BLUE BIRD

 第3話
携帯の在庫を抱えてやって来た店員は、思わずその場でぼうっとしていた。
友雅だけでも見映えするのに、隣にいるエリート風の頼久の風貌も目を惹く。
二人がその場にいる光景は、女性にとってはまさに眼福・眼の保養と言えるのかもしれない。

幸いにも、倉庫にあった在庫の携帯はシルバーで、友雅はそれを購入することを即座に決めた。
しかし、書類の手続きやらが面倒なため、まずは機種だけを取り置きしてもらい、契約は後日ということになった。


「橘さん、後ほどで構いません。少し、お話できるお時間がありませんか?」
店員との話を終えて席を立つと、窓際にいた頼久が声をかけて来た。
そんな彼を、友雅は表情を歪めることもなく見る。
「私に話すことなんて、何かあるのかい?経営の方は順調なのだから、それで良いだろう?」
「いえ、そういう事では有りません。前社長の…橘さんのお祖父様のお心を考えての事です。」
祖父…前社長…って、もしかしてこの人、友雅さんのお祖父さんの会社の関係者?
確か小さなギター工房を経営していた、と昨日聞いたばかりだ。

「頼久、そういう味気ない話はね、デートの最中に割り込んで来て話すようなことじゃないよ?」
状況に戸惑っていたあかねを、友雅は片手で抱き寄せて頼久を見た。
「あ、え…その…あ、ああ…度々申し訳有りません。気が利きませんで…」
本当にね、と少し嫌味を含みつつも、友雅は穏やかに微笑む。
いつもなら、こんなことをされたらドキドキしてしまうあかねだが、この二人の関係がプラスなのかマイナスなのか判断出来ず、黙って友雅に寄り添うしかない。
だが、頼久もあかねを気にしながら、それでも友雅とのつながりを途切れることだけは避けたいようで、簡単に引き下がる様子もなかった。

彼はスーツの内ポケットに手をやると、取り出したカードケースの中から自分の名刺を二枚、友雅とあかねに差し出した。
あかねにはあくまでも社交辞令だろうが、友雅には重大な意味がある。
「お電話でも構いません。決して……あちらの方々には知られないよう、入念に配慮致しますので。」
友雅は、頼久の名刺に視線を落とした。
会社の番号、社長室直通内線、そして頼久の携帯番号が明記されている。
「どの番号でも結構です。どうか、一度ゆっくりとお話をさせて頂けませんか…」
「…分かったよ。ただ、私もちょっと忙しいのでね。いつ連絡出来るかは、はっきり言えないけれど。」
「構いません。お待ちしておりますので、よろしくお願いします。」
頼久はそう言って、深く友雅に頭を下げた。
勿論、隣にいるあかねに対しても、立ち去り際に丁寧に挨拶をして、その場を後にした。

「良いんですか、友雅さん…。大切な用事があるみたいでしたよ?」
無造作にポケットの中へ名刺を突っ込むと、隣にいるあかねが、気がかりな顔して覗き込んでいる。
「大丈夫。そんなに重要な話をするような事も、思い当たらないからね。あとで、適当に連絡すればそれで済むよ。」
「でも…お祖父さんが…って言っていたから…」
友雅が幼い頃に、誰よりも打ち解けていた理解者の祖父の事となったら、絶対に些細な話ではないはずだと思うのだけれど。
それに、彼が頼久を見た瞬間に、硬くなった一瞬の表情が頭から離れない。

「まあ…そうだね。いろいろと複雑な事が有るのだけれど…それは、追々話すよ。簡単に説明出来るような事じゃないからね。」
あかねの背中を軽く押して、友雅はそう言った。

何か、友雅にとっては大切なことがあるのだ、きっと。
すぐには理解出来ないような、難しい問題を彼は背負っているに違いない。
幼い頃から、よく眠ることが出来なかったり。
祖父から与えられたギターを、ずっと傍らにおいて肌身離さずに、まるでお守りのように抱えて。
それでいて、奏でる音に対しては優しくて汚れなくて、どこまでも綺麗で。
全部、それが友雅なのだ。
そう………あのフレーズみたいに。

"淋しさも 弱さも 切なさも それらすべてが 僕自身だから"

それが友雅自身なら……自分は彼に、何が出来るだろうか、と考える。

何も出来ないかもしれない。そんな力は、ないかもしれない。
だけど……彼が言ってくれたように、自分がそこにいることで彼が安らぐ眠りを得られるとしたら…それだけでもいい。
それだけでも、もしも本当にそうならば、無理に歩み寄らずにここにいよう。
この場所で、彼が熟睡出来る空間を作ってあげよう。
いつか彼が目覚めて、自分から話してくれるのを待とう。
彼は絶対に裏切らない。ここで待っていても、きっと自然に動き出すはず。

小指に絡まる見えない糸が、あかねにそんな想いを抱かせた。

+++++

夏の終わりと言っても、海沿いはどこも混雑している。
それは、都市部の臨海公園付近だけではなくて、海水浴場がある半島周辺も同じだ。盆過ぎてもまだ、構わず海で遊ぶ人々は絶えない。
ぐるりと遠回りして、少し山の方へ進む事にした。
これじゃあ、家にいる景色と大差ないな、と運転席の友雅が言うので、あかねはうなづいて笑った。
開け放った窓から吹き込む、風が心地良い。

ランチの時間は過ぎていたが、目的地のカフェレストランに到着した。
辺りの緑とログハウス風の建物が、一枚の絵のように溶け合っている。
先に助手席から降りると、とたんにバッグの中からメロディーが流れ出した。
「電話かい?」
「あ、いえ…メールです。誰からだろ…。」
ボタンを押すと、送信者名が表示された。……蘭からのメール。
何となく微妙な気持ちがするが、取り敢えず中身を開いてみると、案の定内容はそんな感じで。

"まだ彼氏の家にいるの〜?(#^^#)まだ帰れないの〜?(#^^#)帰りたくないのかな〜?(#^^#)
時間があったら、うちに寄ってって♪お話聞かせて〜♪共犯者として、それくらい尋ねる権利はあるよねえっ!?"

「はあ……」
すっかり蘭はその気になっているみたいだけど、全然何もなかったのに。
でも、適当に誤摩化すにしても、何か説明しなくちゃいけないだろうなあ、と思うが、さあ何て言えばいいだろう?。

……と、背後で笑い声がした。
「随分と期待されてるみたいだね。」
「と、友雅さん…見てたんですかっ!今のメール!」
「何だか頬の色を染めて、やけに凝視しているからどうしたのかと思ってね。そうか、そうだねえ…普通なら、そういう期待をするのは当然か。」
やけに緊張して来た。胸がドキドキ言ってる。
一晩一緒に過ごしても、一緒に寄り添って眠っても……抱き合っても、キスしても、それ以上はないのに。
「期待に添える展開をしていれば、話の種も出来たのにね。」
「そ、そ、そんな期待なんて別にしてないですっ」
バックミラーに映さなくても、今の顔は真っ赤になっていると思う。
顔も熱いし、身体も熱い。
緑に包まれて涼しいはずの場所なのに、一人だけ炎天下に置き去りにされたよう。

「だけど、私にとっては期待以上だったよ。」
カチャ、とドアをロックする音がする。
「こんな相手に出会う機会なんて、滅多にあるものじゃない。青い鳥を見つけたみたいな感じだ。」
偶然巡り会って、共に過ごす時間が増えて行って……それが当たり前のように、毎日が過ぎて行く。
そんな、一見何の変哲もない日々が、何故こんなにも穏やかな気持ちに浸らせてくれていたのか。

振り返ると、そこにいる存在が、すべてのはじまりだと気付いた。
すぐ近くにいた彼女が、自分の心を和らげてくれる人だと。
------青い鳥は、すぐ近くにいる。その言葉を、今は信じられる。

「飛び立つ前に、見つけられて良かったよ。逃げられてしまったら、探すのが大変そうだ。」
彼女の手を、そっと友雅は握る。

例え離れても、きっと見つけられるはず。
お互いの指先をつなげる糸が、心をたぐり寄せてくれるだろう。



***********

Megumi,Ka

suga