足跡の向こうへ

 第2話
「あらまあ…こんな気を遣わなくても良いのよ?」
差し出された手土産を受け取ると、天真の母は遠慮がちにあかねに礼を言った。
デパ地下のショップを歩き回ってみると、意外とリーズナブルなオードブルが多く、幸い天真のリクエストに近いものを予算内で見繕うことが出来た。
「言っとくけど、天真くんに食べさせるんじゃなんだからね」
あかねはそう言ったが、彼は既におこぼれを貰う気満々なようだ。

天真の父が帰るのは、午後8時近く。それまではもう少し時間がある、
「あかねちゃん。待っててね。夕飯の支度しちゃうから。」
蘭がキッチンから、フライ返しを片手に顔を出した。どうやら、今夜の夕飯の手伝いの最中らしい。
カウンターの向こうから、香ばしい肉の焼ける匂いが漂っている。
「あ…私も盛り付けとか配膳とか、手伝うよ。」
覗き込んてみると、目の先にあるダイニングテーブルには、既に5人分の夕食の用意がされている。両親、天真、蘭、そしてあかねの分だ。
「小鉢と小皿と…お橋、先に持ってきますね」
「悪いわねえ、お客様にそんなことしてもらっちゃって。」
「ちょっとー!お兄ちゃんは!?お兄ちゃんこそ、手伝うところじゃないのよー!!!」
廊下に向かって蘭が叫んだが、既にバスルームに籠っている天真には、そんな声は全く聞こえるはずがなかった。


秋茄子の揚げ浸しに、かぼちゃのサラダとあさりの白ワイン蒸し。
有り合わせと言いながら、森村家の今宵の夕食はなかなかの品揃えになった。
その中でこの家の主だけは、こんがりと焼き色のついた、あかねの手土産のチョリソをつまみながら、薄い水割りを楽しんでいる。
天真はそれに遠慮なく手を伸ばし、その都度行儀が悪いと女性陣から小言を浴びせられていた。
「美味しいソーセージだけれど、結構したんじゃないのかな?お土産なんか気にしなくても良いんだよ?」
「いえ、おじさん忙しいのに、押しかけちゃって…。せめてお酒のおつまみくらい良いか、と思って。」
あくまで天真の父への土産、のつもりであったのに、さっきからそれをつまんでいる回数は、あきらかに天真の方が多い。
「いい加減にしなさいよ、お兄ちゃん!図々しいわよ!」
「親父への土産は、森村家への土産だ!」
「屁理屈言ってんじゃないわよっ!」
まったく、いくつになっても落ち着かないんだから…と、母が呆れているにも関わらずに二人は突き合いを止めない。

「ここでは、ちょっとお話も出来そうにないねえ」
苦笑いを浮かべながら、天真の父は子どもたちの光景を眺めてつぶやいた。
「書斎へ移動しようか。他人の目や耳が、ない方が良い話題みたいだし。」
彼はそう言って、飲みかけのタンブラーを手に取ると、あかねもオレンジジュースのグラスを手に取った。
そして二人は、ゆっくりと立ち上がる。

「賑やかなのは良いが、あかねちゃんの話を聞くには、ちょっとここは五月蝿すぎるぞ。書斎で話をしてくるからね。」
リビングのドアを開けると、立ち去り際に父が振り向いて言う。
「デザートのカフェオレプリン、残しておくから早くお話終わらせてねー!」
部屋を出て行くあかねに向かって、蘭は天真をはね除けながら言った。

+++++

天真の父の書斎に入ったのは、初めての事だ。
中は6畳くらいの広さではあるが、サイドボードにはぎっしりとCDやアナログ盤が並んでいる。
壁に作り付けの書棚に並ぶ、音楽関係の書籍。ライブ映像のビデオやDVDなど。
CD、カセット、MD、アナログプレイヤーまで、音楽鑑賞設備は新旧取り混ぜて設置されていた。
「すごーい…。やっぱり音楽関係者、って感じのお部屋なんですねー」
キョロキョロと物珍しそうに、あかねはあちらこちらを眺めた。
「仕事だからね。どんな音楽にも対応出来ないと、困ってしまうからね。」
デスクの椅子に腰を下ろした彼は、飲みかけだった水割りを再び少し啜った。

「それで、あかねちゃんが聞きたいことって、何だったのかな?私の仕事について、尋ねたいとか言っていたけれど」
来客用のソファに座っていたあかねの耳に、静かなクラシック音楽が流れて来た。確か…ショパンの『ノクターン』だったか。

「あの、おじさんは社長さんだから、普通の社員の人のお仕事とは違うと思うんですけど…どんな仕事をしてる人がいるのかなあって」
「そうだねえ…まあ、いろんな業種がいるから、全部説明すると切りがないんだけれど、結構普通の会社と変わらなかったりするんだよ。」
オフィス内勤の者は電話応対や、来客をもてなしたり。書類整理や伝票など会計処理など…。
営業は外に出掛けて行き、CDショップや芸能プロを当たって、自社レーベルの売上状態や新人アーティストなどの宣伝をしたり。
「あとは、ライブハウスなどに顔を出して、人気のあるバンドとかをチェックしてメジャーに引き上げたり…とかね。いろいろあるんだよ。」
「この間見に行った"Red Butterfly"も、そうやって見つけたんですよね?」
「そう、うちのスタッフがいち早く声を掛けてくれたおかげで、どこよりも早く彼らの信頼を得られた。そういうスタッフがいつも頑張ってくれているから、ラッキーな出会いが回って来るもんなんだよ。」

彼の会社は規模はそれほどではないが、CDショップをチェーン展開している。
そのため、新曲やCDを自社ショップ各店でPR出来る。そのネットワークの強さは、アーティストや彼らを保持する芸能プロには好条件だ。
「だからと言って、自分の店だけでPRをすれば良い、ってわけじゃないんだよ。FMなどのラジオ局に言って、その曲をかけてもらうように宣伝したり、別の店にも売り込みしないと。」
更に、雑誌等の記事に書いてもらえるように、と出版社に行ったり。テレビ局へ行って売り込んだり。
「私は上からそんな彼らの頑張りを見守るくらいでね…意外と役立たずなんだ。」
そう言って苦笑いをしながら、タンブラーの中にある氷をカラリと鳴らした。

「その他に、レコーディング専門のスタッフもいるよ。レコーディングをするための、セッティングをするスタッフとかね。」
「たくさんお仕事があるんですね…。」
話してくれたのは、ほんのさわりの仕事業務だけなのだろう。
レコーディングやイベント企画など、音楽に携わる仕事は果てしなく幅広いものなのだ、と業界人である彼の言葉は深く響く。
「だが、そうやって新しいミュージシャンが、この世に生まれるんだよ。私たちは歌を歌ったり演奏が出来ないかわりに、こういうことで彼らをバックアップ出来る。いつか彼らが、世界的に有名になるかもしれないだろう?そんな夢を持てることが、この仕事の楽しいところなんだと私は思っているんだよ。」
椅子から立ち上がった彼は、一冊のファイルを書棚から取り出した。
それは、彼がこの会社を設立した当時から、携わって来た多くのアーティストの年鑑だった。

開かれたページをめくると、中にはいまや結構ネームバリューのあるミュージシャンもいたりする。
「小さい子どもが一人前になるのを、見守っていられるような、そんな感じだろうかね。"俺が育ててやる"なんて、大きな顔はしたくないけれど。でも、そんな風に携わったアーティスト達が、成長するのを見るのは楽しいんだよ。」
氷しかなくなったグラスを、手持ち無沙汰に彼は転がしては音を奏でる。
静かなクラシックの音は、いつのまにか別の曲に変わっていて、あまり聞いた事のないメロディーだった。

「ま、私の会社みたいな規模だから、こんな感じで気楽な方針で出来るんだけれど。本当はもっと厳しいんだと思うよ。大手なんかはね。」
「でも…私、おじさんみたいな気持ちで、アーティストを盛り上げてあれられるのって、凄く素敵だと思います。」
あかねが答えると、彼は少し照れたように笑いながらも、その言葉が嬉しいようだった。


「やっぱり私…そんな風に自分の夢と、ミュージシャンの夢を、叶えるために一緒に頑張れるような…そんな仕事に憧れます。」
コトン、と空のタンブラーが、デスクの上に置かれた。
「あかねちゃん、まさか君…私の仕事の話が聞きたいと言っていたのは……」
ここしばらくの間、ずっと考えていたことだった。
それは、あの日彼らのライブを見たのが、ターニングポイントだったのだろう。
夢というものを持ちながら、前に進む彼らの姿。
歌、演奏、曲や歌詞。自分たちが表現できるものの形で、夢に向かっていく彼らの輝き。
殆ど同世代なのに、あまりに違い過ぎる自分。

大学受験への成績はすこぶる順調で、志望校よりもずっと上の大学にも挑戦できる、と指導教師にお墨付きをもらったくらい。
だが、その先にあるものが見えなかった。
そこに進む理由が、あかねには見つからなかった。
何のために受験し、大学に行くのか………こんなところで足元を見失った。

自分が憧れているのは、どんなものか?どんな人なのか?
悩んで-------そのたびに浮かぶ、あのライブハウスのステージ。
彼らのように、輝きたい、と初めて思った。
アーティストとオーディエンスが、一体になって信頼し合える…そんな彼らの音楽。あんな音楽を作り上げる、そのほんの少しの力になれたら。

音楽というものの楽しさと奥深さ、その重要さ……。
やっと分かった、音楽というもののパワー。

「音楽関係の仕事…を目指したいんです、私。」




***********

Megumi,Ka

suga