Special Impression

 第3話
レコーディングが終わり、皆は隣のスタッフルームに集まった。
取り敢えず作業は一休みで、新しいレコーディングの簡単な企画打ち合わせをするのだと言う。
「それでですね、橘さんとは一応お話が着きまして、次回もお引き受け下さるとのことだったんです」
三十代前後の若い男性が、書類を森村の前に差し出した。イノリ達のマネージャーである。
隣に座っていたあかねにもそれは見えたが、やはりプロ同士にしか分からない書き方のようだ。
ただ分かったのは、彼らのバンド名。そして曲のタイトルらしきもの…だが、"仮"と書いてあるので本決まりじゃなさそうだ。
そして、スタッフの名前……の欄には、友雅の名前が直筆で署名されている。

「ああ、良かった。今回の作品の出来が良かったから、出来れば是非次も橘さんに…と思っていたんです。承諾して下さって感謝致します。」
森村は深々と頭を下げたが、それに対して友雅の方は堅苦しさもなく、気楽に構えている。
「こう言っちゃ悪いが、私も次の仕事もないから暇ですしね。それなら、もう少し彼らの魅力を探ってみたくなりまして。」
イノリの他に、ギタリストやドラマーなど、メンバー全員が勢揃いした中で、友雅は一人一人の顔を順番に見る。
「みんな回を追う毎に、音の艶が増してきているんだよ。最初の時よりも、ずっと綺麗な音を出すようになってきた。ギターも、キーボードも、ドラムもベースも…君のボーカルもね。」
急に指を差されたイノリは、どきっとして周囲を見渡した。
「これからどこまで変われるか、もう少し様子を見たい。でも、変わりすぎるのはいけない。私の力に利用価値があるなら、そのバランスを取るために使えるかな…と思ってね。」

イノリを含め、メンバー達は顔を見合わせながら、どこかくすぐったい気持ちで頭を掻いたりした。
わざとお世辞めいたことを言ったり、冗談まがいに誉めたりする時とは違う、真っ直ぐな口ぶりで友雅は自分たちのことを認めてくれている。
そういう言い方の時は、彼は嘘を言わない。
付き合いの中で、それを彼等は理解した。
つまり本当に友雅は、自分たちを…自分たちの音楽を信じてくれているのだ。

「さてと。メンバーも揃ったし…。一度全員の演奏で、デモを録りたいんだが、良いかな?」
友雅が切り出すと、彼等はぞろぞろとソファから立ち上がった。
さっきの彼の言葉が照れくさいのか、いつもとは違って言葉少なだ。
「適当に一曲頼むよ。君らのいい音を、もっといい音でレコーディングするためだからね。」
「お、おう…」
そう答えてイノリ達は、自分の楽器を手にしてブースへと向かった。


「あかねちゃん、そろそろ…行こうか」
森村の手が、あかねの肩を叩いた。
見上げた先にあるシンプルな壁掛け時計。その針は、午後6時半になっている。
いつのまに、こんなに時間が過ぎていたんだろう?まったく気付かなかった。
「それじゃあ、私は彼女を送っていくので、今日はこれで失礼するからね。」
「あ、はい。お疲れさまでしたー」
スタッフが軽く挨拶をする。
友雅もまた、至って普通に森村に頭を下げた。

また…明日……と、心の中であかねはつぶやいたが、果たして彼には伝わっただろうか?

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「どうだった?少しは参考になったかな?」
森村の運転する車の中で、あかねは今日のことを彼から尋ねられた。
「はい、いろいろ現場を見て、まだ分からない事ともたくさんあって…。でも、すごく良い経験になりました。ありがとうございました。」
改めて、自分はまだ無知であるのだと思った。
けれども、今日初めて見たことや知ったことは、これからの自分の糧になるはず。
「帰ってから、もっといろいろ勉強します。」
そう、彼女は後部座席できっぱりと答えた。

スタジオにいる間、あかねはちょくちょく何かをメモしていた。おそらく、専門用語が飛び交う現場で、分からなかった単語などを書き記していたんだろう。
専門書だけではなく、今はインターネットなどで調べることの出来る時代。
そんなにも、真面目にこの世界で仕事をしたいと思っているのか…。
今日一日、彼女の様子を隣で見ながら、森村はあかねの意志が中途半端なものじゃないということが、だんだん分かってきた。

軽やかなデジタル音が、車の中に響いた。
「電話かい?少し遅くなったから、お家からかもしれないね?」
「あ、いえ、メールです…」
あかねはバッグの中から、携帯を取り出した。まだ午後7時では、家から連絡が来るほどではないだろう。
そう思いながら携帯を開くと、送信者の名前がライトの中に浮かび上がる。
「……あ…!」
思わず小さな声を上げたが、森村は気にせずハンドルを握っている。
急いでメールボタンを押すと、名前の後に内容が続く。

"もう、家に着いてしまったかな?"

慌ててあかねは、メールの返信を書く。
"まだです。まだ家に向かう車の中です。"
そのあと、2〜3分ごとに紙飛行機のマークが忙しく行き来あう。
"どの辺にいるの?"
"大通りを抜けて、公園通りに入る手前の交差点です。渋滞にぶつかってて、なかなか進まなくて。"
"抜けられる?”
……え。唐突な内容。
"今スタジオを出るから、どこかで待ち合わせ出来ない?"

「あ、あのっ…おじさん!その辺で…下ろしてもらえませんかっ!?」
土曜の夜の渋滞に巻き込まれ、ノロノロ運転を強いられていた森村に向かって、あかねが急に後ろから乗り出して来て言った。
「どうしたんだい?急に。」
「あの…今、友達からメールがあって…。近くにいるから、お茶でも飲まないかって…誘われて…」
咄嗟に思い付いた苦しい言い訳。でも、それくらいしか思い付かない。
森村が信じてくれるか分からないけれど、このままメールを無視することはしたくない。
「どこで待ち合わせ?」
「え、えーと…ここの交差点の右にあるビルの、裏にあるオープンカフェ…で」
以前何度か行ったことのある店が、確かにそこにあった。
友雅には返事をしていないが、降りてメールをすれば大丈夫だろう。

「じゃ、向かいの路地のところで下ろすよ。でも、あまり遅くまで出歩かないようにね。御両親が心配するだろうから。」
「は、はい。ありがとうございます!」
信号が青に変わって、ゆっくりと森村がハンドルを切ると、あかねは即座に待ち合わせ場所を友雅にメールした。



カフェには、まだまだ人の姿が多かった。何せ土曜日の夜だ、当然とも言える。
ポトスの絡むフェンス近くの席に案内され、あかねはカフェオレをオーダーした。昼間はまだ少し残暑の余韻があっても、夜になれば秋風が吹く。
暖かい飲み物が恋しくなる。
ふと周りを見渡せば、グラスを傾けている者は殆どいない。皆、肌で季節の変わり目を感じているのだ。

「カフェオレのホットをお持ち致しました。」
ベージュのカフェオレボウルが、あかねの前にやって来たとほぼ同時に、手前の椅子を引く手が見えた。
「ごめんね、車を停める所を探してて、少し待たせてしまったね。」
「あ…いえ全然。」
友雅は椅子に腰掛けると、丁度あかねのオーダーを運んで来た店員を呼び止め、エスプレッソを一つ注文した。

「そうか。土曜だからこんな時間でも、まだ人が多いのか…」
店に入って来る客は、後を絶たない。もうすぐ午後8時近くになるのに、高校生らしき若い男女の姿もある。
友雅のような仕事は、常に生活時間がバラバラで、ついうっかり曜日の感覚を忘れてしまう。
それでも、日曜日だけは忘れないでいられるのは、目の前にいる彼女と過ごせる約束があるからだ。



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Megumi,Ka

suga