Jewelry echos

 第1話
ライヴが終わったのは、午後9時半だった。
MCやアンコールのおかげで、普段よりも30分ほど長引いてしまったが、久しぶりなのだから仕方がない。
結局、店を完全に閉められた時には、もう10時を回っていた。

「そんじゃ、おつかれさまーっす!!」
イノリの乾杯の音頭で、手に持っていたコップを皆が掲げた。
観客の代わりに、フロアに集まったのはスタッフ全員。
音響スタッフ、照明スタッフ、そして関係者が勢ぞろいでの打ち上げだ。
ライヴ終了後では、有り合わせのものしか用意出来ないが、共にイベントを作り上げた仲間たちと、労りあう時間は至福の一時だ。
メンバーはさっそくビールを一気飲みして、気持ち良さそうにスタッフと会話している。
マネージャーは、森村にビールを注ぎながら話をしているが、半分は仕事のことに関してなのだろう。
イノリはというと…まだ19才だからビールは飲めない。
代わりに、見た目だけは大差ないジンジャーエールを啜りながら、さほど広くないフロアの中を、うろうろと歩き回った。

時折、スタッフに声を掛けられて会話を交わし、テーブルの上にあるクラッカーに手を伸ばした。
すると、フロアの隅で、ドアに貼られたポスターを眺めている彼女を見つけた。
イノリは彼女に近付いていき、後ろから軽く肩を叩いた。
「よ。おつかれさん。」
振り返ったあかねは、少し驚いたようだった。

すっかり盛り上がった空気の中、宴会のメインであるイノリの姿がないことも、あまり気付かれていないようだ。
「時間遅いけどさ、帰らなくて良いの?」
「あ…森村さんが送ってくれるっていうんで…」
そういや、彼女は森村の知人だと言っていたっけ。一応、彼が保護者代わりというわけか。
それにしても…妙な感じがする。
友雅の姿がない場所なのに、彼女と向き合っている現状。
しかも、自分たちのライヴが見たいと、彼女から言い出したなんて。

「うちのマネージャーに聞いたんだけど。アンタ、俺らの試聴盤を聞いて、興味を持ったってホント?」
イノリに言われて、あかねはドキッとした。
たいして曲も聴いていないのに、チケットも買わずに関係者としてライヴに入るなんて、あまりいい気分はしないんじゃないだろうか。
「すいません、ホントです。今日聞いた曲も殆ど初めて聞くものばかりで…」
「良いって。俺ら、新しいファンも大歓迎だからさ。」
薄暗い地下のフロアなのに、そう言って笑うイノリの笑顔は太陽みたいに明るい。

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「俺がここのライヴハウスに出たのは、高校んときなんだ。だから…延々もう4年になるんだけど、やっぱ他んとこよりも気合いが入るんだよね。」
二人で壁の花になりながら、イノリはフロアのあちこちを指差して、その都度昔話をしてくれた。
アンプのことや、ライティングの効果など。素人のあかねには、何を言っているのか理解は出来なかった。
だが、彼らがここで過ごして来た4年間という月日が、どれだけ充実していたかが、彼の言葉からは十分伝わって来る。
彼らの音が、あんなに輝きを放っているのは、そんな日々を忘れずにいるからなのだろう。

「あの…音楽をやろうって思ったきっかけって…何ですか?」
生き生きした彼の瞳の輝きに、あかねはふと、そんなことを尋ねてみたくなった。
自分とほぼ同い年の彼が、ここまで輝いていられる理由が知りたかったからだ。
「きっかけ?きっかけ…かあ…そーだなあ…」
突然のことで、イノリはぱっと思い浮かばなかった。
生まれた時から音楽に降れていたし、当たり前のようにギターにも興味を持って、そして現在に辿り着く。
「強いて言えば、親父が若い頃ロック青年でさ。今でも集まって親父バンドとかやってんの。だから、遺伝みたいなもんもあるんじゃねーのかなあ」
笑いながらジンジャーエールを飲み干して、空のグラスを床に置いた。

「俺、音楽って聞くのも好きなんだけど、歌ったりする方が気持ち良いんだよね。他のバンドのコンサートとかも、たまに行ったりするんだけど…やっぱステージに立つ方が気分良いんだ。」
"目立ちたがり屋だって、笑うなよ"と、唇を尖らせて言うイノリが何だかおかしかった。もちろん、笑わないように我慢したけれど。
「っていうか、一人じゃなくって、バンドで演奏するのが好きなんだ。ギターとか、ベースとか、ドラムとかさ…ひとつだけじゃひとつの音しかないのに、それが合わさるとすげえ音になるじゃん。それが快感なんだよなー。オーケストラとかのヤツと同じ感覚かもしれないけど、たまたま俺はこっち側だったってことだな。」
彼が歌えば、それにギターで答える仲間がいる。
そのギターにベースが反応し、ドラムがリズムを加えて、キーボードがメロディーに艶を与える。
5つの音が混ざり合い、出来上がる彼らの音。
そこには、確かに"魂"が息づいている。

「何となく、分かる気がします。他のミュージシャンとかの曲と、どこか違う気がしますもん。」
自分でも、少しナルシスト的かもしれないと思っていた感覚を、すんなり受け止めたあかねが、イノリは少し意外に思えた。
ただ、適当にうなづいただけかと思ったが、そういう雰囲気でもない。
だからと言って、専門的な蘊蓄の語り口でもない。
「ずっと見てたら、バンドの人たちもお客さんも、みんなホントに楽しそうで………何だか、すごく羨ましくなっちゃいました。」
思い出すのは、ステージとフロアの一体感。
誰もが、同じ楽しさを求めている表情。
それは、追い掛ける夢があるからだろうか。
ラストで、マイクを通して言ったイノリの言葉が、柔らかくよみがえってくる

「夢があるって、いいなあ…」
ぽつり、とあかねはつぶやく。
その視線の向こうでは、はしゃぎあうメンバーの姿があった。



しばらくしてから、あかねとイノリが話しているところへ、森村がゆっくりした足取りでやってきた。
「あかねちゃん、もう随分遅くなってしまったから、そろそろおいとましよう。」
時計を見ると、既に日付が変わっている。
あまりに賑やかだから、そんなに遅い時間になっていることにも気付かなかった。
いくら森村が着いていてくれると言っても、さすがにもうリタイアしなくては。
「私はビールを少し頂いてしまったから、代行を頼んでくるよ。だから、もうしばらく待っていてくれるかな?」
そう告げると、森村はスラックスのポケットから携帯を取り出し、フロアの外へ出ていった。

一夜の夢が、終わりを告げる。
ライヴはもう既に終了しているが…その数時間の間に、いろいろなことを知った。
3曲しか知らなかった彼らの曲も、今夜だけで15曲くらいは聴くことが出来た。
もっと聞いてみたい、と思って森村に懇願して入り込んだけれど、初めて聞いたものはどれもこれも瑞々しくて、それでいて力を感じるものばかり。
スポットライトよりも、彼ら自身が輝いている。
羨ましいくらいに、眩しい光景と音楽がそこにある。

「これ、アンタにやるよ」
突然イノリが、あかねの前に一枚のCDを差し出した。ジャケットに書かれている名前は、"Red Butterfly"。
「俺らの、一番最初のCD。これからメジャーでアルバムも出すけど、やっぱこれが俺らの原点だからさ。」
「そ、そんな…もらえないです!ちゃんとお金払いますから!いくらですか!?」
慌ててあかねがバッグのファスナーを開けて、中の財布を取り出そうとしていると、イノリはその中に放り投げるようにして、そのCDを突っ込んだ。
「良いって良いって。おっさん経由で、知らない顔じゃねえんだし。もし、これ聞いて気に入ってくれたらば、その他を自腹で買ってもらえりゃ良いよ。」
最初に出したのは自主制作で、随分資金繰りに苦労したこともあったけれど、今では統計の売り上げで過去の予算も軽くオーバーしている。
CD1枚くらいプレゼントしたところで、首を絞められるようなことはないのだ。
「ホントに良いんですか…?」
「くどいなー。遠慮せずもらっとけって」
半ば押しつけるようにして、イノリは笑いながらCDをあかねの方へ戻した。

くるり、とジャケットの裏面を見てみると、黒い裏表紙に銀色の文字で収録曲が記されていた。
全部で11曲の構成。その中には、あかねの知っているタイトルも含まれている。
「試聴盤に入ってる曲…」
「そうそう。あの中の2曲は、結構古い曲なんだよな。その中でも一番古いのが、これ。」
イノリが指さしたのは、11曲目のタイトル。
「さっき、ラストに歌ったやつな。これが一番古い曲だから、俺らにとってもファンの奴らにとっても、想い出のある大切な一曲なんだ。」
11曲目の『Inclusion』の文字を差しながら、イノリはあかねに話した。


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Megumi,Ka

suga