Jewelry echos

 第4話
晴天の空には、大きな白い雲が浮いている。夏空独特の積乱雲だ。
一見問題のない青空だが、いつ夕立がやって来るか分からないのが、夏の気候である。
しかし、そんな夏も少しずつ終わりへと向かう。もうすぐ8月も終了だ。

「もう二十年以上も経ったんだねえ…」
墓石に刻まれた彼の名前と、彼の命が天に召された期日。
あの日も、こんな暑い日だった。
両親が離婚してから、再びあの屋敷に戻ったのは、その時だけだった。
彼の残した遺言状により、彼の所持していたギターを友雅が譲り受けることになっていたからだ。
クラシックギター、アコースティックギター、エレキギターまで種類は幅広く、合計60本ほどはあっただろうか。
そして中には、あの貴重な一本も含まれていた。

会社にとって重要な意味を持つそのギターは、後を継いだ父までもが、息子である友雅に譲渡を嘆願した。
しかし、友雅はそれを拒否した。
彼が自分に託した意味が、十分なほど理解できたから。
「そう簡単に、何も分からない相手に譲るわけにはいかないよね。」
彼の名前を見ながら、友雅は笑いながらつぶやいた。
そして、ジャケットの内ポケットから、古びた封筒に入った手紙を取り出して、開いてみる。
ギターケースの中に、忍ばせてあった手紙。
そこには、離れて暮らす孫への最後の言葉が綴られていた。


-----おまえは昔から、音というものに恵まれた子供だった。
-----ただ、音感が良いとか、センスが良いという単純なものではない。
-----むしろおまえ自身が音そのもの、音楽そのものだと言う方が正しいだろう。
-----だから、私の目指している事を理解できるのは、おまえなのかもしれない。


もしも、これを第三者が先に見付けていたら、彼が後継者に考えたのは父ではなく、自分であると考えただろう。
父が亡くなって、結局遠回りした末にその状況はやってきてしまったが、父が存命であった時なら…かなり泥沼な展開が繰り広げられていた可能性もある。
でも、彼はそういうことを強要する人ではない。
財産や会社の発展などよりも、ひとつの音楽を真っ直ぐに愛した人だ。
「私は、両親ではなくて、貴方に似てしまったんだな」
開いた手紙を折り畳み、友雅は封筒の中に戻した。


  音楽に関しては、自分でも驚くくらい頑固に育ってしまったよ。
  でも、おかげでやっと、音楽の楽しさが分かってきたみたいだ。
  好きな音が、分かりかけてきたよ。それは、思いがけないことだったけど。
  ……って、確か貴方は、そんな意味深なことも手紙に書いていたっけね。


友雅は、しまったばかりの手紙を、もう一度広げてみた。
流暢な万年筆の青いインクで、なめらかな文字で書かれている。


-----おまえの人生のすべてが、きっと音楽によって繋がっていくだろう。
-----だから、音楽を信じなさい。音を、信じることだ。
-----そうすればきっと、おまえを最高の道へ導いてくれる。
-----素直に、音を愛して生きて行きなさい。
-----そしていつかその音が、おまえの赤い糸として、大切な誰かと巡り会わせてくれるはずだ。
-----響きあえるその人を、音と共に愛して生きて行きなさい。


「赤い糸、か。」
遠くで蝉の声が聞こえる。その音を背中で受け止めながら、つぶやいた自分の言葉に少し気恥ずかしくなった。
「貴方の残した言葉のような、そんな巡り会いに遭遇してしまったみたいだよ」
照れくさいけれど、認めたくなる。
自然に、想い描かれる彼女の姿が鮮明なほどに。
軽やかな声も、愛らしくて明るい笑顔も、少し拗ねたようにそっぽを向いたり、感極まって大粒の涙をこぼしたり……。
胸が躍り、時に安まる。綺麗な音に包まれているような、至福に似た感覚。
彼女と過ごしているときには、いつもそんな気持ちになる。

……信じても、良いのかな。
貴方が言った、その言葉に相応しい相手が、彼女だと。

立ち上がり、空を見上げる。
終わりかけの夏風が、頬を撫でながら流れていく。
遠くに見える緑の香りと、カサブランカの甘い香りは漂いながら、空気に溶ける

漠然と、ふと思った。

------------彼女の顔が、見たい。

+++++

車窓から望める雲は、街に近付くたびに膨れて、青い空を占拠しようとしている。
白かった色も少し澱み、もしかしたら一雨来るかも知れない。
昔の記憶の残る場所であるから、誰かに見つかると後々面倒だということで、わざと車は使わずに出掛けた。
しかしこうして天気が変わるとなると、傘も必要ない車で来た方が良かっただろうか、と思ったりもする。

電車の中は、若い学生たちの姿が多い。残り少ない夏休みを、思い残さず遊び尽くそうという心意気が伝わる。
ヒール高めのミュールに、少し色の強いルージュとネイル。
見た目だけでも背伸びしたい、そういう年頃だ。

そういえば、そんな感じは彼女にはなかったな、と思った。
無理な飾り立てなどなくて、自然な色が彼女に馴染んで。季節の中で咲きほこる花のようで。
そんなところが、落ち着かせてくれるんだろうか。
…なんて、さっきから彼女のことばかり考えている。
明日になれば、いつものように彼女に逢える。毎週日曜日の約束は、ずっと途切れずに続いている。
1日待てば、間違いなく逢えるのだ。それなのに……何故だか気持ちが逸る。
どうしてこんなに、会いたいと思う?
理由は思い付かないのに、ただそれだけが胸の中に残ったままだ。

持て余していた3日間の休日。
『デートとかしねえの?』という、イノリの言葉が思い出された。
そろそろ連絡方法を決めておいた方が、良いのかも知れない。
手前の座席に座っている少女が、携帯片手にメールを打っている姿を眺めながら、友雅はそんなことを思った。



これまで町中に住んでいたから、アーケードやら地下街などの行き来に慣れてしまって、傘などを持って歩く習慣を忘れていた。
駅前からバスに乗り、家の近くのバス停で下車してみると、外は結構な雨が降り出していた。
「仕方がないな、少し走って帰るか」
友雅は、着ていたジャケットを頭から羽織り、煙る雨の中に向かって走り出した。

田舎道は雨をすぐに吸い込み、あちこちに水たまりが出来ているが、そんなことを気にしている余裕はない。
足を止めれば、否応なしに頭上から雨が叩き付けられる。
出来るだけ早く、屋内へ逃げ込もう。もう少し走れば、家に辿り着く。
やっと、自宅の輪郭が見えてきた。
軒先のある玄関から中に入ろうと、友雅は裏道を曲がってあぜ道を越えた。

強さを増して降り続ける、雨の音だけが世界を包む。それらは、すべての雑音さえも抑え込み、冷たさと共に一種の静寂に似た空間を作り出す。
そんな中で、友雅は足を止めた。
そのまま、立ちつくした。
濡れることなど構わなかった、というよりも、そんなことなど忘れていた。

春を映したような桜色の傘。グレイッシュカラーの世界で、そこだけが明るく浮き上がる。
こちらに向かって、駆けてくる姿。近付く彼女の映像。

無意識に、足が動いた。彼女に向かって。
雨の中を駆けだした。そして手を伸ばした。


ただ、何も言わずに------------土砂降りの中で彼女を抱きしめた。




---THE END-----



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Megumi,Ka

suga