Jewelry echos

 第3話
胸が詰まるようだ。込み上げてくる感情が止まらなくて、静かな震えがあちこちに起こる。
それは、指先で弾く弦が揺れるようで、どことなく優しく懐かしい。

「あのー…ホントに、すまん。何かやっぱ俺、ちょっと気付かないとこで無神経なこと、言ったかもしんない。」
代行の車に乗り込もうとするあかねに、申し訳なさそうに頭を掻きながら、イノリは言う。
いつもの覇気など全くなくて、その姿は素直な少年の面持ちそのものだ。
普段の彼を知っているだけに、そんな表情を見るとこちらが少し恐縮してしまう。
「いえ、全然そんなことないです。逆に…色々と教えてもらって、ホントに嬉しかったくらい。」
彼が教えてくれなかったら…ここに来なかったら、自分はあの音に気付かないまま過ごしていただろう。
何よりも、身体に染み込む音と同じものであったのに、それが彼の音だと今まで気付かずに。
……気付かずに、惹かれてた。あの音に。

「おっさんによろしくな」
他の者に聞こえないように、あかねの耳にこっそりとイノリは耳打ちをした。
彼女の頬が染まると、それを見て彼は親指を立ててニヤリと明るく笑った。



深夜に差し掛かった表通りは、車も少なくスムーズに流れていく。
しかし、歩道にはまだ人影が消えない。金曜の夜ということで、夜遊びに高じる若者も多いようだ。
「どうだった?CDで聞くのとライヴとでは、また違った魅力があるだろう?」
隣に座る森村が、あかねに今日の話を問いかける。
「はい…すごく良かったです。」
「そうだろう。いろいろなアーティストをプロデュースしてきたけれど、彼らはここ最近では特に良い。プッシュし甲斐があるよ。」
どうやら彼も、イノリたちのことを随分と買っているようだ。
無理もない。素人のあかねでさえも、単純に"すごい"と感じるくらいなのだから、彼のようなプロの立場から見てみれば、更に細かい要素まで感じ取ることが出来るのだろう。

…プロ。プロデュース…。
「おじさん、あの……」
ふたつの言葉が頭に浮かんで、ふとあかねは口を開いた。
その声に、森村が振り向く。
「何だい?」
言葉を掛けてから、あかねはこれまでのことを整理しようとした。
イノリたちのアルバムをプロデュースしているのは、友雅だ。だから、彼らの間にはパイプラインが存在する。
でも、自分はイノリたちのことは全く知らなくて。友雅と一緒にいて知り合った程度。その時点で、彼が「Red Butterfly」のメンバーだとは知らなかった。
そもそも、「Red Butterfly」を知ったのは最近。
店内に流れている曲を聴いて、気に留まったから。
だけど、曲を聴いても歌っている人たちは知らない。
そして、今日その一員がイノリであることを知って…その曲の中で気に掛けていたギターを弾いていたのが、友雅だったと知る。

絡まった糸は、こんがらがってあちこちに枝分かれする。
不透明なまま終わることばかりだったのに、最終的に落ち着いたのは、結局友雅のところだ。
意識もしていないのに、螺旋を描くようにして辿り辿り、最後の場所に彼が居る。
「どうかしたのかい?」
声の途切れたあかねの顔を、森村は奇妙な評定で見ている。
「……あ、何でもないです…すいません」
結局、彼に問いかけようとしたことは、先に進まずに閉じ込めてしまった。

改まって尋ねることなんて…もう何もないのだ。
友雅の肩書きが、何であろうと関係ない。
自分が常に追い掛けている音は、彼の音だけだ。
通りすがりに耳にする曲でも、気付くのは彼の音。
思い出してみれば、あの時、あの夜、あの路地裏で出会った時も、そうだったじゃないか。
聞きたい音が見つからなくて、宛もなく歩いていた時に彼と出会い、彼の指先が一本の弦を弾いたとき……。
あの感覚。あれこそ…彼らの曲を聴いたときに感じたものと同じ響きだったのだ。
試聴盤の『Inclusion』に感じた何かと、全く同じだったのだ……。
何故それに、今まで気付かなかったんだろう。

会いたい。
ふと、そう思った。強く、心がそう願った。
今すぐにでも会って……彼の音が聞きたい。彼に会いたい。
明日は土曜日。約束は日曜日。
……待てない。でも、連絡を取る術がない。

だけど……会いたくてたまらない。


+++++


8月もあと数日で終わりとなれば、のんびりと外出する者も多くはなくなる。
学生なら別だが、一般人には至って普通の平日。土曜日でも、そんなものだ。

ここに来るのは何年振りだろう。
お盆のシーズンも終えて、あちこちには真新しい花が供えられているが、夏の暑さでは傷みも早い。くたりと首が垂れて、萎れかかっている花もある。
用意してきたこの花も、そう長くは持たないだろう。
けれど、久しぶりに顔を見に来たのだ。手土産を惜しむこともない。

真っ白なカサブランカを30本。そして赤ワインのミニボトル。
「少し安物だけど、そこらへんはおおめに見てもらいたいね」
小さなグラスの水を空けて、友雅はワインを注ぎ入れた。そして、それを彼の墓石の前に戻す。
純白の花の中に、赤いワインのグラス。
黒い御影石の中で、静かに眠る彼の好きなものを並べて、刻まれている名前を見つめた。


  随分と長い間、逢いに来なくて悪かったよ。
  気に留めてはいたんだけれど、昔の記憶が残る場所には行きづらくてね。
  貴方なら、そんな気持ちを察してくれるかな、と思って。
  それに甘えてしまったんだが、やっぱり少し不満だったかい?


話しかけても、言葉は返って来ない。彼の身体は、目に映らない。
それでも、こうして向き合っているだけで、自分にはあの頃の彼の微笑みが見えるような気がする。
三十年余りの人生の中で、わずかに残る幸せに満ちた日々。
そこに、彼はいた。

音楽を教えてくれたのは、彼だった。
ギターという楽器を与えてくれ、直々に弾き方を伝授された。
まだ3つになった頃だったかと思う。

『おまえはまるで、弦と会話をしているみたいだね』
友雅が小さな指を伸ばして、彼に支えられながら弦をつま弾いてみると、必ずそう言って頭を撫でてくれた。
指先ではじくだけで、色々な音が生まれてくるのが楽しくて、彼のそばではいつもギターを弾いていた。
雨が降る日も、庭の芝生が眩しく輝く青空の日も、何よりも楽しかったのは弦を弾くことだった。

屋敷を離れる時、彼は数多いギターの中から一本を選び、友雅に与えてくれた。
「古いものはしっかりしているね。もう何十年も前のものなのに…未だに良い音を出してくれるよ。」
この世にいない、彼に話しかける。あの頃を思い出しながら。


  どうしてあの時、貴方はあのギターを選んだんだろう。
  他のギターだって、いくらでもあったはずなのに、
  『おまえの分身だ』なんて言って。
  でも、今までいろいろなギターを手にしてきたけど、
  やっぱりあれほど手に馴染むものには出会っていないんだ。
  貴方は、そういうところまで見抜いていたのかな。
  だとしたら、尊敬してしまうよ。


友雅は、一度もピックを使ったことがない。
ピックを使うのが主流になっている昨今で、常に自分の指先だけで弦をつま弾く。
そうすると、弦と指先とがひとつの感覚になってくる。
一番良い音が出るタイミングを、弦が指先に伝えてくれるのだ。
でも、そうやっていても、指が傷むことは全くない。
傷がついたり、爪が削れたり…不思議とそんな経験は全くなかった。自分でも奇妙だと思うのだが。
彼が言った『分身』という意味は、そういうものに含まれているのだろうか。



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Megumi,Ka

suga