One Night Strings

 第4話
タオルとミネラルウォーターを手にしたマネージャーが、ステージから降りてきたイノリたちを迎え出る。
「おつかれ!いやあ、久々だと盛り上がりも桁違いだな!」
フル回転でのステージを終えた後だが、不思議とそんなに疲れというものは感じない。むしろ、スポーツで優勝したような爽快感がある。
ライヴのあとは、いつもそんな感じだ。

メンバーそれぞれに水分を補給しながら、用意されていた椅子に腰掛けて休んでいると、イノリの前に新しいタオルを手にしたあかねがやってきた。
「あの…お疲れさまでした…」
顔を上げて、イノリは彼女の顔を見る。
「どーだった?俺らのライヴ。」
汗を拭いながら、あかねの答えを探ってみた。友雅以上だ、という感想はもらえないだろうけど。
「……良かったです、すごく…ホントに」
「そ。」
たった一言だけ。イノリは素っ気ない一言であかねへ返事をして、タオルで汗をごしごしと拭いた。
そんなイノリの前に、立ちふさがるようにして、あかねは食い下がる。
「あの、お、お世辞とかそういうんじゃないですよ!ホント、ホントに…凄く良かったですから!」
力いっぱい豪語する彼女の顔は、真剣そのものだ。
タオルで顔の汗をこすりながら、イノリは少しだけ気分が良かった。


新しいTシャツが、他のメンバーから放り投げられてくる。
汗でびしょぬれのランニングを脱ぎ捨て、イノリは真新しいそれに袖を通した。
おろしたばかりの、さらさらした感触が肌に触れる。気付くと、みんな既に着替えを済ませていた。
「そろそろ、最後のアンコールだな」
誰かが、そう言ったのが聞こえた。
それと同時に、イノリは椅子から立ち上がる。
「じゃ、ラストの挨拶に、もう一回ステージに上がるか。」
再び周りが、慌ただしくなる。

スタッフが新しいギターを用意し、それをギタリストが手にした。イノリは再び、あのレスポールを肩に掛けた。
用意したラストソングを、披露する時間がやってきた。
「それじゃ、行くかー!」
ステージに上がるときのように、みんな片手を叩きあって最後の合図を交わし、再び彼らはライトの元へ足を踏み出して行く、
ぽん、と肩に振動が伝った。誰かが、あかねの肩を叩いた。
目の前を通り過ぎていく背中。汗を滴らせた赤い髪。
振り返って親指を立て、笑顔を一度見せてから彼は眩しいステージへと消えた。



『えーと、やっぱこんだけ盛り上げてもらって、御礼もしないで終了なんて出来ないよな。一応礼儀ってもんがあるし!』
再びステージに立ったメンバーに向けて、投げかけられる声援は衰える事がない。
このまま、こうして一体感を味わい続けられたら良いけれど、残念ながら時間には限りがある。
イノリは観客たちを落ち着かせて、すうっと息を吸い込んでから、背筋を伸ばしてマイクを取った。
大切な人々に、伝えなくてはいけない想いがある。

『これからさあ、メジャーに行くってことで、どうしてもこれまでとは違うこととか、出て来ちゃうんだろうなって思うんだけどさ。でも、だからって俺らはここでみんなと騒ぎあってきたことを、絶対に忘れるつもりはないから。ここで、俺らは育ててもらったんだもんな。自分の身体の一部みたいなもんだ。そんなものを、忘れるつもりなんかないし。』
声援の中で、ステージの中央に椅子がひとつ用意される。
そこに、メンバーの一人がアコースティックギターを抱えて、腰を下ろした。
その他のメンバーは、手ぶらのまま。アンコールは、ギター一本。
あまり見覚えのないスタイルに、少し戸惑う客の姿も見える。

『俺らは、これからも夢を追いかけ続けるつもりだし。それは、俺らのためでもあって、みんなのためでもあるから、立ち止まらないでこれからも頑張ってくよ。だからさ、表面上はカッコ付けた俺らを見ても、心ん中のものは変わってないって、ちゃんと目を凝らして見てやってくれな。」
目に見えるものは変わって行っても、その中身はずっとあの頃のまま。
音楽を始めたときの事、最初のライヴの事、色褪せず記憶はそこに刻まれてある。
これがあるから、きっと新しく歩き出せると思う。

『……ってことで、そういう意味を込めて、ラストはいつものこの歌。でも、これまでとは違った、新しい音で。』

スポットライトがふたつ、スタンドマイクの前に立つイノリと、椅子に腰掛けているギタリストに注がれる。
明るい光が包み込み、それと同時に静かなギターの音が響き始めた。



「うん、心配していたけれど、観客の反応は良いな。」
カーテン越しのステージの裾から、パールホワイトのライトに包まれて、精一杯の声を上げて歌うイノリを見ながらマネージャーが言うと、隣にいた森村も黙ってうなづいていた。
彼らに目をつけたのは、間違いなかった。こうしてライヴでの彼らを見て、更にその確信は強まった。
スタジオ録音でも十分な実力だが、ライヴとなると本領発揮だ。これまで以上のパワーが、すべてから溢れ出る。
……確かに、橘さんが言ったように、迫力が違うな。伸びやかなところが強調されて、彼らの魅力が存分に音から感じられる。
この音を世の中に広めないのは、勿体ない。やはり、何かしらでライヴ音源を発信することを考えてみよう。

「あの…おじさん、この曲……」
黙ってじっとステージを見つめていたあかねが、小さな声で森村に問いかけた。
「この曲……おじさんのお店で試聴出来るCDに、入ってますよね…?」
「ああ、これは彼らの曲の中では、比較的古いものなんだけれど。特別な意味のあるライヴのラストソングには、この曲を歌うって決めているんだよ。」
そう答えたのは、森村ではなく彼らのマネージャーだった。
イノリが曲を作るようになって、まだそれほど経っていない頃の作品だ。
確か15才くらいだったと聞いたが、それにしては歌詞もメロディーも完成度が高くて、当時は驚いたものだった。
「私、この曲を聴いて…どんな曲を歌ってる人達なのか知りたくて、おじさんにお願いして入れてもらったんです…」
あかねが打ち明けると、彼は意外そうな顔をした。

試聴盤を聞いて、彼らに興味を持った?まさかそんな、素直な背景があるとは思わなかった。
彼女が友雅とつながっていることは、既に承知ではあったから…てっきり彼の影響で来たのかと思ったが、そうではなかったのか。
数多く並ぶ試聴盤の中で、何故彼らのCDを手に取ったかは分からない。
しかし、それで足を運んでくれたのならば、最高のPR結果だと言える。
満足そうな彼のとなりで、あかねはステージから流れて来る歌声とメロディーを、黙ってずっと凝視していた。

理由は……この曲のせいだ。

同じ曲だ。アレンジも、歌詞も同じ。
あのCDに入っているものと変わらない、ギター一本のアンプラグドバラード。
何度も繰り返し聞いた歌声は、確かにイノリのものに間違いない。
………でも、ギターの音が違う。
それが、あかねの気持ちを立ち止まらせている理由だ。

ライヴハウスに響く弦の音は、透き通っていて綺麗な音をしている。寸分違わず、イノリの歌声に寄り添うようにして、その人の音は空気に絡まってゆく。
自然に、声とギターの音が調和して、曲が出来上がっている。
完成された音だ。長い間、ずっと一緒にやってきた中での呼吸が、お互いの音を理解し合っているのだろう。
でも………それは、あかねが求めている音ではない。
絶対に違うはずだ。店に通い詰め、何度も何度も聞いたギターの音は、絶対この音ではないと確信がある。

どうして?ギターの種類が違うとか?そういう根本的な違いから、音は変わるものなのだろうか。
いや、例えそうであったとしても、もっと他の何かが違うような気がする。

……友雅さんの弾いてくれた音のほうが……。
歌に耳を傾けながら、ぼんやりとあかねはあの時の音を思い出す。
まるでCDを聞いているみたいに、完璧にシンクロした彼のギターの音。
初めてこの曲を聴いた時に感じた、包み込むような優しい響きと、それによって感じる不思議な安心感。
実際の人が演奏しているのに、赤の他人の友雅が弾く方が似ているなんて、妙な話だけれど…確かにそう思うのだ。
そして、彼の弾く音の方が好きだ、と、素直に思ってしまうのだ。


声に出さずに、すっかり覚えてしまったフレーズを、イノリの歌とともにつぶやいてみる。
いつもとは違ったその曲は、ステージの上で奏で続けられている。




  
たまにはこんな 話をしてみようかな
  見えるものと 見えないものと 
  君はどちらを信じるんだろう
  どちらが大切なものだと思うんだろう

  見えないものほど 大切なものなんだって
  誰かが言っていた話を 忘れかけていたころ
  君が それを思い出させてくれたんだ

  些細なことで 傷ついて 傷つけた
  自業自得で涙を流すなんて 情けないけれど
  肩に添えられた手 微笑んでくれる瞳
  もう 手放したくない

  逃げないよ ここにいる
  だから ここにいて
  淋しさも 弱さも 切なさも
  それらすべてが 僕自身だから
  Inclusion この心の中から見つけ出してよ
  君のために 空を見上げたい




-----THE END-----



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Megumi,Ka

suga