雨の肖像

 第1話
朝から小雨が降り続いていた。
静けさは一層深まって行く。窓の外は、かすかな白い靄がかかっているように見えた。
午前五時。こんな時間に目が覚めるなんて、高校時代は経験したことがない。
でも、眠っていられない。
新しい生活が始まる日。大学生としての四年間が、今日から始まる。


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運良く、出掛ける直前になって雨は止んだ。
駅前で天真と待ち合わせて、二人は電車に乗り込んだ。
「いよいよ大学生活のはじまりだねえ…なんかドキドキしてきたよ〜」
「あ〜、またこれから勉強しなくちゃいけねえなんてのも、うざってぇよな。せっかく受験生活から抜け出せたんだし、しばらくは呑気に暮らしてえよ」
「それじゃ大学の意味ないじゃん〜!」
二人は会話を弾ませながら、何度かいつものように笑い声を上げる。これまでとそんなに変わりはしない風景だけれど、もう高校生じゃない。
あかねたちの家から電車で30分程度の場所に、これから二人が通う大学がある。ちらほらと車内に見える、小綺麗な服をきこなした若者達。
「同級生かなぁ」
「そうなんじゃん?この電車にこの時間に乗ってるのは、おそらく同胞だろ」
学部までは分からないが、きっとこれから一緒に同じ時間を費やしていく人に違いない。
名前も顔も知らないけれど、そう思うと新しい生活に心細さがなくなってくるから不思議だ。
「次は桜森学院大学前」
普段は降りる理由もない駅のアナウンスが聞こえた。
が、これから四年間は、この駅と家を行き来することになる。
二人は慌ててホームに降り立った。


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石造りの大学の門をくぐると、そこは桜色の世界が広がっていた。
満開の桜並木が敷地内を覆い尽くし、周囲を薄桃色に染める。桜森学院大学という名前にふさわしいロケーションだった。
そんな桜に包まれた煉瓦造りの校舎は、古めかしい感じはしないが、近代的とも言い切れない。そんな温故知新的な建造物こそ、京都らしい佇まいと言って良いだろう。
今日からここが、自分のメインステージになる。何もかもがここから、新しく始まる。
そして四年後、この門を出て行くときの自分は、一体どんな風に成長しているだろう?
講堂での入学式の最中、あかねは散り行く花びらを眺めていた。

「あー、かったるいなぁ。どーしてこういう式典の時の先公の挨拶ってさぁ、あんなにぐだぐだ長ったらしいんだろうなぁ。」
「そんなこと言ってぇ。ずっと居眠りしてたじゃない、天真くんてば。しかも熟睡してるんだもん、いびきが聞こえたらどうしようかと思って、冷や冷やしちゃったよ☆」
入学式が終了したあと、天真は外に出て思い切り背伸びした。
外出用に仕立てられたスーツは、どことなく天真の身体にはしっくりと馴染んでいない。
背格好とサイズは合っているのに、彼にはやはり、かっちりしたスタイルは息苦しいようだ。
勿論あかね自身も、そんなスタイルはスキではないけれど、式典の場合は特別と考えたが、新調したスーツは出来るだけカジュアルなものを選んでしまった。
淡い桜色の服は、辺りの色彩に溶け込んで行く。それこそが、馴染むということなのかもしれない。


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校庭は賑やかだった。あちこちからチラシやら声を掛けられた。音楽も聞こえてくるし、大きな呼び声も聞こえた。
在校生は、新入生を自分の同好会&サークルに参加させようと必死だ。
「すごいねぇ、みんな盛り上がってる〜」
「ああ、結構おもしれぇサークルとか多いよな。あかねはどうだ、良いところあったか?」
「うーん…」

少しくらい見ただけでは、とても分からない。興味のあるサークルはあるけれど、もしかしたら他にも面白い同好会があるかもしれない。
掛け持ち参加は容認されているが、新入生ではそんな余裕ある時間は持てない。
「もーちょっと覗いてみる。天真くんは、どこか見つけた?」
ロビーにある自販機にコインを入れて、暖かい缶コーヒーのプルトップを開けた。
「俺かぁ。俺は、山岳部とか面白いかもなぁーって思ったりしてんだけどさ。」
「山岳部?あの、山に登る山岳部?」
「そ。俺、屋内でのんびりしてるタイプじゃねえしさ。アウトドアの方が似合いだと思わん?」
天真は、自分をよく知っている。一番自分が気分良く過ごせる術を心得ている。
「いいね、天真くんにはお似合いかも」
「だろ?ゲームやらもいいけどよ、やっぱ自然の中で思いっきりからだ動かすのが気持いいよな」
そう言って天真は笑った。

……私は、どうしよう?

あかねは、これまでに手渡された何枚ものチラシを開いて、中身に目を通した。
映画研究会、ミステリー同好会、絵画研究会、漫画研究会、ウインタースポーツ同好会…バラエティに富んだジャンルが揃う。
でも……。あかねは悩んだ。思いつかない。これと言って、参加したいと思わせるサークルが見つからない。
このまま帰宅部員になってしまって、アルバイトなどをするのも良いかもしれないが、それじゃ何となく、この始まったばかりの大学生活の将来が不安になる。
何かをやってみたいけれど。でも、そんなサークルがあるのか?
パラパラと音を立てて、チラシが風に揺れる。
一枚一枚を指でめくりながら、ふとあかねは若草色の紙に目を止めた。
「グリーン研究会」。聞いたこともない名前だった。

「あ?なんだこれ。」
あかねが熱心に目を通しているチラシを、天真も上から覗き込んだ。
「グリーン研究会…なんか、ガーデニングみたいなことやってるみたいだよ。自分で苗とか育てて、株分けして、それをフリマみたいなところで売ったりもするんだって。簡単な品種改良とかもやってるって…へえ、なんか面白そう」
「ああ、おまえ好きだもんな、花とか木とか園芸みたいなの」
幼い頃からの長いつきあいだ。お互いの趣味くらいは手に取るくらいに分かる。
「あたし、ここにしようかなぁ。あとのサークルは面白そうだけど、別に趣味じゃないもんねえ…」
「いいんじゃん?おまえらしいトコじゃん。自分らしいところに参加して、自分の好きなように楽しむのが一番だぜ?」
天真の言うとおりかもしれない。所詮サークル活動なんてモノは趣味の延長線上にあるようなものだし、それなら自分の趣味を生かしたところでこれからの生活を楽しんだらいい。
「じゃ、あたし決まり!天真くんも?」
「俺もこっちに決まりだな。」
天真は山岳部、あかねはグリーン研究会。
それぞれの居場所を決定した二人は、帰りの時間だけを確認しあって、互いの目的地へと向かった。






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Megumi,Ka

suga