夜に隠れて

 第1話
相手の背中に手を伸ばして、抱きしめあうだけの時間。
言葉はなくても、離れずにいることだけで、安らぎが心に訪れる。

本当は、気付いていたのかもしれない。ずっと前から、お互いが自分にとってどんな存在であるか。
同じ目線の人々の中で、真実を探しては放浪を繰り返していた。
見つからない何かを諦めかけて、妥協しかけていた時に出会った彼女は、自分よりも低い目線にある少女で。
まさかその彼女が、その答えを持っていると思わなかった。
でも、これまで出会った人々にはない、
馴染んだ空気と懐かしい感覚を覚えたときから、心だけは反応していたのだ。
流れる時間の緩やかさに含まれた、絶対的な安心感と暖かい空間。
もしかしたらそれは、小指をつなぐ糸の力だったのか。


時報の鐘が、6回鳴り響く。容赦なく、時間は過ぎて行く。
だけど、離したくない。離れたくない。
このまま、こうしていられたらいいと思う。
黙っていても、自分がそう思えばきっと同じ事を考えてくれると、そんな確信が今はある。
どちらからともなく、抱きしめる手の力が強まる。

「もしも、君さえ良かったら………」
何も考えずに、友雅は自分の本心に身を任せた。
今、本当に自分が思っていることを、そのまま彼女に聞いてもらいたいと思った。
それが真実なのだと、そう告げたくて。
さらりとした髪に隠れた、彼女の耳に唇を寄せる。
「このまま朝まで、一緒にいてもらえないかな……?」
「え…っ!?」
友雅の腕の中で、小さくなっていたあかねが、急にびくっとして顔を上げた。
「どうせ明日は日曜だ。また逢う事になるのなら、このままここにいれば良い。」
「で、でも…その…あ、あの…」
「初めてじゃないだろう?一緒に朝を迎えるのは。」
確かに、それはそうだけれど…。

あの時は本当に何も分からない状態で、それだけでも緊張しっぱなしだった一夜だったのに。
今は、別の気持ちでドキドキしてしまって…身体が固くなる。
そんなあかねの髪を、友雅は優しく撫でながら見下ろしている。
「驚かせてしまったかな。別に…そういうつもりで言ったんじゃないんだ。」
笑いながら、彼は見つめる。
からかい半分で、そんな刺激的にも取れる言葉を口にしたのだろうか…と思ったが、瞳は暖かで優しくて、そんな面影はまったく無い。
「ただ、純粋に一緒にいたいだけなんだよ。時間なんかに縛られずに…いろいろ君と話をしたいだけなんだ。」
「話……ですか?」
「そう。音楽のこととか、日常的なこととか、他愛のない話でも良いし、昔の話とかでも良いよ。」
今まで、他人には打ち明けたことのなかった話。幼い頃の記憶。
思い出したくないから、口にせずに深い心の底に封印したままの思い出。

「でも……小さい頃のことは、あまり思い出したくないでしょう……?」
「良いんだよ。それだって、私の記憶には違いないのだし。君にはね、やっぱり知っていて欲しい気がする。辛かったことも、どんなことでも……」

"淋しさも 弱さも 切なさも それらすべてが 僕自身だから"
『Inclusion』のフレーズが、友雅の言葉に重なった。
彼のギターの音が、聞こえて来るような気がする。

「迷惑でなければ、だけどね。無理強いはしないよ。」
「そんな、迷惑なんて全然そんなことは……」
打ち明けてくれるまで、待っていれば良いと思ったけれど。
いつか、自然に知る時期が来るだろうと信じてた。その扉が今開かれて、彼が待っていてくれている。
「悪さはしないって約束は、ちゃんと守るよ」
薄暗い部屋の中、友雅の腕に閉じ込められた彼女は、頬を抑えて赤みを隠す。

「ちょ、ちょっと…待ってて下さい!」
そう言ってあかねは、友雅の腕からすり抜けた。
慌ててテーブルに手を伸ばし、置きっぱなしの携帯を掴んで立ち上がると、それを手に庭先へと下りた。


雨上がりの夜空には、プラネタリウムのような星屑が瞬いている。
庇からは、まだ雫が滴り続けていて、夏草の香りは、夜の闇に溶けて深くなる。
あかねは携帯のアドレス帳を開き、登録されている知人の名前を次々に探した。
学校の友達、予備校で知り合った別学区の女子高生、一人ずつ名前を確認しては首を振る。
外泊するための共犯者には、いったい誰が適切か……?

……『流山詩紋』。詩紋くんかあ…。
信頼出来る友達だけれど、こんなこと年下の男の子に頼むのもなー…。
それに、詩紋は友雅のことを知っている。毎週、彼のいる店で待ち合わせしているのだから。
これからも行く機会はあるかもしれないし、そうなると…何か顔を合わせづらい。

……『森村天真』。はあ、天真くんか…。前にも口実を頼んだことはあるけど…。
長い付き合いなだけに、何かと口裏を合わせることに関しては一番気楽だ。
けれど、その後に散々突き詰められそうな気がする。首突っ込みたがりだし、好奇心はハンパじゃなく旺盛だし…後が大変そうだ。

…やっぱ、男の子にはこういう話、言いづらいなあ。
だからと言って、信頼度が高い相手じゃないと頼めないことだし。誰か、思い当たる人物がいないだろうか。
と、天真の名前の次に出て来た名前を見て、あかねの手が止まった。

……『森村蘭』。蘭、かぁ。
今まで考えたことはなかったけれど、蘭なら…という気がした。
天真ほどではないにしても、彼の妹だから他の女友達よりは親しいし。それらしい相手がいる、というのは彼女も知っていることだし。
それに、やっぱり女の子同士だから、いろいろ細かいところまで配慮してもらえそうだし。

あかねは思い切って、発信ボタンを押した。


『もしもしー?どうしたの、あかねちゃん。私の携帯に掛けて来るなんて、珍しいよね?』
「あ。うん…ごめんね、突然に電話しちゃって。今、忙しい?」
『ううん、全然平気。』
そういえば、こうして彼女と直通の電話で話すことはなかったな、と思った。
普段は天真の家に遊びに行ったりで、面と向かって会うことの方が多い。
携帯を挟んだ少し籠り気味の声は、ちょっと新鮮な気がする。
「あのねー…実はちょっと、折り入ってお願いがあって…」
「え?私に?お兄ちゃんじゃなくて?」
「うん、女同士の方が気軽に頼めるかなと思って…ちょっとね…」
やはり少しためらう気持ちも拭えなかったけれど、思い切って言ってみる。
「今夜ね、そっちに泊まるって、うちの親に電話してくれないかな…」

一拍の沈黙が流れる。天真に口実を頼んだときと、全く同じだ。
そして、携帯を通じて甲高い声が響いて来た。
「きゃー!」
思わず電話を耳から遠ざける。
が、距離を置いてもきゃんきゃんした蘭の声は、耳に入って来るほどだ。
「ね、もしかして…今、彼氏のところにいるの?」
「それは、そのー……」
頭を掻きながら、自分でも分かる頬の熱さに鼓動が早くなる。
「こないだ一緒だった彼氏だよね!?別の男の人じゃないよね!?」
「あ、あたりまえでしょ!他にいるわけないじゃない!」
「わーい、ひっかかった♪やっぱ、彼氏とお泊まりなんだー!きゃー」
蘭も他人のコイバナには、興味津々のお年頃なのだ。

「と、とにかく…詳しいことはあとで説明するから!」
「ホント?ホントね!?ちゃんとくわしーく教えてね!?ひと夏の経験!」


……ひと夏の経験、かあ……。
携帯を切って、数時間内に起きたことを、ぼんやりと思い返してみる。
蘭がはしゃいでいたような事はないけれど…でも、考えようによっては、もっと貴重な体験をしたように思える。

夏が終わりかけている、星空を望む夜。
かすかに聞こえるのは、虫の声。



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Megumi、Ka

suga