One Night Strings

 第3話
ライヴハウスということで、キャパシティはそれほどは多くはない。
ステージの袖に椅子を用意されたが、のんびり座って見られるような状況ではなかった。
客席側からではなく、裏側からフロアを覗くのは新鮮な感覚だ。
普通なら、滅多にないことだろう。
ぎっちりと満員のファンの姿で埋め尽くされた、薄暗いライヴハウス。
冷房はかかっているようだが、人の熱気だけで気温は上昇している。

「さーて、久々のライヴ、気合い入ってきたぜ〜!」
背後で数人のざわつきと、足音が聞こえてあかねは振り向いた。
ギターを抱えたイノリ、そして彼に続く4人の青年たち。
この5人が、「Red Butterfly」のメンバーだ。
イノリは、袖にはりついていたあかねを見つけて、彼女の肩を軽く叩いた。
「せっかく来たんだから、俺らのステージちゃんと見てろよ?。あとでおっさんに自慢できるような、パーフェクトなステージを見せてやるからさ。」
彼がそう言ったとたん、客席のライトが消されて一気に暗黒と変わった。
すると、フロア全体に歓喜の様な声が響き渡る。
手探りでしか身動きの取れない闇の中なのに、観客の盛り上がりは上昇する一方。

「よっしゃー!じゃ、いっちょ暴れに行くぜ!」
メンバー同士、それぞれにお互いの手を叩いて、一人ずつ暗闇のステージへと向かって行く。
闇に目が慣れた客たちが、それぞれの持ち場に付くメンバー達の気配を嗅ぎ取り、ゆっくりと歓声が大きくなってきた。
暗いライブハウスの中。マイクを通さずに、ステージから響く声。

…………Ready Go!!

カウントダウンに合わせて、アッパーとロアーの両ホリゾントライトが、ステージを交差して光を差し込む。
ライトで浮き上がるシルエット。そして、地盤が震える程の観客の声。
鼓動よりも早いリズムを打つドラム、空気に広がるようなキーボードの音と、貫くように閃光を放つエレキギターの旋律。
中央には、スタンドマイクを握りしめて、ライトを上下から受け止めるイノリが、沸き上がるオーディエンスの波を見渡している。
「ご無沙汰してた分、ノンストップで突っ走っちゃうから、みんな覚悟て着いて来いよなーっ!!」
会場に響く彼の声よりも、大きな声援がライヴハウスを包み込んだ。

一度、バックのメンバーを振り返って、視線で合図を交わしたイノリが手を宙に振りかざす。
そして、その手が振り下ろされたと同時に、まるで点火したような熱気がギターの音に重なり合った。
あっというまに、空気が変わる。
何もなかったステージが、彼らの登場で別世界になる。
バラバラだった客達の視線が、ステージに集中して、誰もが彼らの奏でる音に同化しようと身を寄せる。

そこにあるのは、発信側と受け止める側の、自ずと溢れ出していく一体感。
彼らが音を生み出すのは、目の前で拳を挙げる彼らのため。
そして彼らがここにいるのは、そんな音を投げつける彼らと触れあいたいため。
……フロアとステージが分かれているはずなのに、境界線を感じさせない力。


"すご…い………"
ステージの幕の裏側にかじりついて、あかねは単純にその言葉だけを何度も繰り返した。それ以外、思い付かなかったのだ。
これまで、何度かこういうライヴを見た事はあったけれど…比べものにならない。
インディーズ?インディーズって、こんなにレベルの高いバンドがいるのか?
テレビや雑誌で見かけるアーティストより、ずっとパワーがあるじゃないか。
その証拠に、メンバーも観客も、誰もが同じ表情をしている。
身体からほとばしる感情を、ためらいもせずにさらけ出して。
なんて、生き生きしているんだろう……。

ライトのせいではなく、音楽というものと共に生きている彼等の姿が、羨ましいとあかねは感じた。
好きなことを、手放さずに生きていること。
何より、好きなことがしっかりと理解できていること。
それらに、真っ直ぐに命をかけられる彼等の想いが、数々の曲の中に織り込まれているのかもしれない…。

……私は、私の好きなことは…何だろう。
ふと、あかねはそんな風に疑問がよぎった。
彼等のように、何ものにも代え難いくらいに好きなことが、自分にはあるだろうか。これからの未来も。ずっと追いかけたいものがあるだろうか。
このままならば、来年の春には大学生になれるはず。
だが……何故大学に行くんだろう?

今になって、そんな疑問に答えが浮かんでこない。
はっきりとした青写真がなかったから、ただ周りの雰囲気に呑み込まれて、進学を選んだんじゃないか?
大学に行って、どうする?大学を卒業したら、何をしたい?
何のために、勉強をしている?何のために、大学に行くのか?
……もっと他に、自分の心を震わせる何かが、あるんじゃないだろうか……。


「やあ、あかねちゃん。遅れてしまって申し訳なかったね。」
背中を軽く叩かれて振り返ると、そこには天真の父が立っていた。
会議のせいで、開演時間に間に合わなかったのだと言う。
その隣には、イノリたちのマネージャーの姿もあった。
「どうだい?彼等の音楽、気に入ってもらえたかな?」
「はい…。なんか、予想以上にすごいです…。圧倒されちゃうくらい…」
ステージの上でマイクを振り回しながら、隅から隅まで走り回るイノリを見てあかねが答えると、マネージャー達は揃って笑顔を浮かべた。
固定ファンの意見ならともかく、ろくに情報も仕入れていない、素人同然の彼女の意見は重要なものだった。
今後メジャーデビューを果たしたあとは、彼女のようにイノリたちの音楽を初めて聞くという者が大半になるだろう。
そんな人々が、彼等の音楽に対してどんな印象を持つか。
あかねの印象は、これからのプロモーション作業にも関わる大切な意見だ。

「あかねちゃんのお気に入りに、なってもらえると有り難いんだがね」
満足そうに彼が言ったが、あかねはそんな声も耳に入っていなかった。
目が彼等の姿を追い、耳は彼等の音を追いかける。
もう、目が離せなかった。

+++++

めいっぱいの演奏を一通り終えたあと、イノリはアンプの横にあるスポーツドリンクを一気に飲み干し、ペットボトルとタオルを観客席に放り投げた。
元々は、ライヴから始まった自分たちのバンド。
レコーディングという作業にも慣れてきたが、やはりこうして観客と一体になれるライヴは気持ちいい。
おとなしくスタジオに閉じこもるより、みんなで騒ぐ方が楽しいものだ。
サスペンションライトが、ステージを浮き上がらせるように照らす。
メンバーの顔がはっきり見えるようになると、観客達はこぞって彼らの名前をコールし始めた。

そんなヒートアップ中のファンに、軽く冗談を交えながら声をかけると、和やかな笑い声が場内に響き出す。
ようやくクールダウンしたところで、MCの時間が取れた。
イノリは、スタンドからマイクを取り上げて、最前列はもちろんのこと、遙か向こうの最後列まで目を通してから深呼吸をした。

「えっとー、もう知ってるかもしんないけど、来年の元旦に俺らはメジャーデビューしまっす!」
改めてその事を伝えると、クールダウンしたと思っていたホールに、これまでで最高潮の歓声と大拍手が沸き上がった。
後ろのメンバー達と顔を合わせると、それぞれ同じように照れくさそうに笑った。
言葉には出さないけれど、みんな思っていることはきっと同じだ。

プロになりたい、と思わなかったことはない。
いつもどこかで、"いつか音楽で生きて行くことが出来たら良い"と、心の底ではそんな憧れをみんな持っていた。
だからこそ、こうして同じメンバーで続けて来られた。自分たちの音楽を聞かせることに、楽しさを感じることが出来ていた。
そんな自分たちの音を受け入れてくれ、ずっと賛同して励ましてきてくれた、ホールいっぱいのファンの存在が、どんなに糧となってきたか。
夢へと続く、その道筋を作ってくれたのは、目の前にいる彼ら。
それこそ、ファンとアーティストの垣根を越えた、"Red Butterflyの魂"。

「んっと、ホントにみんなのおかげで、夢がひとつ叶いました。でも、まだまだ俺ら、夢が山ほどある欲張りもんだから、これからも欲張って行っちゃおうと思ってるんで!」
笑い声と交じって、拍手がステージに向けて波のように押し寄せる。
「で、精一杯がんばっていくつもりだけども、何せみんなビギナーぞろいだからさ。足を踏み外してスッ転んで、がけっぷちにぶらさがっちまうかもしんないわけ。で、そんときは悪いけど、長年のよしみってことで…手を貸してもらえると嬉しいなーなんて。」
そう言うと、客たちが両手で頭を抱えるようにして、輪っかを作って見せた。
他に目をやると、Vサインをしている者や拳を挙げている者。
誰も彼もが、応えてくれている。
「サンキューな!これからも一緒にがんばろーな!俺ら5人で"Red Butterfly"じゃねえから!俺らとみんなで"Red Butterfly"だから!みんな運命共同体だからな!」
延ばした手は、ステージの上ではとても握れる距離じゃない。
歌い手と聞き手の境界は、見えないけれど存在している。
でも、そればかりじゃない。心には、ボーダーラインはいらない。
そして、それは存在しない。

アンコールの、ストレートロックは、一番盛り上がるとっておきのライブ専用曲。
気取ったスタジオでは感じない、100%の充実感が身体中をかけめぐる。
汗にまみれて、声を張り上げて、マイクなんか放り投げて、5人だけの音楽が数百人の音楽に変わる時。

"音楽を選んで良かった"と、いつもイノリは思いながら歌う。



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Megumi,Ka

suga