追憶の情景

 第1話
雪の多い年だった。
山は常に白化粧を施している。空から舞い降りてくるのは、氷の結晶。
手のひらに落ちて、そして一瞬で溶けて行く。

静寂は途切れることなく、そこにいる人の気配は自分自身の気配だった。
寂しいなんて感情は、最初から持ち備えていない。
そんなことは、一度たりとも思ったことなどなかった。

なのに、妙だ。
雪を見ていると、瞳の中で何かがあふれ出してくる。
そして、その向こうに…誰かの姿が見える。
でも、はっきりとは見えない。
誰なのか、分からない。


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「おめでとう!あかねちゃん!天真先輩!!」
広いサンルームのテーブルの上には、大きなデコレーションケーキがあり、その表面にはチョコレートシロップで、二人の名前が記されている。
フライドチキンやスナックの、簡単な食べ物が所狭しと並んでいるが、グラスの中のワイン色の液体は、もちろんイミテーションのアセロラジュースだ。
「なんだよ詩紋、こういう祝いの席じゃジュースじゃねーだろ〜」
グラスを手に取った天真が、少し不服そうに言う。
「天真先輩!まだ僕たち未成年なんですから、お酒はダメです!」
「ちぇっ、堅いこと言うなよ、せっかく暗黒の受験戦争から脱出できたってーのに」
文句を言いつつも、その甘酸っぱいジュースを口に流し込む。色合いだけ見ていれば、少し気取ってみることも出来る。
「そんなこと言って、いつもゼミをサボってばっかりだったじゃない、天真くん」
あかねがつっこみを入れる。
「ま、俺はそんな勉強に力入れなくっても、それなりに頭がデキルってことだ」
「そーかなぁ…いっつもテストのあとに、放課後居残りの補習送りになってたの、あたしよく見たことあるけどなー…。しかも決まって、その補習さえサボって先生が学校内探し歩いてるのずいぶん見たのになー…」
カラン、カラン、グラスの中に浮かぶ氷が、冷たい音を立てた。
「あー、そーいう話はシャットアウト!合格通知もらったんだから、別に昔のことなんかどうでもいいじゃん!」
「いっつもそーやって、都合が悪くなると話反らすんだからー」
笑い声が部屋の中に響きわたった。


高校生活が、もう少しで終わりを告げる。
年下の詩紋は、まだ時間が残っているが、あかねと天真は春から大学生となる。
あかねは自分の成績で一番無難な学校を選んだために、合格は殆ど無理はなかったが、天真については結構博打のようなものだった。
成績は良いとは間違っても言えないし、内申書も誉められたモノではない。合格できたのが奇跡のようなものだ。担任教諭が彼の性格をしっかりと捕らえていなかったとしたら、まず不合格だっただろう。恩師に恵まれたのが、彼の大学合格のポイントだった。
「俺たちも大学生かぁ。あかね、おまえは何学部だっけ?」
「私?私はー教育学部。」
「あかねちゃん、先生になるの?」
「うーん…出来ればねー、小学校とかの先生とかなりたいなーって」
「おまえ、自分の頭の程度、分かってんのか?先生ってのは頭の良いヤツしかなれないんだぜ?」
「天真くんよりはマシだよ!」
こつん、と軽い拳が頭をつつく。決して力の入っていない、イタズラっぽい手つき。
「そういう天真くんは、どこの学部だったんだっけ?」
「俺?俺は…体育学部だ」
なんとなく似合う。
「なんつーかさ、あかねみたいに教育学部入って、体育の先生とかさー、やろうかとか思ったりしたんだけどさ。でも俺、そんな頭はねえしさ。だから体育学部でも入って、インストラクターみたいなことが出来るようになれりゃいいなーなんて思ったわけよ」
「天真先輩、そういうの似合いそうだなー」
詩紋は、生クリームをフォークですくいながら、天真の今後の計画方針を聞いていた。
「僕も今年は、来年天真先輩やあかねちゃんの後輩になれるように頑張らなくちゃ」
「そうそう!おまえはこれからが地獄の一年間だからな。しっかりやれよ!」
「頑張ってね、詩紋くん」
先輩二人からの応援のエールが、詩紋には何よりのパワーだった。


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春からの新しい生活の用意も、ある程度済んだ3月末。
卒業式も終わり、大学の入学式は4月5日だった。
天真と買い物に出掛けたり、詩紋を交えての時間を過ごしたり。それらは今までとたいして変わらない時間だったが、近付いてくる大学生活の幕開けに、期待と不安は溢れ出す一方だった。

暖かい日が続いている。そろそろ桜が花開いた、というニュースが聞こえてくる。
哲学の道がピンク色に染まる頃、自分は大学生になっている。
遠い気がしても、すぐそこまで来ている新しい世界のドア。どんな世界が自分を待っているんだろう。
あかねは庭の縁側にぼんやりと腰を下ろし、緑色の芝生を眺めていた。冬の間、花壇には何も花が咲いていなくて淋しい感じだったが、これからは彩りが華やかになる季節だ。

「そうだ、お花屋さんでも行ってみようかな…」
ふと、そんなことを思いついた。
そろそろ色々な花の苗が市場に出回っているはずだ。ガーデニングをするには天気も良い。
久しぶりにあかねは、ひとりで町に出掛けることにした。





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Megumi,Ka

suga