相手の背中に手を伸ばして、抱きしめあうだけの時間。
言葉はなくても、離れずにいることだけで、安らぎが心に訪れる。
本当は、気付いていたのかもしれない。ずっと前から、お互いが自分にとってどんな存在であるか。
同じ目線の人々の中で、真実を探しては放浪を繰り返していた。
見つからない何かを諦めかけて、妥協しかけていた時に出会った彼女は、自分よりも低い目線にある少女で。
まさかその彼女が、その答えを持っていると思わなかった。
でも、これまで出会った人々にはない、
馴染んだ空気と懐かしい感覚を覚えたときから、心だけは反応していたのだ。
流れる時間の緩やかさに含まれた、絶対的な安心感と暖かい空間。
もしかしたらそれは、小指をつなぐ糸の力だったのか。
時報の鐘が、6回鳴り響く。容赦なく、時間は過ぎて行く。
だけど、離したくない。離れたくない。
このまま、こうしていられたらいいと思う。
黙っていても、自分がそう思えばきっと同じ事を考えてくれると、そんな確信が今はある。
どちらからともなく、抱きしめる手の力が強まる。
「もしも、君さえ良かったら………」
何も考えずに、友雅は自分の本心に身を任せた。
今、本当に自分が思っていることを、そのまま彼女に聞いてもらいたいと思った。
それが真実なのだと、そう告げたくて。
さらりとした髪に隠れた、彼女の耳に唇を寄せる。
「このまま朝まで、一緒にいてもらえないかな……?」
「え…っ!?」
友雅の腕の中で、小さくなっていたあかねが、急にびくっとして顔を上げた。
「どうせ明日は日曜だ。また逢う事になるのなら、このままここにいれば良い。」
「で、でも…その…あ、あの…」
「初めてじゃないだろう?一緒に朝を迎えるのは。」
確かに、それはそうだけれど…。
あの時は本当に何も分からない状態で、それだけでも緊張しっぱなしだった一夜だったのに。
今は、別の気持ちでドキドキしてしまって…身体が固くなる。
そんなあかねの髪を、友雅は優しく撫でながら見下ろしている。
「驚かせてしまったかな。別に…そういうつもりで言ったんじゃないんだ。」
笑いながら、彼は見つめる。
からかい半分で、そんな刺激的にも取れる言葉を口にしたのだろうか…と思ったが、瞳は暖かで優しくて、そんな面影はまったく無い。
「ただ、純粋に一緒にいたいだけなんだよ。時間なんかに縛られずに…いろいろ君と話をしたいだけなんだ。」
「話……ですか?」
「そう。音楽のこととか、日常的なこととか、他愛のない話でも良いし、昔の話とかでも良いよ。」
今まで、他人には打ち明けたことのなかった話。幼い頃の記憶。
思い出したくないから、口にせずに深い心の底に封印したままの思い出。
「でも……小さい頃のことは、あまり思い出したくないでしょう……?」
「良いんだよ。それだって、私の記憶には違いないのだし。君にはね、やっぱり知っていて欲しい気がする。辛かったことも、どんなことでも……」
"淋しさも 弱さも 切なさも それらすべてが 僕自身だから"
『Inclusion』のフレーズが、友雅の言葉に重なった。
彼のギターの音が、聞こえて来るような気がする。
「迷惑でなければ、だけどね。無理強いはしないよ。」
「そんな、迷惑なんて全然そんなことは……」
打ち明けてくれるまで、待っていれば良いと思ったけれど。
いつか、自然に知る時期が来るだろうと信じてた。その扉が今開かれて、彼が待っていてくれている。
「悪さはしないって約束は、ちゃんと守るよ」
薄暗い部屋の中、友雅の腕に閉じ込められた彼女は、頬を抑えて赤みを隠す。
「ちょ、ちょっと…待ってて下さい!」
そう言ってあかねは、友雅の腕からすり抜けた。
慌ててテーブルに手を伸ばし、置きっぱなしの携帯を掴んで立ち上がると、それを手に庭先へと下りた。
雨上がりの夜空には、プラネタリウムのような星屑が瞬いている。
庇からは、まだ雫が滴り続けていて、夏草の香りは、夜の闇に溶けて深くなる。
あかねは携帯のアドレス帳を開き、登録されている知人の名前を次々に探した。
学校の友達、予備校で知り合った別学区の女子高生、一人ずつ名前を確認しては首を振る。
外泊するための共犯者には、いったい誰が適切か……?
……『流山詩紋』。詩紋くんかあ…。
信頼出来る友達だけれど、こんなこと年下の男の子に頼むのもなー…。
それに、詩紋は友雅のことを知っている。毎週、彼のいる店で待ち合わせしているのだから。
これからも行く機会はあるかもしれないし、そうなると…何か顔を合わせづらい。
……『森村天真』。はあ、天真くんか…。前にも口実を頼んだことはあるけど…。
長い付き合いなだけに、何かと口裏を合わせることに関しては一番気楽だ。
けれど、その後に散々突き詰められそうな気がする。首突っ込みたがりだし、好奇心はハンパじゃなく旺盛だし…後が大変そうだ。
…やっぱ、男の子にはこういう話、言いづらいなあ。
だからと言って、信頼度が高い相手じゃないと頼めないことだし。誰か、思い当たる人物がいないだろうか。
と、天真の名前の次に出て来た名前を見て、あかねの手が止まった。
……『森村蘭』。蘭、かぁ。
今まで考えたことはなかったけれど、蘭なら…という気がした。
天真ほどではないにしても、彼の妹だから他の女友達よりは親しいし。それらしい相手がいる、というのは彼女も知っていることだし。
それに、やっぱり女の子同士だから、いろいろ細かいところまで配慮してもらえそうだし。
あかねは思い切って、発信ボタンを押した。
『もしもしー?どうしたの、あかねちゃん。私の携帯に掛けて来るなんて、珍しいよね?』
「あ。うん…ごめんね、突然に電話しちゃって。今、忙しい?」
『ううん、全然平気。』
そういえば、こうして彼女と直通の電話で話すことはなかったな、と思った。
普段は天真の家に遊びに行ったりで、面と向かって会うことの方が多い。
携帯を挟んだ少し籠り気味の声は、ちょっと新鮮な気がする。
「あのねー…実はちょっと、折り入ってお願いがあって…」
「え?私に?お兄ちゃんじゃなくて?」
「うん、女同士の方が気軽に頼めるかなと思って…ちょっとね…」
やはり少しためらう気持ちも拭えなかったけれど、思い切って言ってみる。
「今夜ね、そっちに泊まるって、うちの親に電話してくれないかな…」
一拍の沈黙が流れる。天真に口実を頼んだときと、全く同じだ。
そして、携帯を通じて甲高い声が響いて来た。
「きゃー!」
思わず電話を耳から遠ざける。
が、距離を置いてもきゃんきゃんした蘭の声は、耳に入って来るほどだ。
「ね、もしかして…今、彼氏のところにいるの?」
「それは、そのー……」
頭を掻きながら、自分でも分かる頬の熱さに鼓動が早くなる。
「こないだ一緒だった彼氏だよね!?別の男の人じゃないよね!?」
「あ、あたりまえでしょ!他にいるわけないじゃない!」
「わーい、ひっかかった♪やっぱ、彼氏とお泊まりなんだー!きゃー」
蘭も他人のコイバナには、興味津々のお年頃なのだ。
「と、とにかく…詳しいことはあとで説明するから!」
「ホント?ホントね!?ちゃんとくわしーく教えてね!?ひと夏の経験!」
……ひと夏の経験、かあ……。
携帯を切って、数時間内に起きたことを、ぼんやりと思い返してみる。
蘭がはしゃいでいたような事はないけれど…でも、考えようによっては、もっと貴重な体験をしたように思える。
夏が終わりかけている、星空を望む夜。
かすかに聞こえるのは、虫の声。
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