BLUE BIRD

 第2話
「やっぱり、お仕事とかが気になって、ぐっすり眠れなかったりするんですか?」
食事を済ませたあと、庭先で軽くホコリを叩いたフェザーケットを、四つ折りに束ねてあかねはソファの上に置いた。
そして、借りたパジャマも畳んで乗せる。
「それとは無関係。幼い頃から、熟睡出来るタイプじゃないんだ、私は。」
「えっ…疲れてても?」
疲れていれば、何も考えずに布団に転げ落ちたら、そのまま朝まで爆睡…なんて、当たり前の事だと思っていたのに。
だらしないけれど、あかね自身も何度かそういう経験があるし。
「確かに、疲れることはあるのだけれどね…。でも、本当に熟睡という覚えは…あまりないな。」
浅い眠りのまま、少し眺めに睡眠時間を取ることで疲労回復をする。
だから、ちょっとしたことですぐに目が覚めるというデメリットもあるが、場所を選ばず軽い睡眠はいつでも取れる、というメリットもある。

「私、友雅さんの方が心配ですよ…。疲れてるのに、ぐっすり眠れないなんて。」
徹夜も珍しくない音楽業界の中で、体内時計も狂ったままで、食生活も適当で、それでいて睡眠さえもしっかり取れないとなったら…少なからず彼の身体がもたないんじゃないか、と不安になる。
普通の仕事ではないのだから、仕方がないと言われればそれまでなのだけれど…。

「だからね、本当に感謝しているんだよ、君には。」
ソファに座っていた彼が、あかねの両手をそっと取り上げた。
「一緒にいてくれたおかげで、本当に気が安らいだ。こういうことは、自分でやろうと思ってもなかなか出来ないから…ね。」
こうやって、ずっと手を離さずにいてくれて。
その触れあうぬくもりに暖められて、眠った夢の世界は驚くほど穏やかで心地良かった。
以前、仕事の都合で借りていたホテルの部屋で、彼女に膝を借りながら眠ったときも……こんな風な目覚めだった。

「別…に、私は何も…何もしてないですよっ…」
「何もしなくたって、君は私にプラスのエネルギーしか与えない女性だからね。そこにいるだけで、それで十分だ。」

どきどきする。
彼の口から、自分を表す言葉の中に、"女性"というフレーズが出て来て。
まだ高校生で、まだ18歳で…。
一回りほど違う年上の彼にとっては、世間知らずの子ども程度だろうと思っていたのに。
一人の人間として、見ていてくれている…。一人の"女性"として。

それは、背伸びしなくても彼の隣にいて構わない…という意味にとらえて良いのだろうか。
真っすぐに見つめてくれる瞳は、決して見下ろす様な視線ではない。
優しくて、そして………甘い。
彼の奏でる、音みたいに。

+++++

8月最後の日曜日。予想通り、街中の混雑は尋常ではなかった。先日の夏祭りほどではないが、臨海公園付近はかなりの人手のようだ。
そんな人混みをかき分けて、あかねは友雅とともに、昨日約束していた携帯ショップへとやって来ていた。
「しかし…これだけ種類があると、どれが良いのか分からないねえ」
「そうですねえ。今はすぐに新しい機種が出ちゃうから…。基本料とか通話プランとか、あとは携帯の機能とかが選ぶポイントでしょうねー…」

色や形など、多種多様な機種が店内には並んでいる。
テレビが見られたり、音楽を聴くことが出来たり。今どきメールやカメラつきは、殆どがデフォルト機能に近い。
「やっぱり友雅さんは、お仕事もあるし…音楽とか聞けるやつがいいかな…」
「いや、別にこだわらないよ。必要最低限の機能があれば、それでいいさ。」
「でもー…何かこう、お目当てのポイントがないと。これだけあると選ぶのにも一苦労しちゃうし。」
確かに…ずらりと並んだ携帯の数を見れば、あかねの言うことも一理ある。

「じゃあ、君と同じ携帯で良いよ」
「え、でもこれ…もう確か昔のモデルだから、販売終了しちゃったんじゃ…」
その時、カウンターにいた数人の女性店員の一人が、こちらに向かってやって来て声を掛けた。
「携帯をお探しですか?どのような機種やサービスをお求めですか?」
二十代半ばくらいの女性だ。髪をきちんと後ろで束ねて、少し地味目に感じる制服もかえって清潔感がある。
「えっと、あのー…これと同じ機種って、もう製造していなかったですよね」
「そうですね、こちらはもう製造されておりませんので、在庫のみとなっておりまして…」
あかねが取り出したのは、一年前に出たモデル。
当時は結構人気の機種だったが、携帯は半年くらいで次のモデルが出てしまうため、あっという間に古い機種になってしまう。
既に二世代前のものとなってしまっているため、店に並べられている同機種はそれよりも軽く、薄くてカラフルなものが多かった。
もちろん、機能もワンセグやらオーディオ関連やらと、更にデフォルトで充実されている。

女性店員は、一番新しい機種を手に取った。
「こちらはお客様と同じモデルの、最新機種になっておりまして。液晶画面が更にワイドになりまして、音楽を聞く機能が更にパワーアップされまして…」
説明される内容を、熱心に聞いているのは友雅ではなくてあかねの方だ。
今の機種に不満はないけれど、新しいものはどうしても気になってしまう性分。
自分のよりも性能が良いとなると、ちょっといいなと思ってしまったりもする。
しかし、友雅の方は全くそんな欲はなくて。
「在庫のもので構わないよ。別に新しいモデルが良いというわけじゃないから。」
そう言い切って、店員のセールストークを打ち切った。

「で、ですが、在庫のみとなりますので、お色も限られますし…」
「良いよ、特に気にしないから。」
「でも、残ってるのが赤とかピンクしかなかったら、どうするんですかー!」
慌てて割って入ったのは、あかねだった。
シルバーやらホワイトなら良いけれど、友雅がピンクの携帯だなんてとんでもない!あまりに似合わなすぎる。
「おかしいかな?君のもパールピンクだろう?」
「私は良いですけどっ!男の人がいくらなんでもピンクなんて変ですよっ!」
黒とかブラウンとか…もっとビジネスライクな、スタイリッシュな機種もたくさんあるというのに。

「だったら、まずは在庫を見せてもらえないかな。色を見てから、またもう一度考え直すよ。」
そこまで粘られては、店員としても新機種を推すことも出来ない。
しかも、カウンターから遠目で見ていただけでも目立つのに、こうして目の前に近付いてみると…艶やかな笑顔にどきどきする。
「しょ…少々お待ち下さい!た、只今在庫をご用意致しますのでっ!」
店員は半ば逃げるようにして、足早にカウンターの向こうへと立ち去った。

「携帯なんて、すぐに新しくなっちゃうんですから、一番新しい機種にしておいた方が良いですよ?」
「どうせいろいろな機能がついていたって、使うものは限られるものだよ、どんなものもね。だったら、最小限の機能で十分だよ。通話と…メール?それさえあれば、君と連絡は取れるんだろう?」
確かにそうだけれど…。でも、わざわざ古い機種を買わなくても良いのにな、とあかねは思ってしまう。
そんな彼女の髪を、背中に回った友雅の手が撫でた。

「どれでも同じなら、お揃いの方が見た目も気分も良いと思わない?」
……なんて言われたら、頷くしかない。



「橘さん、お久しぶりです。」
背後から、若い男性の声が友雅の名を呼んだ。
二人は同時に振り返り、その声の主の姿を目に捕らえた。
上品なデザインの黒いスーツ、すっきりとした身なり。身長は高くて…それほど友雅と変わらないくらい。
声のトーンと良く似ている凛とした面持ちは、気の乱れをも静寂に変えてしまうような、そんな不思議な雰囲気がある。

「……本当だね。こんなところで、君に逢うとは思わなかったよ。」
彼の言葉に、友雅は受け答えた。
知り合いなのは、間違いなさそうだ……が、振り向いて彼の姿を目にした時、一瞬だけ友雅の表情が硬くなったのをあかねは気付いていた。
でも、それは瞬きするほどの一瞬で、すぐに穏やかな表情に戻ったけれど。
だから余計に、気にかかった。
もしかして友雅にとっては、あまり好ましくない相手なのではないだろうか、と。

「会社の方は、どうだい?風の便りでは、順調なようだけれど。」
「はい。目立つ様な業績の飛躍はありませんが…水準以上は保っております。」
「そうか。やっぱり、上に立つものが敏腕だと経営も安定するね。さすがだよ。」
あきらかに二人の会話は、ビジネストークだった。
経営や業績なんて言葉が、さらっと自然に飛び出してくる。
あかねには…異空間に思えるような内容。それらを日常的に話している彼らは、やっぱり自分とは違う世界の人なんじゃないか、と思ってしまう。

二人の会話に入れずにいるあかねに、その男性は気付いたようだった。
「申し訳ございません。お連れの方がいらっしゃるにも関わらず、後から割り込んでしまったようで…。ご無礼をお許し下さい。」
しっかりとした口調で、彼はあかねに向けて深く頭を下げた。
「頼久、そこまで堅苦しくされては彼女が戸惑ってしまうよ。」
友雅はそう言って、いつものように笑った。



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Megumi,Ka

suga