Special Impression

 第2話
友雅が買ってくれたミルクティに口を付けながら、あかねはコントロールルームの隅っこに座り、スタッフが作業している光景をずっと眺めていた。
ギターや楽器の調整をする者、何本もある長いコードを整理する者、マイクテストやミキシング機材を操作するスタッフ…。
彼らは常に、専門用語で会話をする。
時折森村が、そっと用語の説明や、スタッフの仕事について話してくれた。
肩書きや仕事内容は覚えていたけれど、実際にここにいる彼らはそれを生業として生活をしている。
それぞれ形は違えど、皆音楽に携わって生きている。
そしてみんなの力が結晶となり、新しい曲が生まれてくるのだ。

隣にいる森村も、あかねに説明をしてくれている時は、本当に生き生きとした口調で細かく話してくれる。
それだけ彼が、音楽を作るという仕事に夢を持ち、真摯に接しているからなんだろうと感じる。
----やっぱり諦めたくない。
どんな形でも良いから、この世界の一員になりたい。
初めて抱いたこの夢を、遠く儚いものにはしたくないと、改めてあかねは思った。


「おーい、用意出来たゼー」
スピーカーを通じて、ブースからイノリの声が聞こえて来た。
「じゃ、適当によろしく頼むよ」
マイクを引き寄せて友雅が返事をすると、彼は赤い髪を面倒くさそうにくしゃくしゃと掻き上げる。
「適当とか言うなよー。そういうのが一番面倒くせえんだけどっ」
持ち歌でもコピーでも良いから、好きな歌を歌えとか言われても、咄嗟に思い付くものじゃない。
幼い頃から父にロックなど聞かされて、ギターの弾き語りのレパートリーは結構持っている方だけれど、さあどうぞと言われては…さあ、どうしよう?

頭の中に浮かぶ曲名を、どれにしようかと考えているうちに、イノリの泳いでいた視線は彼女のところでピタリと止まった。
…そういえばあの子、こないだのライブで『Inclusion』に、やたら執着してたっけなあ。
何気なく、そんな記憶が頭の中に甦った。
彼女がどういう理由で、あれほどあの曲にこだわっていたのかは、はっきりと分からない。
ただ、友雅の存在が何かしらで影響していることだけは、確実だろうけど。

…いっか。丁度あの子もいるし。
イノリはギターを取り上げて、あのイントロを指先で軽く奏でた。

「あ……」
その音に真っ先に気付いて、思わず声を上げたのはあかねだった。
小さな声に、友雅は視線を彼女に向ける。そして、イノリのギターがスピーカーから流れてくる。
-------Inclusion。
曲のタイトルが思い浮かぶと同時に、歌声が聞こえてきた。

この曲を、もう何回聴いただろう。
初めて聞いたのは、お店にあった試聴盤。
繰り返し聞きたくて、何度も通ってこの曲を聴いた。
そして彼らのライブで聞いたのが、初めての生の音。
ギターの音はちょっと違っていたけれど…でも、良い曲だなと思う気持ちは今も変わらない。

……こっそり、ブースの中を見つめている友雅の横顔を見た。
一度、友雅さんの演奏での『Inclusion』も、聞いてみたいなあ…なんて。
さすがにそれは、無理かな。もう、ちゃんとバンドのギタリストさんが弾いているんだし。
聞かせてもらった完成品の音だって、十分素敵だったもんね。
わざわざ友雅さんが、代わりに弾く必要はないもんね。
それに…明日また会うんだし…。
その時、ちょっとリクエストして、また聞かせて貰おう。
あかねはそんな事を思いながら、『Inclusion』に耳を傾けていた。


「はい、オッケー!」
スタッフの声が響いて、曲が終わっていたことに気が付いた。
目の前の機材を操作しながら、友雅も含めて専門用語が再び飛び交う。
ふとブースの方を見ると、イノリと目が合った。
彼はあかねの視線に気付くと、小さく親指を立てる。
……もしかして、私があの曲好きだったこと、覚えてたから…?
思わず拝むように両手を合わせたあかねに、イノリは明るく笑って見せた。

「じゃあイノリくん、あと一曲頼むねー!」
取り敢えず、デモテープは二本作ることになっていた。使用したい機材が二種類あったからだ。
というわけで、あと一曲歌わなければならないのだが…。
…どうすっかなあ、もう一曲かあ。何かコピーでも良いかなあ。
父に聞かせて貰って覚えた、フォークとかロック?
それとも、たまには国内のアーティストでも良いかなあ。
最初は誰でもコピーから始まるものだし、イノリもバンドを始めた頃はオリジナルなどなくて、人気ロックバンドのコピーなどをやっていた。
今でもそれらは覚えているけれど…。

「イノリ、次は君はボーカルに専念して良いよ。」
顔を上げると、コントロールルームの中で、友雅が立ち上がりこちらを見ていた。
そして彼は直ぐさまドアを開き、ブースの中へを入って来る。
「次は君のボーカルをメインに録る。だから、演奏は私が引き受けるよ。」
「えっ!?」
彼が使っていたギターを手に取り、壁際の椅子を引き寄せて来ると、友雅はイノリの隣に腰を下ろす。
急にそんな事を言い出した友雅に、驚いたのはイノリだけではない。
ブースの向こうのスタッフたちも皆、唐突な展開に目を丸くしている。
だが、友雅は気にせずにイノリの背中を叩いた。
「曲は今の『Inclusion』で良いよ。同じ歌の方が、違いを比べられるしね。」
再び、あのイントロが聞こえてくる。
しかし今度は、別の演奏者の音で。

「珍しいなあ…橘さんが自分からギターを弾く、とか言うなんて。」
「ああ、びっくりしたよ…。用件もないのに、そんなこと言い出すなんて、滅多にないのに…」
驚きを隠せない表情で、皆友雅とイノリの様子をガラス越しに見ながら口にする。
それだけ、彼がギターを自ら手にすることは、貴重なことなのだと分かった。
「あかねちゃん、ツイてるね。橘さんの演奏を生で聴けるなんて、業界人でもそうザラにあることじゃないんだよ。」
森村がそっと小さな声で、あかねにそんな事を言った。

そっか、そうなんだ…。それだけ、友雅さんてスゴイ人なんだ…。
彼らの話を聞くと、何だか向こうにいる彼が、とても遠い世界の人に思えてくる。

でも…みんなはそう言うけれど……。
私には、一番慣れ親しんでいる音だもの。
この音に…友雅さんの音に出会って、私は変われたんだもの…。
伸び悩んでいた成績も、目に見えなかった将来の夢も、今はこの手の中に、ちゃんと存在してる。
予想もしなかったことばかりが続いたけど、それでもその先には必ず、欲しかったものが現れてくる。
それは自分の力が変わったせいなのか、または他の力が手を貸してくれているからなのか…分からない。
でも、今の私は…満足してる。
偶然の出逢いであったとしても……出逢えて良かったって……思ってる。


イノリは何も言わずに、黙って友雅に言われるがまま、もう一度『Inclusion』を歌った。
彼が急にこんなことを言い出した時は、少し驚いたけれど…それも向こうにいる彼女のせいなんだろう、と思った。
スタッフが言うように、普段の彼なら自分の音を安売りはしない。
だが、彼女は特別なんだ。
彼女が望めばきっと…いや、彼女が望んだから、こうしてギターを手に取ったに違いない。

友雅はただ目を伏せたまま、弦をつま弾いている。
ブースの向こうにいる彼女も同じように、黙って目を閉じて耳を傾けている。
お互いは顔を合わせても、自分たちから目を合わせようとはしない。
あくまで、初対面の見知らぬ人物同士の振りを続けているが、それでもどこか通じ合う何かを感じるのは何故だろう?
自分が二人の関係を知っているから、そう思うんだろうか?
それとも……。

"運命の人だからね"
昔、友雅がそんな事を言ったのを思い出した。
あの時は笑い飛ばしたけれど…そういうものもあるんだろうか、なんて…。
そんな事を考えながら、イノリは歌い続けた。



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Megumi,Ka

suga