Calling you,Calling me

 第3話
何となく天真と話しているうちに、彼の家に立ち寄る方向で話がまとまった。
その理由は、蘭の説得を手伝えというのがメインである。
しかし、生憎彼女はレッスンからまだ戻っておらず、図々しいと自覚しながらも夕飯をご馳走してもらことになった。
「多分うちの人も、あの子の迎えに回って帰って来ると思うから、それまでお菓子でも食べて待っていてね」
リビングに通されたあかねに、天真の母は熱い紅茶とバタークッキーを差し出してくれた。

時計を見ると、午後7時を回っている。
「あ、すいません、家に遅くなるって連絡入れてきます」
あかねはバッグから携帯を取り出すと、それを手にしたまま廊下へと出て行った。

相変わらず、母との関係はぎくしゃくしたままだが……当たり障りなく毎日は流れている。
成績も順調に伸びているから、それもあって文句も言わない。
なので、余計なことを話す必要もないのだ。
だからと言って、黙って帰りが遅くなれば小言を言われるのは必須。
一言だけでも連絡しておけば、問題はないはず。
薄暗い廊下の中で、開いた携帯のモニタが発光するかのように光を放つ。

「……あれ?」
小さな封筒のマーク。オレンジ色のランプの点滅。
"メールが届いています"のメッセージ。
メールチェックをしてみると、見覚えのないアドレスだった。
またいつもの迷惑メールか…と、そのアドレスにカーソルを当ててみたとき。
「……え…」
声が、指先が、少しだけ震えた。

差出人の名前は無し。簡単な一言と、電話番号だけの内容。

『本当なら、声を聞きたかったんだけどね。xxx-xxxx-xxxx』

誰からのメールか分からない。もちろん、本当に悪戯メールかもしれない。
でも、あかねには何故か確信に似た気持ちがあった。
受信時刻は午後4時半。
その時間は確か電車の中で…マナーモードにしたままだったから、メールさえ届いていることも気付かなかった。
それから…既に2時間半が過ぎている。

「どうしよう…今電話しても大丈夫かな…」
メールを返信すれは、例え相手の都合が悪くても連絡は付く。
だけど、声が聞きたい。
おそらく"彼"であろうメールの差出人が残した、一言と同じ気持ちがあかねの中に沸き上がってきている。
メールなんかじゃ駄目。文字だけじゃ…ちゃんと声が聞きたい。
そして、この携帯が彼につながっていることを確かめたい。

だが、彼の仕事はタイムテーブルが不規則だ。
夜中まで掛かることも多いだろうし、朝になっても終わらないこともあるだろう。それに合わせて付き合っていたら、明日の授業に絶対支障が出る。
でも……それでも、一言だけで良いから声が聞きたい。


「ただいまー。あ、あかねちゃん、来てたの?」
玄関のドアが開いて、蘭がレッスンから戻って来た。そして、その後ろには彼らの父の姿がある。
「こんばんわ、あかねちゃん。ゆっくりしていくと良いよ。」
彼はそう言って微笑むと、ドアを閉めて内側からロックをかけようとした。
「あっ…!ごめんなさい!私、急用があったの思い出したんで、失礼します!」
「えっ?ちょっとあかねちゃん!ご飯食べていくんじゃなかったの?」
蘭は慌てて呼び止めたが、その声も届かずにあかねは外へ飛び出していった。

しばらくして、シャワーを浴び終えた天真が、玄関にいる蘭たちの顔を、不思議そうに見たあとで、あかねの靴が無くなっていることに気付いた。
「おい、あかねはどうしたんだ?」
「急に、用事を思い出したって言って、止めたんだけど出て行っちゃったの。」
「…まだ時間は早いから、1人でも危なくはないと思うが…いきなりどうしたんだろうねえ」
すると、何かひらめいたように蘭の瞳がきらりと光った。
「もしかして、彼氏からのお誘いだったりして〜っ!」
誰も真相は分からない。
あかね自身もまた、100%の確実性のあるメールじゃないことで、それが本当に彼からのものかも分からない。
でも……じっとしていられなかった。



駅前のバスターミナルに到着するまで、ずっとメールのモニタを眺めていた。
きっと彼からに違いない。自分だけの確信だけれど、そうだと…思いたい。
だから一度だけ…電話を掛けることを許してくれないだろうか。
家の近くまで行くバスは、まだ到着まで15分くらい掛かりそうだ。
乗ってしまったら、またマナーモードにするしかないから…せめてその前に。

……ごめんなさいっ!お仕事の邪魔しちゃうかもしれないけどっ…今回だけはどうか許してくださいっ!
見覚えのない電話番号を、思い切って押してみる。
そして、向こうから彼の声が聞こえてくるようにと、そう願いながら呼び出し音をずっと待ち続けた。

だが、それはあっけないアナウンスで期待を無にさせた。
『ただいま電話に出ることが出来ません。発信音の後に、お名前と……』
機械的な声を最後まで聞かずに、あかねは通話ボタンをオフにした。
「やっぱりお仕事中か……」
天真の父は、業界人と言っても上層部の人間だから、9to5または9to6の一般的な勤務スタイルだ。
しかし友雅は、クリエイターという職種の人間で、制作に携わる者は時間の感覚もない日常を繰り返している。
午後7時半………彼の仕事が終わるのは、一体何時なんだろう。

しょうがない。
何の返事もしないなんて出来ないから、せめてメールを返しておこう。
「えっと……」
何て書こう?多分、相手は友雅だと思うのだけれど…もし違ったら恥ずかしいから、さりげない言葉で簡単に済ませた方が良いだろうか。
……一度お電話したんですが、お忙しかったみたいですね。
一息ついたら、連絡下さい。待ってます。
「こんな感じかなあ…」
丁度その時、あかねの乗るバスがターミナルへと入ってきた。
慌てて送信ボタンを押し、マナーモードにして携帯をバッグの中に押し込んでバスに乗車した。

彼がメールを見るのは、何時頃だろう。
帰ったら…今夜は少し遅くまで勉強をしてみようかな、と思う。
もちろんそれは、彼からの電話を待つという意味も兼ねて。

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「そうそう。意外に上達が早いね、君は」
スタジオの隅で、メンバーの1人であるギタリストが奏でるギターの音を聞きながら、友雅は感心するように言った。
これまでエレキギターONLYだった彼だが、今回のレコーディングですっかりアコースティックギターに目覚め、随分と特訓してきたようだったが、それも形になりつつある。
「ただ、時々弦の弾き方にムラが有るから、それだけは気を付けた方が良いね。でも、音はとても綺麗だよ。」
「そうッスか?お世辞でも嬉しいッスね」
照れながら頭を掻く彼に、後ろからイノリが軽く頭を小突いた。
「このおっさん、お世辞なんて器用な台詞は吐かねーぞ。そう言わせたんだから、自信持って良いんじゃねえ?」
そんなものだろうか…と友雅を見ると、にこやかに彼は無言で微笑む。
言葉はないが、その笑顔は"YES"と言っているように見えた。

「じゃあ、配信曲の演奏は君に任せられるね。」
CD購入者のみに配られるIDを使い、1曲オリジナル曲をダウンロード出来るサービスを企画した。
アルバム収録曲のレコーディングの他に、更に作業が増えてしまったけれど、デビューアルバムは一番大切な作品だ。プロモーションにも力が入る。
「はいっ!もうちょっと自主トレして、レコーディング本番までに完璧に弾けるよう、頑張りますっ!」
意欲満々の彼に向かって、おまえスポーツ選手かよ、とイノリが賑やかに笑った。



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Megumi,Ka

suga