追憶の情景

 第2話
まだ春休みのせいか、平日でも同年代くらいの若者の姿が多く見られる。
町中はとても賑やかな雰囲気だった。
いつもは天真や詩紋と一緒だが、たまにはこういう風に一人で出掛けるのも嫌いじゃない。
あかねは街から少し外れたところにある、大きな園芸センターに出向いた。
そこは中心街から離れているために、広い敷地には多くの花の苗や観葉植物、果樹の苗木や切り花などの、ガーデニング一式が豊富に揃っている店だった。
今までにあかねは、何度かここに来たことがある。部屋の中に飾ってある観葉植物も、ここで買い求めたものだったし、何よりたくさんの花を眺められるのが好きだった。

予想通り、カラフルな花の苗が周囲を彩っている。桜草やスミレ、パンジー、数え切れないほどの花が咲いている。
「こんなにたくさんあると、どれを選べばいいか迷うなぁ…」
あかねは頭の中で、家の花壇をイメージした。そして簡単なシミュレーションをする。どんな花を、どんな風に飾れば綺麗だろうか…どんな風な色で揃えればいいか…。こんな作業が、また楽しかった。
「やっぱりプリムラとパンジーかな…」
少し離れた場所に、花の苗が並んでいる。
あかねはその場所に向かって、ゆっくりと歩きだした。
休みの日でもない午前中に、人気はあまり感じられない。吹き抜ける風は春の香りを乗せて漂っている。

並んでいる棚の上から、いくつかの花の苗を抱えて、あかねはレジのある母屋に向かおうとしたとき、ひっそりと裏手の方に花木の苗木が集まっている場所を見つけた。
そんなものを植えるような余裕は、あかねの家の庭にはなかったが、何故かその木々が目に止まって、そのままその場所へと歩いていった。


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あかねの胸のあたりまで伸びている木々の枝は、か細い感じがしていたが、少しずつ緑色の葉が芽を吹き出して、生命を形として表していた。
その木々に、ふんわりと膨らんでいる黄色いつぼみを見つけた。小さなつぼみは、まだ花開くまでは少し時間がかかりそうだが、おそらく咲いたら綺麗な黄色の花が咲くだろう。
「これ、何て花なんだろ…」
手を伸ばして、あかねはつぼみに触れようとした。

「山吹だ」

はっとして、後ろを振り向いた。背後に人の気配など、全く感じられなかったのに。
彼は、あかねのすぐ後ろに立っていた。
細身で長身の、まだ若い青年だった。
肌の色は白く、女性のように整った美しい顔立ちをしていて、長く伸ばした髪は風に揺れている。
ただ、表情は驚くほどに無表情に近かった。
「あ、そうなんですか…山吹…」
名前は聞いたことがあるけれど、実物を見たのは初めてだった。京都で春になると咲き始める黄色い花。これが山吹。
あかねは、つぼみに目を戻した。というより、名前も知らない青年の顔を、ずっと見ていることが出来なかったからだ。

何というか…顔を合わせづらかった。
妙な緊迫感が互いの間に漂ってしまい、言葉も浮かんできそうになかったのだ。
立ち退こうとしたのだけれど、身体がそこに縛り付けられているような感じがする。
もう春だというのに、ここだけ冬の木枯らしが漂っているようだ。どうしてそんなに、かたくなになっているんだろう。
「その花が欲しいのか?」
「え?」
まさか、向こうから声をかけてくるとは思わなかった。こっちは気を合わせないようにと、目先を違うところにやっていたのに、声をかけられたら会話をしないわけにはいかない。
「あ、いえ…別に…そういうわけじゃなくて…」
「欲しくないなら、何故そんなにじっとその花を見ているんだ?」
「えーっと…それは…」
言葉が続かない。この花を、何故見ていたか…。そんな理由は、あかね自身もわかるはずがない。ただ、いつのまにかこの花の前にいて、何故かこの花が気になって…それ以外の理由など、何もなかったのだから。
「その花に用事がないのなら、仕事に取りかからせて貰う」
青年はあかねの行動など気にも止めずに、表情と同じくらい動きのない声で言った。


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「先生ー!!最後の樹木はお決まりになりましたか!?」
母屋の方から、店員の青年が叫んでいた。彼とは何度か店で顔を合わせているため、それなりに親しい客と店員の仲だった。
足早に彼が、こちらの方へと駆けてくる。
「この山吹の樹木を運んでくれ」
「はい、分かりました!それじゃ、領収書など用意してますんで、あっちでサインお願いします。その間に、荷造りさせてもらいますんで。」
店員の青年は手際よく、あかねがじっと眺めていた山吹の苗木を抱えてその場を立ち去った。
あかねはずっと、連れ去られて行く山吹の姿を目で追っていた。自分でも不思議なくらい、あの花が気になって仕方がなかった。

「あの花は、欲しくないのではなかったのか?」
呼吸の乱れもない声が聞こえて、また我に返る。
「別に…欲しいと思ったわけじゃ…」
「なら、何故そんなにあの花を目で追っている?」
「それはー…」
そんなことは、こっちは教えて欲しいくらいだ。今まで気にも止めたことのなかった花を、どうしてここでこんなに気になり始めたのかなんて、全く分からない。

「欲しかったのなら、最初から言えば良い」
「え?」
あかねはこのとき、はじめて青年の顔を見上げたような気がした。
「そんなに欲しいのなら、私が尋ねたときに言えば良かったのだ。」
「そんな、物乞いするような顔してませんよ!!」
青年の無表情な声に、あかねはどことなくカチンと来た。思わず感情的に声が強くなる。
「私には、少なくともそう見えた」

どうしてこんなに声が単調なんだろう。瞳は澄んでいるけれど、無駄な動きなど全くないし、表情も殆ど変わらない。能面のように整っていて、冷たい美しさ。見ていると凍えてきそうだ。

それにしても何というか、言葉の一つ一つがカンに触る。無機質な彼の持つ空気が、あかねの肌には痛すぎるせいなのだろうか。
あれやこれや考えているうちに、気づくと青年は背を向けていた。
何もそれ以上、会話はなかった。彼はあかねの存在を振り返ろうともせず、その場から黙って立ち去った。
束ねた長い髪の毛が、風に舞うように揺れていた。






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Megumi,Ka

suga