Let it be

 第4話
「本当にお電話を頂けるとは、思いませんでした」
「何だ、そうだったのかい?だったらわざわざ、電話することもなかったかな」
嘘か本気か分からない口調で、軽やかに笑う友雅の声が聞こえる。
だが…実際、彼が電話をして来てくれるかというのは、半信半疑だった。
自分達の会社だけではなく、頑なに向こう側とも連絡を断っている彼であるから、そう簡単に連絡をしてくれるとは思わなかったのだ。
「ですが、大変感謝致します。滅多にお会い出来る機会もありませんから…」
「そうだねえ。特に君らは向こうとは違って、控えめだからね。まあ、そういうところは気に入っているんだけれど。」
どちら側に加担するわけではないが、いちいち追いかける彼らから思えば、ずっと頼久たちの方が誠意を感じる。

「それで、君がそれほどに私と話をしたがっていた理由は?」
気まぐれであっても、電話してしまった手前。話を聞かずに受話器を置く事も出来ない。
Bスタジオの前を通り過ぎるスタッフの姿は、まだ数人程度だ。
もうしばらく、話している時間は取れるだろう。
「…取り敢えず、私が社長として会社を引き継がせて頂いた時から、現在までの会社の経営状況をチェックして頂きたいと思いまして。」
真面目な頼久の声が、少し事務的に聞こえて来る。
「だけど、それは頼久の仕事じゃないか。私は何の役職もない、ただの部外者だよ。口を出す理由も必要もないと思うけれどね?」
「表向きは確かにそうかもしれませんが…創業者の御祖父様のお気持ちを汲んで思えば、橘さんに目を通して頂くのが最良であると。」

……嫌なところを突いて来るな。
彼のことを出されたら、うやむやに出来ないこちらの心理を、頼久は把握しているらしい。
「チェックをしても、それで私が動くというわけじゃないよ。」
「承知しております。ともかく、あらゆる意味で前社長に一番お近い存在の橘さんに、目を通して頂かなくては始まりませんから。」
ふう……と、友雅は面倒くさそうに溜息をつく。
彼女と過ごした週末のおかげで、気分の良い日々が続いていたというのに…今日は溜息ばかりだ。

「分かったよ。忙しいから時間はそれほど取れないけれど、少しだけなら構わないよ。君に付き合おう。」
友雅から承諾の答えを聞いた頼久は、思わず驚きの声を上げそうになった。
電話だけではなく、会談にまで彼が応じてくれるなんて。これは、何かを期待しても良いということだろうか。
「今は仕事が立て込んでいてね。そうだな…明日の午後、数時間くらいなら何とかなるけれど」
「それならば私も都合が良いです。明後日の朝一でワシントンへ向かいますので、ターミナルのホテルに滞在する予定ですので。」
業界では十分なネームバリューを持つ、楽器工房の若社長。
海外のミュージシャンに愛好家が多いこともあり、各国を転々とする事も多々あるに違いない。
「明日の午後2時頃に、こちらのホテルにお越しいただければ有り難いのですが、どうでしょう。」
「いいよ。了解した。」
その言葉を聞き、頼久はホッとして、肩の力が抜けた。

「ああ、その代わりと言っては何なんだけれど……」
急に何かを思い付いたように、友雅が話を続けて来た。
「君の名義で、携帯をひとつ契約してもらえないかな」
「携帯…電話…ですか?」
そういえばこの間、彼を見かけたのは携帯電話のショップだった。
機種を品定めしているようだったが、契約などその場ですぐに出来るはずだが。
「あまり自分の名義で、書類を作りたくないんでね。もちろん基本料とか通話料などは、きちんと君の口座に振り込んでおくよ。ただ、君の名義だけを借りたいだけなんだ。」
「…はあ。まあそれくらいの事でしたら、構いませんけれども…」
「感謝するよ。じゃあね、今から細かいことを言うからメモしてくれるかい?」
友雅はそう言って、引取先のショップ名と担当者名、必要事項などをあれこれ告げて来た。

「では、本日さっそく手続きに行って参ります。明日お会い出来るときに、お渡し致しますので。」
「助かるよ、頼久。」
テレフォンカードの残金はまだ余裕があったが、これ以上長い話をしていても面倒くさいのは変わらない。
どのみち、明日になれば会って話すことになるし、ということで会話を止めて、友雅は電話を切った。

自分からアクションを起こしたことなんて、初めてだな…と思い返す。
こういった相手とは、一切コンタクトを取らないつもりだった。
どちらかに気持ちが傾いている、と思われるのが嫌だったからだ。
両側から同じような答えを求められ、未だにはっきりと意見をしていないだけに、頼久と話したことを彼らが知ったとしたら、多分再び目くじらを立てて説得に来るだろう。
…別に、そういうつもりで連絡したわけじゃないんだけれどね。
廊下のソファに腰を下ろして、友雅は溜息を付く。
すぐ隣には、パキラの大きな葉が垂れ下がっていた。

「お疲れ様です、橘さん。」
近付いて来る足音には敏感な方だと思っていたのだが、彼がすぐそばにやって来た事を、今の今まで全く気付かなかった。
「ライヴもあったせいか、お会いするのも久しぶりに思えます。」
「そうだね。でも、まさか久しぶりにスタジオにやって来て、あれを押し付けられるとはね。どういうつもりだい?」
友雅が言う"あれ"が、何を指しているのか森村にはすぐ分かった。
「押し付けるなど、とんでもございません。橘さんがレコーディングに参加されることは、殆どありませんが…1本用意してあれば、何かと便利ではないかと用意しただけですよ。」
そう森村が言ったとたん、友雅の目は彼を睨むように、それでも笑顔を絶やさずに彼を見て、少し嫌味を感じるような口調を向ける。
「へえ…?何千・何万の楽器製造会社があるというのに、よりにもよって"あれ"を選んだのは無意識とは思えないけれどね。」
「橘さんに、一番馴染むものかと…」
ふっ、と気のない笑い声を吐く。
「……逆だ。一番、馴染まないものだよ。」
「では、"EVERGREEN"の方がよろしかったですか?」
毅然とした森村の言葉に、今度こそ友雅の視線は厳しく向けられた。
「契約の最低条件、覚えているんだろう?」
「もちろんです。ですが…少々最近耳にした話がありましてね。」

森村は、喫煙の許可を友雅に尋ねたあと、彼の隣に座ってシガレットケースから1本を取り出して火を付けた。
「Orangea社の正式な後継者が、未だに決まらないことを株主が快く思っていないとのことです。早急にどうにかして欲しいとの声が多いそうですよ。」
「そんなものは向こうみたいに、部外者でも親近者からでも良いから、相応しい有能な経営者を探せば問題ないだろうに。」
友雅の言葉は、何となく投げやりなようにも聞こえる。
だが、森村には彼の背景にあるものがすべて分かるが故に、その言い方を問い質すことは出来ない。
「意外にあちらの方々は、古風な考えをお持ちなんでしょう。ですから、遺言状を絶対重視したいと思ってらっしゃるのでは。」
「それだから、未だに社長代理が最高責任者という形になっているわけか。営業成績は申し分ないのだから、彼が就けば良いだけじゃないのかい。」
「……前社長が後継者に、と遺言を残された方が、今もご健在でいらっしゃるので…そうも行かないのでは。」
二人の視線は、お互いをじっと見る。

「それは、私に会社を継げと言っているのかい?」
「……いいえ。それこそ逆、とはっきり申し上げましょう。私達は、橘さんのような類い稀な方を、この業界から葬りたくはありませんから。」
"私は"という一人称ではなく、森村は"私達は"と言った。
それは、彼が今口にしたことは、彼だけの感情ではないという、そういう意味だ。

「私は音楽業界の人間です。だからこそ、あなたの才能をこの業界に留まらせたいと、勝手ながら思っております。」
「気が向かなければ、いくら出してもオファーに応えない、そんな気むずかし屋の男だというのに?」
自嘲的な彼の笑い声。だが、森村はそれをもすべて受け入れている。
……いや、受け入れているのは、森村だけではない。
「それは…この業界の、暗黙の了解です。皆、あなたがおっしゃる最低限の条件を守り続けているのは、私と同じ気持ちであるからです。そうでなければ、あなたは既にあちらの方々の監視下にいるはず。」

『個人情報保護法』だなんてものがあるにも関わらず、一人の男の現住所や連絡先など、調べ出す術はいくらでもある。
どれだけ壁を高くしようが、情報が漏れるひびは必ずあるもの。
逃げたくても逃げ切れない。それでも姿を隠したいなら、協力者が必要だ。
「妙な言い方かもしれませんが、あなたが音楽家としてこのまま生きて下さる意志があるのであれば、私達は今後も業界の力を尽くして、あなたの身をお護りするとお約束します。」
「まるでSPみたいな台詞だね。命を狙われているVIPになった気分だよ。」
「……そう言っても、過言ではありませんでしょう?」
「確かにね…そうだな。」
引き戻されたら……今の自分を失う可能性はある。
友雅にとっては、捕らわれたら命を奪われるのと同じだ。

「それでも、どちらも素晴らしいギターメーカーです。世界中のミュージシャンに愛される、名器の工房です。」
吸い殻を灰皿に押しつけて、森村は手持ち無沙汰でライターを握りしめる。
「経営者・後継者としてではなく、橘さん個人として…やはりあのギターは、どちらもあなたに一番馴染むものだと思います。あなたのために、と言っても言い過ぎではない。」
「言い過ぎだよ。いくらでも技量に長けるギタリストは、それこそ世界中に大勢いるし。」
「いえ、やはりあなたのためのギターです。あなたが、そのギターに合う技量を教え込まれたのか、それともあなたの技量に合わせて作られたのか、私には分かりませんが。」
元を正せば、どちらも同じ源泉から生まれ出たもの。
流れ出ていくうちに、水流が枝分かれしてしまっただけのことで、辿っていけばひとつのところに戻っていく。
そして、その源泉から湧き出る水に馴染むのは、きっと彼だろう。

「あなたに相応しいものだと思います。是非、ご自由にお使い下さい。」
森村は、ポケットにライターを押し込むと、その場から立ち上がって、友雅にひとつ礼をした。

「…じゃあ、せっかくだから向こうのものも、1本用意しておいてくれるかい?」
背を向けて立ち去ろうとした森村を、友雅の声が呼び止める。
振り返ってみると、彼はどこか遠くの見るような目で、視線をこちらには向けてはいなかった。
「承知致しました。すぐに、橘さん専用としてスタジオにご用意致します。」
森村はそう答えて、スタジオへと消えていった。

頭の中に、さっき奏でた"Let It Be"が静かに流れる。

……あるがままに、か。
あるがままを受け入れたら、その先にはどんな結果が待っているんだろう。
そして、そこに現在の自分は存在するんだろうか。





-----THE END-----




***********

Megumi,Ka

suga