Calling you,Calling me

 第2話
「橘さん、遅くなりましたが、昨日お約束致しましたものを…」
ルームサービスで軽い食事を済ませたあと、頼久はクローゼットの中からシルバーの箱を取り出してきた。
そして友雅の前で蓋を開き、中にあるものを取り出してみせる。
「間違いありませんか?在庫のみのシルバーとお聞きしましたが。」
「ああ、そうそう…間違いないよ。それで、すぐにこれは使用出来るのかい?」
「充電はフルにして頂きましたので、しばらくは問題ないかと。」
「そうか、助かったよ、ありがとう」
友雅はシルバーの二つ折り携帯を開いて、モニターに映る文字を見た。
事務的で、何の装飾もないワンカラーの画面。
同じタイプの携帯なのに、この間覗いたあかねのモニターには、彼女らしいピンクのハートや、ちょこまかと動くキャラクターなどが映っていた。

「お知り合いのアドレスなどは、移さなくても良かったのですか?」
「いや…まず携帯なんて初めてだから。それに、連絡を取りたいほどの相手なんて、一人くらいしかいないよ。」
そう、これは彼女と連絡を取るためだけに、手に入れたもの。
彼女以外からの電話もメールも、必要ない。
二人だけの、秘密の連絡網だ。


「なるほど、そうやってアドレスを登録するのか。」
「相手の方が携帯を持って近くにおられれば、赤外線を使って自動的にアドレス送受信を出来るのですが」
「へえ…よく分からないけれど、すごいものなんだねえ」
頼久に操作を教えてもらいながら、再び受け取った携帯を覗いてみる。
アドレス帳には、たった一人の電話番号とメールアドレスのみ。
「先日ご一緒だった方ですか?」
「そうだよ。」
あかねの名前を眺めながら、友雅はそう答えた。
「どちらのお嬢様です?お仕事関係でのお付き合いの方ですか?」
「ああ、まあそうとも言えるけれど、違うとも言えるね。難しいけれど………」
出会ったのは偶然だけれど、辿れば森村と繋がっている彼女だ。それを考えれば、遠からず近からずの関係。

だが…やっぱり---------
「でも、私にはどれだけ世界中探しても、二人と見つからない、そんな人だよ。」
そう、ギターの弦を装った赤い糸で引き寄せられた、運命の相手と言う方がずっと心地良い。

+++++

結局、頼久と別れたのは3時間後だった。
仕事以外で、他人とこんなに長く話していたのは、何年振りだろう。
と、思いながら、もっと長い時間を共にしていた相手が、身近にいたじゃないか…とポケットの携帯を握りしめて気付く。

毎週日曜日、その1日を一緒に過ごしていた人がいる。
たった半年程度ではあるけれど、少しずつ二人での時間は長くなって行って、離れ難いという気持ちを初めて、彼女のそばにいて知った。

取り出した携帯の、アドレス帳を眺める。
「まっさきに連絡する、と約束したんだった…な」
彼女の番号を押そうとしたが、友雅はふとその手を止めた。
9月になって、高校生の彼女は学生生活に戻った。
自分のように、時間の感覚も麻痺してしまった人間の価値観で、思い立った時に電話をかけるのは問題なのだ。
ロビーの柱時計は、午後4時。
これくらいの時間では、まだ学校にいる頃かもしれない。
受験生だと言っていたから、放課後の講習中の可能性もあるし…と考えたら、携帯があっても自由に話せるわけじゃないのだな、と思った。

そして、指先が触れていた一つのボタンに、記されていた封筒のマークに気付く。
------ああ、だからそういう時に、メールという手段もあるのか。
携帯電話という商品名なのだから、通話するのが本当の目的だと思っていたけれど、メール機能というのは時と場合によって都合が良い。
例え向こうが手が離せなくても、メールしておけばいずれは気付くはず。
頼久に教えてもらった操作方法は、思っていたよりも簡単だったから、短い文章を打つのも楽そうだ。

これから家に戻らず、スタジオへ向かう。
終わる時間は分からない。何時まで掛かるか…それとも何日かかるか。
最低でも、今日の日付は超えてしまいそうな気がする。
レコーディングが始まれば、電話に出る事は出来なくなるし。
だが、おそらく彼女が時間の都合を付けられるのは、そんな時間帯になりそうだ。

……せっかく君の声を聞けると思ったのに、これじゃ意味がないね。
だけどせめて、この目に見えない電波というものが、彼女の元に繋がっているという連絡だけでも。
一言だけで良い。いつでも、お互いの存在がそこにあることを伝えられれば---それだけで。




下校途中、ファーストフードで少し空腹を癒してから、あかね達は宛てもなく町中を歩いていた。
まだまだ昼の時間は長いようで、時間の割には暗くならない。

「そんでさ、"私も留学したい"とか言い出しちゃってさ、親父らも説得するのに毎日苦労してるってわけよ」
「あはは。でも、蘭の言い分も分かるよ。そんなに良い結果が出たんだから、本気で勉強したいんじゃない?」
「馬鹿言うなよー。世間知らずのあいつを、一人で海外になんかやれっかよ。危なっかしくて!」
先日出場したピアノコンクールで、蘭は第3位入賞を果たしたのだそうだ。
出場者200人から、予選を繰り返して最後に残ったのは15名。それでも3位入賞なのだから、立派なものだと思う。
だが、優勝者と準優勝者の経歴を見てみると、二人とも蘭と同い年にも関わらず、毎年夏と冬にはパリやルクセンブルクの音楽学校などへ、短期留学しているのだという。
そこで、"だったら私も!”と蘭が言い出したもので、天真の両親は困り果てているらしい。

「だけど…逆に良く考えてみれば、上位の人は留学したりして受賞したんでしょ?でも、蘭は日本だけで勉強してたのに、それでも3位に入ったんだから、その方が凄くない?」
普通の高校生、とは言っても音楽科のある高校ではあるが、そこに通いながらレッスンを受けて…。
そんな普通の生活で入賞したのは、本当に凄いと思う。
「ちょっとさぁ、それ、あいつに直接言ってくんない?もー、言い出したら頑固でしょうがねえんだよなぁ」
何を言われてもびくともしない蘭と、周りであきれ果てながら頭を抱える天真たちの姿が、目に見えるようで何だかおかしい。

車のヘッドライトも、まだそれほど点灯していない。暮れ行くスピードも緩やかに闇を交えて行く。
家路に向かう会社員や、自分たちと同じ下校中の学生たちが通り過ぎる駅。
人混みはまだまだピークを迎えてはいない。
「でもさ、蘭だってピアニストとかピアノの先生とかを目指してるから、留学したいって思ったりしてるんでしょ?それって、真剣に将来の事を考えてるってことだよね。」
信号が青に変わり、雑踏に紛れながら交差点を歩くあかねが、隣の天真に聞こえるように言った。
「私なんて…そんなの全然見えて来ないもん。いくら目の前の受験が上手く行きそうだって言っても、その先がなきゃ…どうしようもないじゃない」
「また、未来の展望に対してのスランプか?あまり考えるなよな。」
天真はそう言うけれど、やはり未だあかねの中には、すっきりしないものが残っている。

春先のスランプから抜け出せて、順調に本番へと向かっていたはずだったのに、今になって基本的な事で悩んでしまうなんて。
本当なら、それこそ最初に答えを出さなきゃいけないのではなかったか。
それが分かっていれば、スランプだって起こらなかったかもしれない。
みんな、これまで周囲に流されていたのを当然だと思っていたせいだ。
もっと、自分自身で素直に感じる目を持っていれば、ここに来て悩むことなどなかったのに。
-----18歳。未成年ではあるけれど、もう社会人にだってなれる年齢。
一人で歩いて行く力が、完成されつつある年だ。
なのに未だに、自分のやりたいことが見つけられないなんて……。


「昔よりは減ったけど、今も結構路上で歌うヤツって残ってるよな」
立ち止まっていた天真が、駅前公園の近くから聞こえて来る歌声を聞きながら、そんなことを言った。
流れて来るのは、人気バンドのコピー曲だったり、またはオリジナルだったりと様々。ジャンルもまた、ロック・フォーク・たまにジャズのような演奏をする者もいたりする。
「はた目から見ると、道楽とか遊び半分に見えるかもしんないけどさ、意外にああいうところからスカウトされてデビューってのもあるし。わかんないもんだよな、チャンスが転がってるところってさ。」
「チャンスかあ…。そういうの、何かないかな…」

夢を掴むチャンスではなくて、夢を見つけるチャンスが欲しい。
それが例え、理想と現実の差が広がるものであったとしても、譲れない何かが今は欲しいと思った。
自ら欲する何か。自ら求める何か。
あまりに曖昧な考えかもしれないけれど、もう少し本当の意味で自分の道を考えてみたいと、あかねは思い始めていた。



***********

Megumi,Ka

suga