雨を纏って

 第4話
しばらくの間、友雅は泣いているあかねのことを、そのままにして触れずにいた。
慰める言葉が見つからなかったからだ。
彼女の涙の意味を、どう捕らえていいのか、と同時に、彼女が自分の目の前に辿り着いた理由とを、一度に考えようとして少し混乱していたのかもしれない。
やっと声を掛けられたのは、雨足の弱まって来た頃だった。

「どこで、そんな話を聞いたの?」
もう一度彼女の肩に、手を添えた。
濡れたまつ毛をこすりながら、顔を上げずにあかねは肩を震わせる。
「昨日…ライヴに行って…」
イノリたちのライヴに、彼女が行ったのか?
あれだけ入れ込んで聞いていたのだから、興味を持つのは当然の事だ。ライヴがあると知れば、行ってみたくなるだろう。
そして彼の姿を見れば、自分と繋がることも容易に推測出来る範囲ではある。

だが、彼らには正規のギタリストメンバーがいる。
『Inclusion』を演奏しているのは、彼だ。アレンジも、CDの時と全く同じだ。
普通ならば、違いなんて気付くはずがない…と、友雅は思っていた。
「でも、生で聞いたあの曲のギターは…あのCDのギターを違うんです…!」
はっきりと断言するように、あかねは言い切る。

「彼らはバンドだ。ギタリストの彼が、あれは演奏しているんだよ。レコーディングでも、そうだよ。私が代役しなくちゃならないような、未熟な腕ではないよ。」
「分かってます。すごく上手い人だと思う…けど、でも、私が好きなのは、あのギターの音じゃない……っ」
自分の腕を掴んで、震えたままこぼれる彼女の涙に、鼓動が微妙なリズムを刻み始めているのを、友雅は感じていた。
何故、そこまで彼女は音を聞き分けられるんだろう。
絶対音感とか、そういう言葉で片づくことだろうか。
いや…彼女はあくまで普通の少女だ。
普通に音楽を聴き、楽しめる一般的な嗜好の持ち主だ。
だからこそ、不思議なのだ。
どうして彼女は……自分の音楽に辿り着いてしまうのか、が。

「どうしてそこまで、断言できるんだい?ただ、音の似ているギタリストが他にいたのかもしれないよ。スタジオミュージシャンなんて、いくらでもいるし。」
友雅が言うと、あかねはぶんぶんと頭を左右に振った。
「友雅さんだって…聞いたから。」
「誰に?」
「………ヴォーカルの…あの、赤い髪の…」

イノリ?どうしてあかねが、イノリと直接会って話すような機会が?
チケットさえあればライヴには行けるとしても…ミュージシャンとファンみたいな立場では、会話することなどあり得ないと思うのだが。
「彼と話を?どうして、そんなことが出来たんだい?」
「…打ち上げに呼んでもらって…そこで…ちょっとだけ話して…」
状況が見えてこない。どうして彼女が、そこまで立ち入ることが出来たのか。
どこまで探れば、近付いた距離の意味を理解できる?
「打ち上げというのは、普通は関係者以外立ち入り禁止だよ。そこに、どうして君が居たの?」
「…チケットが取れなかったから…。だから、友達のお父さんにお願いして…舞台の裏から見せてもらって…」
「友達のお父さん、の名前は?」
「……森村…森村祥吾さん……」

友雅は、思わず天を仰いで目を閉じた。
ようやく、すべてが理解できた。彼女がイノリと話す機会があったこと、打ち上げに参加できた理由。
パズルのピースが、すべて当てはまった。
何故、こんなにもお互いの糸が繋がり合ってしまうのか

まさか彼女の友達の父親が、森村だったなんて思いもしなかった。
だが、出来上がった方程式は、何一つ疑問のない正統な繋がりを作る。
唯一残る疑問を上げるとしたら、彼女が自分の音を聞き分けられたというくらい。
「…ライヴのラストに、『Inclusion』をやってくれたんです…。でも、ギターの音が違ってたから、どうしてなんだろうって…。それで、打ち上げの時、思い切って聞いてみたら…」
そこで、イノリから本当のことを聞かされたのか。
あの試聴盤だけは、自分が演奏をしていたのだ、という真実を。

「おかしいですよね…。私、あんなに友雅さんのギターを何度も聞いてたのに、繰り返し聞いてた試聴盤の音を、友雅さんの音なんだって、全然気づけなかったんですよ?。」
笑いながらあかねは言うけれど、それでも瞳は濡れたまま。
「似てるなあとか、そう思ったくらい…。先週だって、目の前でさっきみたいに弾いてくれたのにも、疑いもしないで、すごいって単純に思って……」
「………あのね」
「友雅さんの音の方が、ずっと好き…なんて、同じ人が弾いてるのに、何を言ってたんだろ…私。バカみたいですよね。」
「少し、話を聞いてくれないか」
「ホント、笑っちゃう…。からかわれても、仕方ないや…。いつ気付くのかって…見てるだけなら面白いですよね…」

とたんに、両手首を強く捕まれた。
少し身体を引き寄せられて、しっかりと彼が目線を合わせる。
「頼むから、私の話を聞きなさい」
逸らせない瞳の向こうにいる友雅の姿が、少し涙に滲んで見えた。


「からかってもいない。騙していたわけじゃない。今まで黙っていたのは……嬉しかったからなんだよ。」
夕暮れが始まった薄暗い部屋の中、友雅は静かに語り始めた。
もう、彼女に隠すことは必要ないと思った。
何もかも、打ち明けても構わないと。
「君が、私のことに気付かずに、それでも私の音を好きだと言ってくれたのが、本当に嬉しかったんだ。」
心が、何かから解き放たれたような気がする。
知らず知らずのうちに背負っていた、緊張の糸がほどけたような。
抱いていた想いが、自然に言葉となって生まれてくる。

「…私、気付かなかったんですよ?あんなに友雅さんのギターを聞いてても…。それだけじゃなくて、偉そうにあの曲のギターが良いとか言って……」
「でも、私だと気付かなくても、君は私の音には気付いてくれたじゃないか。」
重要なのは、橘友雅という名前ではない。
あらゆる情報の何もかもを取り払って、素のままの心で自分の音を受け入れてくれること…受け入れてくれる人。
自分の中の、理想の頂点にある大切なこと。
それこそ------彼女だ。

「それだけで良いんだ。私は、そういう風に私の音を見付けてくれる人を、ずっと探していたんだよ。」
胸の中から、感情が溢れてくる。
それは、暖かくて優しくて………幸福という言葉がしっくり来る。

あかねの頬に手を伸ばして、友雅は穏やかに微笑みながら彼女を見つめた。
「不思議だね…。年齢も、生活環境も全く違うのに、何もかもがまるで仕組まれたように、つながってしまうことばかりだ。」
偶然の出会いから始まって…数え出したらきりがない。
そもそも自分がイノリたちのプロデュースを引き受けなかったら、森村との接点はなかった。
その森村があかねの友人の父親で…試聴盤を聞いて彼女は友雅の音に気付いて。
今日だって、ふと会いたいと思っただけなのに、お互いに同じ事を考えて…そして彼女はここにいる。
「出来すぎた偶然ばかりだ。あまりにも…都合が良すぎるね。」
だから……信じたくなってしまうのだ。
運命という素材で作られた、赤い糸のおとぎ話を。


「昔、祖父がくれた手紙の中にね…音を信じていれば、赤い糸で結ばれた人を引き寄せてくれるって、そんなことを手紙に書いていたんだよ。」
物語を聞かせるように、友雅は静かな口調であかねに話を始めた。
祖父が手紙として、最後に自分に送ってくれた言葉。
「響きあえる人に巡り会えるって…ね。そんなのは、ただの空想話だと思っていたんだ。そんなの、あるわけがないって思っていた。だけど…信じても良いのかな?って、最近になって思うようになってね。今は、それを信じたいと思っているんだよ。」
友雅は、あかねの手を取る。そして彼女の小指に、自分の小指を絡めた。
ゆびきりげんまんをするような感じで。
「……君は、どう思ってる?」
見つめられた彼の甘やかな視線から、顔を逸らしてうつむこうとしたけれど、友雅の手はそれを遮る。
両手で押さえられた頬を、固定させられて、見つめられて……お互いの視線は目の前の姿だけを映す。

「やっとめぐり逢えたんだ。だから……信じさせてくれないかな」

瞳を閉じて、彼の声を聞く。
その声と、彼の奏でるギターの音が、同じ波長であることに気付いた。
そばにいるときの、ドキドキするときめきと一緒に沸き上がる、確実な安心感。
だから、惹き付けられる。引き寄せられる。
はじめて出会ったときから………ずっと。


同時に、二人の身体が動き出す。
まつ毛を伏せて、近付く唇。相手を抱きしめようと、手が延びる。
そこにある、運命という赤い糸に触れたくて。

雨音は聞こえない。気付くと、ぼんやりと雲間から月が顔を出している。
薄い月明かりは窓をすり抜けて、明かりを忘れた暗い部屋をわずかに照らす。
ゆっくり流れて行く時間。
夜は更に深くなる。
だが、たぐり寄せた糸を手にした二人には、時の流れなど何の意味もない。
寄り添った影は、離れられない。



出会ってしまった、その時から……離れられずにいる。




-----THE END-----



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Megumi,Ka

suga