BLUE BIRD

 第1話
雨が地上を潤した次の日の朝は、大概眩しいほどの朝日で目を覚ます。
今朝も同じだ。星空を眺め、月明かりを感じながら眠ろうとして、わざとカーテンを開けておいた窓から、昇りたての太陽が光を放っている。
眩しさと、ガラス窓を通して感じる光の暖かさに気付いて、意識が目覚める。
ゆっくりと光に慣らしながら、目を開いていく。

少し朝日から目を逸らして、ふと隣を見る。
煌々と背中を照りつける光にも、まだ彼女は気付いていないようだ。
かすかな寝息と共に、瞼を閉じている。

どうしても、離したくなくて…帰したくなくて。
ただ、そばにいてくれるだけでいいから、と言って…つい引き止めてしまって。
他人にそんなことを言ったのは、これが初めてだったな…と、あかねの寝顔を見ながら彼は思った。

来る者は拒まないけれど、去る者も追わないタイプだ。
そんな風に、割り切った付き合い方をしてきた。
時折、絡み付いてくる粘着性の女性もいたけれど、しばらくすれば彼女たちは自ら去って行く。
こちらから必要以上に求めないから、距離感は一定以上狭まらない。それが、彼女達には満足出来なかったんだろう。
気付くと、それっきり訪れることもなくなったりして。
……見放された、という言い方も出来るだろうか。
しかし、それくらいで途切れる関係ならば、所詮はそこまでの縁でしかないものあんだろう。
そう、自分では判断していた。
ずっと一緒にいることなんて、不可能なのだ。いずれは破綻する。
"永遠"なんてものは、夢のまた夢。
目の前で見て来たからこそ、それを確信出来る。
そのはずだったのに。

自ら歩み寄るのは、音楽に携わるときだけだった。譲れないのは、音楽に向き合う時の姿勢だけだった。
どんなに報酬が破格であっても、自分の直感が反応した仕事以外は関わりを持ちたくない主義だ。
信じられるのは、自分の中にある音だけしかなかったから。
そうやって、今まで一人だけでも生きて来られたから…これからもきっとそうだと思っていた。
でも、今は……朝日の中で眠る彼女の存在を、求める自分がここにいる。

友雅は静かに起き上がり、あかねに気付かれないように、そっと窓へと近付いた。
まだ熟睡している彼女には、朝日の眩しさは酷すぎるだろう。もう少し、ゆっくり夢を見る時間を与えてやりたい。
窓をカーテンで覆うと、やっと部屋の中が薄暗くなった。
丁度良い、優しい明かりだ。
彼女が自然に目を覚ますまで、その寝顔を眺めていよう。
そばにいてくれる、その現実がここにあれば、それで良いのだから。



ほのかに身体が暖かかった。
柔らかいフェザーケットにくるまって、日だまりのようなぬくもりが身体を包む。
ふわふわした枕に、かすかなライムの香り。そして……遠くから流れてくる、ほろ苦い珈琲の香り。
「………ん…あ…れ?」
意識がまだぼんやりしていて、視界もぼんやりしたまま。目をこすりながら、ゆっくり身体を起こす。
枕の感触、布団の軽さ、袖を通したフランネルのパジャマ……それらは、あかねの日常生活の中にある、馴染んだものとは全く違う。
そして、この残り香……。

「おはよう。ようやく、夢から覚めてくれたようだね。」
耳に優しい声がして、そちらをぼうっと眺めて輪郭を捕らえようとする。
白い湯気に、珈琲の香りが混ざり合いながら立ち上っている。開け放った窓ガラスから覗く、夏の緑を背負う姿があかねの目に映った。
「まだ眠ければ、もうしばらく夢を見ていても良いよ」
そう言っていながら、熱いカフェオレを手渡すのでは意味がないね、と、カップを手に近付いてきた友雅は笑った。

夢…から覚めた…?本当に、夢から覚めているんだろうか。
辺りを見渡すと、そこは自分の部屋じゃない。ベッドもなくて、ただ床の上で布団にくるまって……。
他人のパジャマで、他人の香りに包まれて。
そして、目の前に……彼の笑顔があって。
本当に夢から、覚めているんだろうか……。
「やっぱり、ベッドの方が良かったかな。よく寝付けなかったんじゃないかい?」
少しだけ冷たい大きな手が、あかねの前髪を掻きあげて額に触れる。
一瞬、びくっとして我に返った。
「寝足りないようなら、ゆっくり二度寝するかい?でも、今度はちゃんとベッドで眠らないとね」
「……う、ううん…大丈夫です。」
あかねはごしごしと目をこすって、意識を鮮明に目覚めさせようとした。

寝不足…というか、寝付けなかったというのは、実際のところ本当のことだ。
横になってからも、彼が手を握って離してくれなかったから……いつまでたっても、どきどきして落ち着かなくて。
友雅が本当に眠ったかどうか、確認するまでは眠れなかった。
睡魔が襲って来たのは、それから1時間ほど過ぎた頃。
でも……そのまま、手だけは離さずにいたけれど。
離せなかったけれど。

「あ…私、手伝います!」
手渡されたカフェオレを半分だけ飲んで、それらをテーブルの上に置いたまま、あかねは布団の中から立ち上がった。
慌てながらキッチンへ移動して、友雅のそばに駆け寄る。
夕べ二人で買い込んできた食料は、無造作に紙袋に入ったままの状態で、テーブルの下に置かれていた。
彩り鮮やかな野菜は、付近の農家から出荷されたものばかり。卵やミルク、ベーコンなども、畜産家が直接卸している。
新鮮さを考えたら、街中で買えるものよりもずっと瑞々しい。

フライパンの上に落とした、卵の白身がゆっくりと形を整えて行く。
オーブンレンジから香ばしい匂いがして、丁度良く色付いたトーストを取り出し、用意されていた白いプレートに乗せた。

……ふわぁ。
焼き上がる寸前のベーコンエッグを目の前に、今朝三度目のあくび。
「私だけ気分良く眠ってしまって、悪かったね。」
あかねに背を向けたまま、友雅が言う。彼の手元からは、ほんのり甘い香りのバターをトーストに塗る、カシカシという乾いた音が聞こえている。
「さっきから、三回もあくびしているよ。」
気付かれてた…と思うと、少し気恥ずかしい。
「君がそばにいてくれたおかげで、私は久しぶりにゆっくり眠れたし、目覚めも良い気分だったのだけれど。でも君の方は、そうはいかなかったみたいだね。熟睡させられなくて申し訳ない。」
「そ、それは別に…気にしないで下さいっ。全然っ…平気ですからっ」
彼の言葉が、妙に艶やかに聞こえてしまって、頬が熱くなる。
他人が聞いたら誤解しちゃうかも…というのは、過剰反応しすぎだろうか。



庭に面した窓を全て開け放って、早朝の夏風を部屋の中に取り入れる。
傍らに二人分の朝食を添えて、朝日が差し込む縁側にぼんやりと腰掛けて。
暦では既に秋の気配なのに、まだまだ目の前に広がる緑は、夏の色。
空もまた、秋空という程の透明感は感じられない。

「毎週こうして、朝早くから会っていたはずなのに、何だか今日はちょっと気分が違うね。」
バターの染みたトーストを一口かじると、隣にいる友雅がカップを傾けながら、遠くを眺めてつぶやいた。
毎週日曜日、朝食は摂らずに出掛けて行く。待ち合わせのカフェで、ブランチを楽しみながら一日の予定を話し合う、最初のひととき。
いつもそんな日曜だったけれど、今日は…場所もシチュエーションも違う。
オーダーを取ってくれる詩紋もいないし、洒落たモーニングプレートもない。
コーヒーもベーコンエッグもバタートーストも、全部自分たちで用意したもの。

「カフェだったら、ちゃんと立派なモーニングセットを頼めますもんね。サラダだってあるし、デザートだってあるし…それから……」
確かトーストにもバターだけじゃなくて、二種類くらいのジャムが添えられてあった。オレンジジュースとアップルジュースも選べたし、卵料理もスクランブルやオムレツとかも選択出来たし。
「いや、全然これだけで十分だよ。」
品数は少ないけれど、そんなことは問題じゃない。
大切なのは、今の自分の気持ちだ。
いつもと違う気がするのは、きっとそのせいに違いない。
「あんな良い気分で眠れたのなんて、今までろくになかったよ。こうして朝に食事することだって、普段は面倒くさいと思うだけなのにね。全然違う。」

コトリ、と空になったカップを置いて、その手であかねの手をそっと触れる。
ぞくっとした震えと、どきっとする鼓動の震えが同時に神経を撫でた。
「誰かがそばにいるだけで…こうも違うものなのかな」
寝ている間も離れなかった、彼のぬくもりが思い出されて行く。

「他人と一緒に目覚めるなんて、別に珍しい事でもないだろうに…なんて、君は思うかもしれないけれど」
友雅の言葉に、どきっとしてあかねは息を飲み込んだ。
表情を読み取られたら困ると思って、わざとうつむいて顔を逸らしていたのに…。
「でもね、今の気分は、今まで感じた事がないくらいに、落ち着いて穏やかな気分なんだよ。」

君のおかげだ-------と言って、彼はつないだ手をしっかりと握った。



***********

Megumi,Ka

suga