足跡の向こうへ

 第1話
着メロサイトを延々探しまわってみたけれど、どうにもしっくり来る音がない。
「あーもー…何にしよう…」
たった一人のための、特別な着信音をずっと探している。
有り触れた曲じゃダメだ。クラシックでも固すぎる。ロックみたいな音でもないし、オルゴールみたいな効果音でもない。
「いっそのこと、録音させてくれないかな…ギターの音。」
彼からの電話なのだから、彼の音が一番ぴったり合うはず。
どんな曲を聴いたって、その音に敵うものなんかない。

「…うわっ!」
途端に、手の中で携帯がブルブルと震え出した。
サブディスプレイに浮き上がる名前を見て、慌てて通話ボタンを押す。
『ごめんね。少し連絡する時間が遅くなってしまったけれど、今…大丈夫かい?』
「だ、大丈夫です。友達の用事が終わるまでは、まだ時間があるので。」
いつものように、天真が合唱部に担ぎ出されている間、あかねは放課後を待ち時間に使っている。
大概午後3時半〜午後5時くらい。その時間なら電話に出られる、とあらかじめメールを入れておいて、彼の仕事が途切れるのを待っていた。

「お仕事、終わったんですか?」
『いや、まだ途中。でも、アルバムはそろそろ完成間近かな。でも、マキシの作業も同時進行だから、もうしばらくは忙しい日が続くだろうね。』
更にそれと同時進行で、彼ら自身はプロモーション活動もしなくてはならない。
ひとつの作業に集中出来る裏方よりも、ずっとイノリたちの方が過酷なスケジュールだろう、と友雅は言った。
『しかもね、その大半はライヴ演奏があるから。PV撮影とか番組収録とか、それに加えて雑誌のインタビューとかもあるだろうし。他人事とは言え、考えただけでも目が回りそうだよ。』
ある程度のキャリアを持つミュージシャンであっても、新作発表の祭にはメディアへの露出が活発になる。
昔はTVや雑誌などがメインだったが、最近はそれ以上に範囲が広くなっているから大変だ。

「友雅さんも、本当は休みがないくらい忙しいんじゃないですか?」
『まあ、暇じゃないことは確かだけれど。』
ミュージシャン本人に負けず劣らず、スタッフの仕事もまだまだ終わりまではほど遠い。
デジタル化された現在、高性能システムが整っている中でも、エンジニアとのミキシングやマスタリングの仕事は、かなりの時間を要するものだ。
また、そういう微妙な音の感覚に、やたらとこだわってしまうこの性格が、作業時間を更に伸ばしてしまうものなんだろうな、と友雅は思った。

すべてが終わるのは、まだまだ先のこと。忙しさの波は、これからも続く。
だからこそ、一日だけでも息抜きが必要不可欠で。
そんな限られた時間は、出来るだけ満足のいくように過ごしたい。
『毎週日曜日に、十分癒してもらってるから平気だよ。』
------心を落ち着かせてくれる、特別な人と共に過ごせれば、それだけでひとときの幸せに浸れる。

「じゃ、じゃあその…今度の日曜日はどうしますっ!?」
携帯の向こうから聞こえた彼女の声は、少し動揺しているのがすぐに分かった。
素直に本心を告げただけなのだが、曇ひとつない青空のような彼女には、やや敏感に受け取られてしまったみたいだ。
『行きたいところがあれば、リクエストに応えるよ?』
「うーん……特に、これという所は無いんですけど…」
夏の間ならいろいろなイベントもあったが、9月になると目立つものはなくなる。
連休続きのために、手頃な日帰り旅行などの広告があちこちに目立つが、さすがにそれは関係ないし。
「あっ!そうだ。あの…お願いがあるんです。」
ふと、さっきまで考えていた事を思い出した。

『私の音を録音…ねえ?』
「うん、そうなんです。色々探してもピンと来る音がなくって。」
あかねは友雅に、着信音について説明した。
どこにでもあるような音じゃなく、それでいて彼からの連絡だと、すぐ分かる音が欲しいのだ、と。
「……ダメですか?」
小さな声で、あかねが尋ねる。
自分の音に対して、そこまで求められるのは初めてだ。もちろん仕事ならば、いくらでもオファーはあったけれど。
だが、それも彼女だからこそだろう。
彼女には、この音を響鳴させるものがあるからだ。
『構わないよ。それくらい、何て事はないからね』
「ホントですか?良かったー!」
彼と連絡を交わすための、特別な番号なのだから、やっぱり彼の音が一番だ。

『それじゃ、またうちに来るかい?外出先じゃ、録音が出来るところなんてないだろうからね』
「うん、構いません!そうだ、その時に私なにか作って持って行きますよ!」
おそらく彼のことだから、キッチンの蓄えなんてしていないだろう。
買い物してから家に向かって、この間みたいにその場で料理しても良いのだが、調味料や何やらの細やかな勝手が届かないこともある。
得意と言えるほどではないけれど、料理をするのは好きだ。
何か多めに作って行って、保存しておいてもらえば、あとで彼も食べられるかもしれないし。

「友雅さんて、嫌いなものとか好きなものとか、あります?」
『…別に、これと言ったものは思い付かないね。ただ、もしもそこにケーキとかアイスクリームとかがあったとしたら、遠慮なく君に譲るよ』
まあ、甘いものは確かに…男の人だもんね。
パティシエ目指してる詩紋くんは、例外だけど。
「わかりました。じゃあ、頑張って用意します!」
『楽しみにしているけれど…大切な受験の用意を、疎かにしないようにね。』
電話の向こうで、少し笑うような友雅の声が聞こえた。


「よ。待たせちまったなあ」
音楽室から天真が戻って来て、あかねは携帯をパタンと閉じた。
ナイスタイミング。
「まったくさあー、コンクールも近いと、伴奏者まで遠慮無くこてんぱんに酷使しやがるぜ、あの部長」
「頑張ってねー。伴奏も審査のポイントになるかもしれないし。」
「他人事だと思ってんな、てめえ」
ブツブツ文句を言いながら、あかねが見張っていたバッグを取り上げる。
受験組じゃないから、高校生活最後の一年は気楽に…と思っていたのに、合唱部の伴奏をやらされるとは思ってもみなかった。
コンクール出場となれば、またこれも試験みたいなものだ。
これじゃ、合格目指して勉強に励む受験生と、たいして変わらないような。
「あーあ。俺は別に部員じゃねえんだぜー。何でこんな苦労しなきゃいけないってんだよー」
廊下から見える太陽は、もう既にオレンジ色に変わっている。
空の色も雲の色も、その光が反射していて、黄昏時が始まっていた。

「じゃ、行くか。」
二人は音楽室から遠ざかり、正面玄関に続く階段をゆっくりと降りて行った。
部活の生徒の声が時々聞こえるが、昼間よりはずっと静かな放課後。
「そうだ。ちょっと駅前のデパ地下に寄ってって。何かお土産買って行くよ。」
「お、じゃあアレが良いぞ。但馬牛のローストビーフ。親父がこないだ知り合いからもらってきて、酒の肴にしててさあ。おこぼれつまんだら、すげえ美味えの。」
「そんな高いの、買えるわけがないでしょ!!」
「じゃあ、イベリコ豚の生ハムとかー……」
「却下!それ、天真くんの趣味でしょっ。今日はおじさんにお土産のつもりなんだからねっ」
今日は、天真の父に用事があるのだ。
しかも、かなり個人的な相談に乗ってもらいたくて。

自分ひとりで分かることは、あまりに狭い範疇でしかなかった。
だからこそ、身近にいるプロに話を聞きたいと思って、天真に頼み込んで時間を取って貰ったのだ。
もう少し詳しく、現場の話を聞きたい。
ようやくあかねの目の前に続く道に、道標らしきものが見えて来たところなのだ。

きっかけは、些細なことだったのかもしれない。
でも、その小さな何かが、人生の分岐点の場所を教えてくれることもある。

例えば……通りすがりの出会いとか。




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Megumi,Ka

suga