Jewelry echos

 第2話
世間では、既に眠りについている人が殆どだろうが、未だにここは盛り上がりが続いている。
笑い声やはしゃぐ声と、静かに会話する人たちが途切れない。

「そういえばさあ、昨日はライヴの前日リハで、今日はライヴで、明日はOFFなんだけど。そのせいでレコーディングが3日OFFなんだよ、」
レコーディングの進行状況は、決して余裕があるというわけではないが、どうしてもライヴ優先なのがイノリたちの性分だ。
その為には、少しくらいのスケジュール調整も仕方ないと思う。

ビールばかりが減って行く中、ろくに減らない烏龍茶のグラスをひとつ、イノリがあかねに手渡してくれた。
そして、ニコリと笑ってこちらを見る。
「アンタ、高校生だろ。夏休みは月曜日までだよな?……おっさん、急なOFFで暇してると思うぜ?」
名前は言わないが、イノリが誰のことを言ってるのか、あかねには分かる。


「…あの、ひとつだけ聞きたいことがあるんですけど」
グラスに浮かぶ氷を、見下ろすあかねの視線が捕らえる。
「最後に歌った『Inclusion』って…試聴盤に入ってますよね…?」
「ああ、3曲目に入ってるけど。それがどーかした?」
イノリに聴けば、絶対に分かるはず。どうして、あのCDのギターの音と、ライヴで聴いた音が違っていたのか。
そもそも、本当に違うものだったのか。自分の単なる勘違いなのか…あかねはどうしても、真実を知りたかった。
あんなにも、心の琴線が震えた曲は初めてだったから。

「あの曲って、昔からこういうアレンジだったんですか?」
「いや、今回は特別。このCDを聞きゃ分かると思うんだけど、アコースティックっぽいけど、エレキとかキーボードも入ったバラードだよ。」
「じゃあ、どうしてあのCDと今回のライヴのは、ギターだけの演奏になってるんですか?」
「うーん…まあ、スタッフの意向?『メジャーとインディーズの境を付けてみよう』ってことで、アレンジ変えてみたの。だから、このCDとこれから出るデビューアルバムとでは、同じ曲でもアレンジが違ってんの。」
では、今日聴いたのは、新しいアレンジの『Inclusion』だったのか。

デビューの挨拶を兼ねたライヴだったから、新しい『Inclusion』を彼らに聴かせてやろうと思った、とイノリは答えた。
前のアレンジの方が良い、と拒絶反応を起こされたらどうしようか、と気にかけてはいたけれど、幸いそれは全く逆の反応をもらえたのが嬉しかった。
それに、最初はぎこちなかった感覚も、メンバーそれぞれが自分の色に馴染ませて来ている。
今となっては、新しいアンプラグドバージョンの方が、しっくり来ることが多いくらいだ。
アレンジひとつで、曲というものは随分変わるものだと、改めて今回の作業でイノリは感じた。

「ギターは…ずっと、あのメンバーの方なんですか?」
「ああ。俺らはメンバーチェンジしたことないし。ずっとオリジナルメンバーで来てるから。5人パートがありゃ、ゲストでサポート入れる必要もないし、ずっと5人でしかやってないよ」
レコーディングの時も、スタジオミュージシャンなど起用していない、とイノリは言う。
……だったら、どうしてギターの音が違うんだろう。疑問が残る。
やっぱり勘違いだったのか?いや、そんなことはないと思う。
それだけは言いきれる。

「さっきから、おかしなことばっか聞くけどさ…あの曲に何かあんの?」
「え?あ…いえ、ちょっと…気になることがあって…」
腕を組みながら、次々に投げかけられるあかねの言動が、イノリには不思議で仕方がなかった。
以前から人気の高い曲ではあったが、昔からファンというわけでもない彼女が、何故そこまであの曲にこだわるのか。

「あの…別にその、ギタリストの方がどうのこうのって、そういう意味じゃないんですけど」
あかねは最初に、そう一言断るように言ってから切り出した。
「試聴盤の『Inclusion』って…別の方がギター弾いてたりしませんか?」
失礼な質問だとは、充分理解している。
だけど、この曲が自分の中でどれほどの存在になっているか…だから知りたい。

イノリは少しの間、何かを思い出そうとしていた。
彼から、どんな答えが返って来るのだろう。黙ってあかねは、それを待つ。
「あー!」
何かにひらめいたように、彼が手を叩いた。
「そうだったっけ!あれを録音したの、結構前でさ。それっきり聞く機会とかなくって、すっかり忘れてた。」
あくまであれは、試聴盤という意味のものであって、正規なルートに流れるものではない。
だから、今の今まで記憶から薄れていた。
「あの『Inclusion』のギターは、おっさんが弾いてんの。」
あかねの顔を真っすぐ見て、イノリはそう答えた。


一瞬、胸の奥で何かが音を立てた。
それは---------あの時、初めてあの曲を聞いた時のような音。


「今回のアレンジってさ、かなり良いんだけど、ちょーっと俺らにはレベル高いんだよ。特に、うちのギターのヤツはエレキばっかり握っててさ、アコギなんて全然使ったことなくてさ。」
彼女の心境など気にせずに、イノリはこの曲についてのいきさつを話し始めた。
「それなのに、このアンプラグドバージョンを持ってこられてさ。これじゃエレキ使うわけにゃいかねーし。ってことで、ヤツは毎日毎日アコギの練習することになっちまったの。でも、試聴盤のレコーディングは締切あるしさ。それまでにはどうにも会得出来ないんで、しょうがないから試聴盤だけ特別に、おっさんに弾いてもらったってわけよ。」
友雅の弾いたギターは、文句なしに良いお手本だった。
彼は毎日のようにそれを聞きながら、時にはスタジオで友雅自身にアドバイスなどを受けてもらい、ようやく今日のようにすんなり弾けるまでとなったのだ。
おかげで、その後のレコーディング本番では、ちゃんと彼の演奏で録音が出来た。これを機会にアコギに興味が出て、彼は自腹で新しいギターを購入したという。

「ここまでアコースティックってのも、俺ら経験なかったけど、結構良い………って、おい、アンタ、どうかした!?」
あれこれと勝手に話していたイノリだったが、ふと目の前にいるあかねに目を遣ったとき、彼女の瞳の動きを見て焦った。
身体が硬直したように、ぴくりとも動かない。
それなのに、瞳だけが緩く潤み始めている。

「ちょっと?おい、俺、なんか変なこと言ったか!?」
突然のことで、イノリはどうして良いのか分からず、パニックを起こしていた。
彼女に泣かれるようなことを、言った覚えなどないのだが。
こんなのを友雅に知られたら…あとでどんな制裁を加えられるか、わかったもんじゃない。
「悪い!俺、ヤバイこと言ったんだったら謝る!だから、その…な、泣かないでくれって!」
慌てて彼女の肩を支えようとした時、その手にかすかな震えを感じて、イノリはどきっとした。

「ホントに……友雅さんが、あの曲を…?」
ぎこちない唇の動きで、あかねが小さな声を出す。
「あの曲を弾いてたのは…本当に……」
本当に、友雅自身だった?
これまでずっと、何回も何回も聞いていたあの曲の、あのギターの音を奏でていたのが……彼?
何も知らずに、惹かれたあの音は……。

胸が締め付けられる気がする。でも、息苦しいわけじゃない。
あの音が胸の奥で…ずっと響いている。

「そ、そう。お、おっさんが見本にって弾いてくれたんだよ。デビューアルバムのトータルプロデューサーだし。」
トータルプロデューサー。つまり、アレンジや選曲などのアドバイスを含めて、総合的なサウンドプロデュースを彼が受け持っている、と。
プロモーションにはそれほど関わっていないが、アルバム作成の音楽的なものはすべて彼が指揮しているとイノリは言った。
「あの試聴盤に入ってる、他の2曲にもおっさんがギターで参加してんだ。」
スピードのあるロック調の曲も、明るいポップなメロディーの曲にも。
どこかしらで、友雅はギターで参加しているという。
ただ、『Inclusion』と違って、アレンジが華やかだから気付かないかもしれない、と彼は言うけれど。

初めて天真のバイト先で、店内に流れていた彼らの曲に足を止めた時、最初に気付いたのはギターの音だ。
ライヴっぽいストレートなロックの中のリズムに紛れて、浮き上がって来るように耳が反応したのは……それもまた、彼の音だったのか。

何も知らなかった。今の今まで。
でも、無意識のうちに自分は…彼の音を探してた。
どこかに紛れている小さな音も、クレジットもない曲でも、惹かれるように辿り着いたのは……彼の音。
まるで、自分の心みたいだ。
すべてが、彼につながっている。不思議なくらいに。


「あかねちゃん、車が来たよ。そろそろ……」
戻ってきた森村が、あかねを呼びに近くにやってきたが、震えるようにうつむく彼女と、戸惑うように立ちつくしているイノリの姿に、彼は少し慌てた。
「どうしたんだい?何か…あったのかい?イノリくん、一体…」
「お、俺は別に何でもない!何もしてないっ!」
こっちに嫌疑を掛けられたら大変だ。
一切身に覚えのないことで、変な詮索されても困る。

「すいません…ちょっとびっくりしたことがあって…。」
彼女がフォローしてくれたおかげで、何とか疑いは晴れたようでホッとした。



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Megumi,Ka

suga