永遠の緑

 第1話
大学生になってみたら、少しはのんびり出来るんじゃないだろうか、と思っていたのが間違いだった。
少なくとも自分が新入生と称される一年間は、これから続く数年の生活スタイルを初期設定しなくてはいけない時間である。
毎日がめまぐるしく忙しい。季節が変わり行くこともゆっくり実感できやしない。
気が付くと、カレンダーはゴールデンウィーク直前にまで進んでいた。


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「天真くんのハクジョーモノー!!」
学食のガーデンテラスで天真にあかねは突っかかった。昼下がり、そそぎ込む春の日差しにテーブルの上のグラスも輝いている。
「しょーがねーだろーが。こっちはサークルの新入生歓迎会も兼ねてのスケジュールなんだよ」
「でも、この予定表…登山とかよりもキャンプみたいじゃない〜。なんだぁ、楽しそう……」
あかねが手にしているのは、天真が入部した山岳部の新入生歓迎会のパンフレットだ。
ゴールデンウイークの連休を使って、南アルプスへの登山を決行するという。もちろん夜はキャンプを張っての野宿…いや、アウトドアライフと言った方が良いだろう。
天真のようにアウトドア派、という訳ではないあかねだが、この毎日の忙しさの中で連休の予定を立てることをすっかり忘れていたのだ。
「ゆっくり家でごろごろしてりゃいーんじゃねぇ?」
「他人事だと思ってぇ………」
つまらなそうにあかねはぼやいて、グラスの中のオレンジジュースを飲み干した。


午後の講習を終えてから、あかねは同好会が保有している花壇へ向かった。今週の午後の水やり当番は彼女である。
ホースを伸ばして、花壇全体にシャワーを広げる。水しぶきが心地よく思うのはは、今日の平均気温が初夏並みだからだろう。
「こんにちは。水やりお疲れさま」
講義を終えてやってきた鷹通が、あかねの肩をそっと優しく叩いた。

「あなたが入学した時に植えた幾つかの種も、少しずつ芽を出して来ていますよ。綺麗に花咲くと良いですね」
小さな芽の緑を指先で確認しながら、鷹通はゆっくりと背を伸ばしていく植物たちの姿を愛おしそうに眺めていた。
そういえば最初の頃は、芽が出たとき嬉しくて何度もこの花壇を覗いて帰ったっけ。毎日成長を続ける姿を一瞬でも見過ごしたくなくて、天気が荒れたときは気になって傘を立てかけて置いたり。
今でもそんな気持ちはないわけじゃない。
だけど…こんな暖かな午後は、これからの連休のスケジュールが白紙のままであることが結構つまらなく感じてしまう。

「鷹通さ〜ん…鷹通さんは連休とか、用事あるんですか?」
一通り水撒きを終えたあかねは、部室でコーヒーを入れている鷹通に尋ねてみた。
「私は…そうですねえ、別にこれと言った予定はないですけれど、2〜3日は祖父の別荘にでも出かけてのんびりしようと思っていますよ」
「別荘〜っ!?」
と、ここまできて思い出した。入部した当時に教えてもらったこと。貿易会社の御曹司である鷹通に、別荘のひとつやふたつ、あたりまえなんだろう。だが、平均的な庶民のあかねにとっては、そんな世界は全く未知の異空間と言って良い。
「いいなぁ…優雅だなあ……私、全然予定立ててないんですぅ…忙しくてゴールデンウィークっていうのも忘れてて★」
角砂糖を二つ、ミルクを二杯入れたコーヒーのカップを鷹通から受け取ったあかねは、椅子に腰を下ろしてためいきをついた。
「そんなことはないですよ。私はあとの二日は安倍先生のお手伝いですからね。元宮さんたちよりもお休みというのは少ないんですから」
自分のカップに残りのコーヒーを注ぎ、鷹通はあかねと向かい合って座った。
「安倍先生…って、この間の植物学博士の…?」
「そうです。学会が近いので、研究のサンプルのまとめをしなくてはならないそうで。助手を取らない方ですから、こういう時は忙しくてお手伝いを頼まれてしまうんですよ」
そう当たり前のように鷹通は言うが、それとてそれなりの技術を持つ者でなくては務まらないだろう。
天才と呼ばれる彼に、鷹通は認められるだけの技術があるという証明だ。
せめて自分にもそれくらいの技術があれば、彼の手伝いくらいは……出来る……だろうか?
そうでもしなくては、彼と同じ視線で話などできっこないような、そんな気がする。


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なんのかんの言っているうちに、ついに世の中はゴールデンウイークに突入してしまった。
こういう時に限って早起きなどしてしまうものだ。何の用事があるわけでもないというのに。
あかねは取り敢えず起きあがって、庭先に降りて深呼吸をした。どことなく周囲も静かに思うのは、世の中が休日になっているからだろう。
「あーもうーつまんないーっ」
大きく体を伸ばして、天気の良い青空を見上げる。空の色が澄んでいるだけに予定のない1日がつまらなく感じる。出かけるには最高の天気なのに、暇があっても予定もなくてはどうにもならない。
思い出したように詩紋に一昨日電話をしてみたが、思えば受験生の彼は休日なんてゆっくりしていられないのだ。去年の自分を思えば確かにそうだった。
だからと言って、家にいれば何かと母に用事と言いつけられそうだし。ショッピングに出かけるにしても…あれこれと出費が多かった一ヶ月。バイトもしていないあかねの懐具合は春には遠い。
「良いなあ…鷹通さん、今頃高原でのんびりしてるんだろうなあ…良いなあお金持ちって…」
情けない声を出して、縁側にごろりと寝転がる。心地よいのには違いないが、何か新鮮さが足りない。
「バイトなんて言っても…そんな暇なんて一年生のあたしにはないしなぁ…」
家の子猫が隣でひなたぼっこをして丸くなっている。
その時、母親があかねの携帯電話を持って居間からやってきた。
「あかねー!携帯鳴ってるわよー!ほら!」
コトコトと震動で赤いビーズのストラップが揺れている。受け取って液晶画面を見ると、鷹通からの電話らしいことが分かった。


「もしもし?元宮さん…ですか?ああ、良かった…つながって」
あかねの声が呼び出し音を止めたことに、受話器の向こうの鷹通の声は安堵感を持った。
「どうしたんですか、鷹通さん?今、別荘じゃなかったでしたっけ?」
「ええ。そうなんですけれど…実は困ったことがありまして…つい元宮さんに電話をしてしまったんです」
「困ったこと……って?」
姿勢を正して起きあがり、あかねは電話に耳を傾けた。

「あの…元宮さん、明日と明後日の二日ほど…お暇ですか?」
鷹通はそう尋ねてきた。暇も暇、これ以上ないくらい暇!とあかねは心では叫んでいる。
「実はですね…本当にいきなりで申し訳ないのですけれど、安倍先生のお手伝いに研究所まで伺って下さいませんか?」
「…あ、あたしがっ!?」
思わず声を高くする。あの…天才と呼ばれる彼の研究の手伝いを、自分にやれと言うのか?鷹通のように生物学や植物学に博識でもなく、むしろ無知と言って良いくらいの自分に、研究の助手のまねをしろと鷹通は言っているのか…?あかねは動揺せずにはいられなかった。
「だ、だって私、何にも知らないんですよっ!?あの人だって、鷹通さんがそれだけの知識があるからお手伝いしてもらっているのに、私全然何もわかんないのに、お手伝いなんて出来っこないですよっ!!」
どう転んだところで、鷹通の頭脳には全くかなわないというのに、何も出来るはずがない。しかし鷹通はあかねを落ち着かせようと、敢えて声のトーンを落ち着かせて話す。
「いや、本格的なお手伝いは私がここから帰ってからなんですけれど、その前にちょっとした植物の植え替えや雑用などを済ませたいそうなんです。サークルでやっているようなことですから、元宮さんでも大丈夫ですから。お願いできませんか?」
「そんなこと言われても……」
用事なんて最初から何もない連休だから、別に問題はないのだけれど。
「アルバイトとしてお給料も支給して下さいますんで…ダメでしょうか?」
バイト…たった二日しかないけれど、丁度あかねの財布も寂しくなってきている所に、わずかでも収入があればあったに越したことはない。

「ホントーに…私でも出来るんですか……?」

あかねはもう一度、鷹通に念を押すように尋ねた。





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Megumi,Ka

suga