。」
あかねは慌てて泰明に向かって頭を下げた。が、予想通りに彼からの反応は無に等しい。
「日給15000円。二日で30000円。明日の仕事終了時に支払う。時間は午前11時から午後5時迄。残業の時は最寄りの駅まで車を手配する。以上だ。」
返ってきたのは、勤務内容の一通りの簡単で簡潔な説明。思わずあかねはぽかんと頭が真っ白になった。
この、とんでもないくらいに高い給与の意味は何なのだろう。それだけに仕事の内容も濃いからだろうか。あかねはおそるおそる尋ねてみることにした。

「あの……すいません……お尋ねしても良いですかぁ?」
「何だ」
「仕事の内容についてなんですけどー………」
泰明は無表情であかねの方を向いた。
「雑草採取と水やりだ」
「は?」
「おまえに出来るくらいの仕事はそれくらいだろう」

カチーンと頭の隅っこを叩かれたような衝撃が伝う。思わず顔がひきつってしまいそうだ。しかし、でも…それくらいの仕事でこの給与は桁外れではないのか。
と、あかねがあれこれと考えているうちに、突然泰明が目の前を横切るようにして廊下に出ていこうとした。
「ちょ、ちょっと…どこに行くんですかっ!?」
何も言わずに背を向けて階段の方へ歩いて行く泰明を、慌ててあかねは追いかけて尋ねると、彼の長く束ねた髪がゆるやかに揺れて、綺麗な顔をこちらに振り向かせた。
「仕事だ。着いてこい。」
それっきり泰明は振り向かずに、真っ直ぐに前を歩いていった。


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内装はどこも同じ。二階も白の連続が延々と続く。ドアノブが6つ目に入った。その一つをまわして泰明がドアを開けた。
「この階にある植物たちに水を与えることがおまえの今日の仕事だ」
開いた部屋の中は、泰明のいた部屋と同じ様なグリーンの香りがする。人工的な無彩色の中で、眩しいくらいの緑。
「6つの部屋全部に植物が置いてある。一つ残らず水を十分に与えろ。」
多種多様の緑の葉を背に、そう泰明は言った。
「あのー、いくつあるんですか…その、植木って……」
「1部屋に1285種類ある。」
簡単に泰明は答えたが、あかねは立ちくらみを起こしそうになった。そんなたくさんの植木に一つ一つ水やりをしろと言うのか…?1285種類の部屋が6つ。計算能力もうまく働かない。
「何か用事があるときは、机の上の電話で連絡しろ。短縮3で通じる。」
そう告げて、泰明は体の向きを変えた。そして今やって来た方向へと再び戻る道を歩き出す。
呼び止めて何か…言おうとしたのだけれど、一度麻痺してしまったあかねの脳機能は即座に行動を起こせるような状況ではなかった。
気付いたとき、二階のフロアにはあかね以外誰もいなかった。


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しかし、泰明は1285種類の植物と言ったのだが、素人であるあかねにはどれもこれもが同じモノにしか見えない。
せいぜい葉の色が微妙に違うとか、形が違うとかという視覚的なもので判断する以外に区別の方法は思いつかない。
「こんなに近代的な機能の研究所だったら、水やりだって自動にしちゃえばいいのにねえ……」
植木ポットにじょうろで水をかけながら、あかねはひとりごとをつぶやいた。殆どのことがコンピュータ制御で行うことの出来る、この施設の中でこんな水やり方法は異質なほど原始的に思えてしまう。
だが、こんな多くの植物と共に生活している彼は………。
「……助手もいないのに、普通はどうしてるんだろう……」
しずくが床の上にぽとりと落ちた。





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Megumi,Ka

suga